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ろうの両親から生まれたぼくが聴こえる世界と聴こえない世界を行き来して考えた30のこと

2021.04.06 公開 ポスト

齋藤陽道さま ぼくの本はろう親である齋藤さん、そしてCODAのお子さん方の未来に影をもたらしてしまったでしょうか。五十嵐大(作家・エッセイスト)

齋藤陽道さま

はじめまして。エッセイストの五十嵐 大と申します。

先日出版した2冊目のエッセイ『ろうの両親から生まれたぼくが聴こえる世界と聴こえない世界を行き来して考えた30のこと』の表紙に、齋藤さんの作品を使わせていただきました。初めてそれを目にしたとき、「幼い頃の自分自身がそこにいる」と感じたのをよく覚えています。

写っていたのは、ひとりの少年です。大きな葉っぱで顔を隠しながら、小さな穴からこちらを覗き込んでいる。どこかビクビクしているようで、だけど好奇心を抑えられない。そんな雰囲気が伝わってくる写真を、まさか本の表紙に使えるだなんて。使用許可をいただけたときは、心の底からうれしかった。近いうちに直接お会いして、お礼を伝えたいとも思いました。

ところがコロナの影響で人と会うのも憚られるようになり、そのうち齋藤さんが九州に引っ越されたのをTwitter上で知りました。これではいつお目にかかれるかわからないな、と諦めていた矢先、こうして手紙をやりとりする機会をいただき、これもまたうれしく思っています。

とても一方的にですが、齋藤さんのご活躍は以前から存じ上げていました。ろう者であり、写真家であり、ふたりのコーダを育てる父親でもある。過去には『異なり記念日』や『声めぐり』というエッセイも上梓されています。こんなに多才で、人の心を揺さぶるクリエイターがいるんだ。ぼくは常に、齋藤さんのことを遠くから眩しく見つめていました。だからこそ、齋藤さんの作品をお借りすることが本当にうれしかったのです。あらためまして、このたびはありがとうございました。

『ろうの両親から生まれたぼくが聴こえる世界と聴こえない世界を行き来して考えた30のこと』には、ぼくと聴こえない母との、つまりコーダと聴こえない親との歴史を綴りました。

いまでこそ母との仲は良好ですが、ぼくが思春期の頃のそれは最悪だった、と言い切れます。彼女に対し、ぼくは何度も「障害者の子どもになんてなりたくなかった」と、信じられないような言葉をぶつけました。当時、どこにもやり場のない怒りを常に持て余していたのです。

どこに行ったって、「可哀想な子ども」だと言われてしまう。本当は幸せな瞬間もたくさんあるのに、世間の人たちはそこには目も向けず、聴こえない親とその子どもを可哀想という単語と結びつけてしまうのです。いつからかぼくは、そんな他者からのまなざしを内包するようになり、自分自身を「不幸なんだ」とジャッジするようになっていきました。母との関係が壊れていったのは、それからあっという間のことでした。

自分の体験を赤裸々に綴るという行為は、想像以上に勇気を必要とするものだと思います。書いていてしんどくなってしまうし、どうしても言葉が出てこない瞬間も多々ありました。いや、言葉が出てこないというよりも、「言葉にしたくない」という表現が近いかもしれません。「耳の聴こえない母が大嫌いだった」などと書いてしまうことで、当時の嫌な感情が在々とよみがえります。その負の感情を追体験することは、かさぶたをイタズラに剥がすような行為に近いでしょう。

それでも本書を書いたのは、ひとりでも多くの人たちに知ってもらいたかったからです。聴こえない親とコーダが、一体どんな目に遭うのか。なにに苦しみ、葛藤し、ぶつかるのか。それを知ってもらうことで、社会の生きづらさが1ミリでも減ればいい、と願っていたのです。

ところが、書き上げてから思いました。

ぼくのしていることは、とても暴力性を伴う行為なのではないか、と。

たとえば、ぼくが体験した苦しみや葛藤、つらさをそのまま綴ることで、いままさにコーダを育てているろうの親御さんたち、齋藤さんのような人たちに「未来への不安」を抱かせてしまう可能性がある。「数年後、自分たちも同じような体験をするのか……」と、視界を塞いでしまう恐れがある。それは決して望んでいることではありません。それなのに、ぼくが過去の体験を吐き出せば吐き出すほど、守りたいはずのろう者やコーダたちを傷つけてしまうかもしれない。まるで矛盾するような現実にぶつかってしまいました。

齋藤さんの『異なり記念日』に、とても印象的なエピソードが登場します。それは齋藤さんのなかから「歌」が生まれた瞬間のことです。長男である樹さんを前にして、自然と歌を口ずさんでいたという件を目にしたとき、ぼくは母のことを思い浮かべていました。

先天性のろう者である彼女は、歌を知りません。でも、ぼくがまだ幼い頃、彼女はたしかに子守唄のようなものを口ずさんでいたのです。柔らかい毛布に包まれて、背中をトントン叩かれながら、母がうたう「歌のようなもの」はとてもやさしいメロディでした。そこには歌詞なんてなくて、言葉にならない言葉がなんとなく流れているだけ。でも、その子守唄はいまでもぼくの耳に残っていて、思い返すたびに母からの愛情を再確認します。

そんな記憶を呼び起こされたのは、齋藤さんが綴る文章がとてもやさしくて、愛に満ちていたからなのでしょう。それに触れたとき、まるで共鳴するようにぼくのなかの記憶が震えたのです。

文章というものは、誰かを傷つけることもあれば、誰かをそっと包み込み癒やすこともあります。齋藤さんの文章は、まさに後者です。では、ぼくの文章はどうだっただろうか――。

面と向かってだと訊けないのですが、せっかくなのでこの機会に質問させてください。『ろうの両親から生まれたぼくが聴こえる世界と聴こえない世界を行き来して考えた30のこと』を読んで、率直にどう感じましたか? 樹さん、そして後に生まれた次男の畔さんが迎える未来に対し、僅かでも影が差してしまったでしょうか?

五十嵐 大

*   *   *

齋藤陽道さんからのお返事は、4月10日に公開予定です。

関連書籍

五十嵐大『ぼくが生きてる、ふたつの世界』

ろうの両親の元に生まれた「ぼく」。小さな港町で家族に愛され健やかに育つが、やがて自分が世間からは「障害者の子」と見られていることに気づく。聴こえる世界と聴こえない世界。どちらからも離れて、誰も知らない場所でふつうに生きたい。逃げるように向かった東京で「ぼく」が知った、本当の幸せと は。親子の愛と葛藤を描いた感動の実話。

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ろうの両親から生まれたぼくが聴こえる世界と聴こえない世界を行き来して考えた30のこと

耳の聴こえない親に育てられた子ども=CODAの著者が描く、ある母子の格闘の記録。

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五十嵐大 作家・エッセイスト

1983年、宮城県出身。高校卒業後、さまざまな職を経て、編集・ライター業界へ。2015年よりフリーライターに。自らの生い立ちを活かし、社会的マイノリティに焦点を当てた取材、インタビューを中心に活動する。2020年10月、『しくじり家族』でエッセイストデビュー。

 

 

 

 

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