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鬼才 伝説の編集人 齋藤十一

2021.04.02 公開 ポスト

齋藤十一は野次馬のキング・オブ・キングスプチ鹿島

ノンフィクション作家の森功さんが新潮社の天皇・齋藤十一に迫った評伝『鬼才 伝説の編集人 齋藤十一』。発売以来、出版業界で話題になり続けています。今回本書を読んだのは、毎日14紙を読み比べ「時事芸人」として縦横無尽に活躍しているプチ鹿島さん。もともと齋藤十一に密かな興味を抱いていたプチ鹿島さんによる、週刊誌愛あふれる書評を掲載します。

80年代の写真週刊誌デビュー当時には強烈な思い出がある。

電車の中吊り広告で「タイガーマスクの素顔の写真を買います!」という見出しを発見したのだ。目が釘付けになった。

え、見たい……。でもそんなことしていいの? ていうかホントに?

プロレスファンの少年は車内でひとり驚き、戸惑い、興味津々だった。こんな週刊誌があるのか。見てはいけないものを見せてくれるのか。

雑誌の名前を見ると「フォーカス」(FOCUS)と書いてあった。

どうやら新しくできた週刊誌らしい。スクープ写真を並べているのが売りらしい。

その後も壮絶な事件現場や芸能人のプライベートをズケズケと載せて写真週刊誌の時代が訪れた。その衝撃とわかりやすさにザワザワした。見かけは薄いが政治芸能社会のあらゆる猥雑が厚く詰まっていた。ずっとのぞき見していたい……。

後年、フォーカスをつくったのは齋藤十一という編集者であることを知った。齋藤は創刊の理由を、
「誰だって人殺しの顔を見たいだろ」
と言ったらしいとも。

ギョッとするが、否定できない自分もいた。でもそこまで言う? 齋藤十一という名前を強烈なあやしさと共に覚えた。

一方で齋藤はなかなか姿を見せることがない人物らしいともどこかで読んだ。新潮社の社員でも、売れっ子の作家にも謎めいた存在であると。

こういう前提をなんとなく知っていたので遅かれ早かれ『鬼才 伝説の編集人 齋藤十一』は読んだと思う。

でもすぐに読もうと決めたのは著者が森功だったからだ。ノンフィクション作家として近年の作品をあげただけでも『悪だくみ「加計学園」の悲願を叶えた総理の欺瞞』や『官邸官僚 安倍一強を支えた側近政治の罪』、菅義偉が首相になって再度注目されている『総理の影~菅義偉の正体~』(2021年2月に『菅義偉の正体』として新書化)がある。

その森功が謎多き人物「齋藤十一」に迫る。しかもタイトルには「鬼才」「伝説」という言葉が。私は未知とか伝説が子どもの頃から大好きだ。東スポが報じるUMA的な怪物も勿論好きだが人物評としての怪物も好き。だから「伝説の編集者」なんて聞いたら早く正体を知りたい。伝説ぶりを読みたい。

言ってみれば、ここ数年ずっと楽しませてくれている書き手の森功が今度は齋藤十一探検に出発しているのである。私も森功隊長と一緒に探検を味わいたい。そう思って入手した。

では「鬼才」はなぜ誕生したか。その謎について出版界では多くの「説」がある。

「麻布中学時代から趣味になった音楽によって、独特の感性が磨かれた」

「早大時代に房総半島の寺で過ごした晴耕雨読の一年間、新潮社に入社して書庫係だったときの世界文学読破を肥やしにした」

「斎藤さんは終戦時、仏文学者の河盛好蔵さんの家へ転がり込んで、文学を学んだ」

森功隊長はこれらを丹念に当たっている。そして、

《齋藤はどんなに著名な人気作家であろうと、依頼した原稿が気に入らなければ容赦なく切り捨ててきた》

文芸編集者としてのこういうエピソードや作家との距離感も本書の読みどころだ。ただ私はやはり、文芸編集者でいながら「週刊誌」(週刊新潮)をつくった齋藤像を面白く追った。

《齋藤さんには特別な情報元がありません。目の付けどころがいいというか、それだけなんです。ですから、齋藤さんから出るスクープ記事はありえない。ただ、ものの見方というかね、それが独特ではありました》

《すべての新聞を一人で読んですでに頭に入ってるんだ。小さな記事でも逃さず、チェックしていてね。(略)タイトルの直し方を見て、齋藤さんがどんな視点で記事をとらえているか、気づかされる》

ほらほら、たまらない「証言」がたくさん出てくる! いいぞ森隊長!

フォーカス創刊の際の「誰だって人殺しの顔を見たいだろ」「おまえら、人殺しの面を見たくないのか」という伝説の言葉にも証言があった。

《齋藤さんはそんな下品な表現はしないんだ。もっと含蓄ある、なんていうか、そのあたりが齋藤さんなんだな。『人殺しの面』かどうかは、ともかく、フォーカスは人間を撮るんだっていうか。人間の顔、その動きとか、そういう関心なんだよ。齋藤さんのそれはね》

あの伝説の言葉は存在しなかったという。

しかし本書をここまで読んできた者はこの証言に「なあーんだ」という気持ちは抱かないであろう。むしろ納得しているはずだ。

というのもこれ以上ないほどの教養人でありながら「俗物」と自称して縦横無尽に視点をとらえ、ものの見方ができる斎藤の姿を我々は想像できるようになっているからだ。単なる下品でこれができるわけがないとわかりはじめる。化け物的な懐の深さをため息交じりに味わえる。『鬼才』の堪能ポイントのひとつである。

現在、私は新聞を14紙購読している。新聞を多く読むようになったのはゴシップをより楽しむためだ。断言する。

子どもの頃から週刊誌を熟読するのが好きだった。父親が買ってきたものでは飽き足らず、気になる見出しがあったらせっせと立ち読みに精を出していた。そんな日々を送っていたのだがあるとき、今の読み方だともったいないなと思った。

なんというか、カロリーの高いメインディッシュをいきなり食べてる気がしたのだ。どうせ楽しむなら「前菜」も摂ろう。ここで言う前菜とは朝日・読売・毎日など一般紙のこと。まず一般紙を読んで基本情報を入れ、そのあとに週刊誌とかタブロイド紙を読む。段階を踏みつつ、次第に高カロリーの料理に移行したらもっと堪能できるのでは? と考えたのだ。私なりの生活習慣の見直しである。情報摂取を豊かにしてみた。自分で言うが、かなりの野次馬でありスケベな人間だと思う。

でもそんな野次馬にずっと興味と時間を与えてくれたひとりが「齋藤十一」だったのだろう。言わば野次馬のキングオブキングス。

『鬼才 伝説の編集人 齋藤十一』は雑誌ジャーナリズムとは何か? もあらためて教えてくれる。

昨今、本来なら新聞がスクープすべき記事が週刊誌から連発されている。王道がゲリラに負けている。いや、ゲリラにしか面白いことができなくなってしまったのか? それでは問題ではないか。雑多で猥雑さが売りの週刊誌が崇められるなんて本人たちもくすぐったいだろう。

齋藤十一が生きていたら現状をどう思うだろう。なんと言うだろう。ぜひ聞いてみたくなった。

関連書籍

森功『鬼才 伝説の編集人 齋藤十一』

「人間は生まれながらにして死刑囚だろ」 『週刊新潮』『芸術新潮』『フォーカス』『新潮45』を創刊。雑誌ジャーナリズムの礎を作り、作家たちに恐れられた新潮社の帝王。稀代の天才編集者は、なぜ自らを「俗物」と称したのか。 第一章 天才編集者の誕生 第二章 新潮社の終戦 第三章 快進撃 第四章 週刊誌ブームの萌芽 第五章 週刊誌ジャーナリズムの隆盛 第六章 作家と交わらない大編集者 第七章 タイトル作法 第八章 天皇の引き際 第九章 天才の素顔 終章 天皇の死

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鬼才 伝説の編集人 齋藤十一

「週刊新潮」「フォーカス」等を創刊。雑誌ジャーナリズムの生みの親にして大作家たちに畏怖された新潮社の天皇・齋藤十一。出版界の知られざる巨人を描いた傑作評伝。

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プチ鹿島

時事芸人。1970年長野県生まれ。時事ネタと見立てを得意とする芸風で、テレビ、ラジオ、新聞、雑誌等で活躍。著書に『芸人式新聞の読み方』、『教養としてのプロレス』、『芸人「幸福論」』などがある。

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