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がんばらない練習

2024.05.07 公開 ポスト

「世界は硬いものだらけ」だから元「日本一有名なニート」は服を“手触り”だけで選ぶpha

定職に就かず、家族を持たず、シェアハウス暮らし。社会的評価よりも自由に生きることを大事にしてきたphaさん。6月5日には新刊『パーティーが終わって、中年が始まる』が発売になります。かつて「日本一有名なニート」ともいわれたphaさんは、どんな生き方を実践してきたのか? 著書『がんばらない練習』よりご紹介します。

*   *   *

他人の視点が想像できない

昔から服装というものに気を遣うことができない。いつも黒とか紺色の適当なものを着たり、同じ服を何日も着続けたりしてしまう。

世間の人たちがなぜ服に気を遣えるのかがわからない。だって、服って自分から見えないじゃないですか

(写真:iStock.com/Tatiana Dyuvbanova)

一人称視点のゲームというのが最近多い。画面には主人公から見える視界がそのまま映っていて、自分の体で見えるのは武器を持った手くらい、というやつだ。

こういうタイプのゲームだと、自分の服装を変更しても、画面には全く反映されないので面白くない。そして現実だってこの一人称視点のゲームと同じだと思うのだ。鏡という便利アイテムを使えば自分の姿を確認できるのは知ってるけど、別に自分の見た目がそこまで好きなわけでもないのでわざわざ鏡を見るモチベーションがわかない……。

 

多分これは自分の性格に何かが欠けているせいなのだろう。おそらく他の人はもっと自然に他人ビューを自分の中に取り込んでいる。だから自然に見た目に気を遣える。僕は他人の視点というのがうまく想像できない。他人なんて全部人工知能で自分以外の人間は幻なんじゃないかとときどき思ったりする。

自分を見る他人というのがうまく実感できないから、僕はいい歳して定職につかずシェアハウスに住んでふらふら暮らすという社会的にはそんなに褒められたものではない生活を平然といつまでも続けていられるのだろう。他人の視点の欠如、それは社会性の欠如だ。社会性がないから僕は適当な服ばかりを着続けてしまうし、寝癖で髪の毛が爆発したままで外に出かけてしまうのだ。

 

ただ、見た目には気を遣わない自分だけど、服ですごくこだわるところはある。それは手触りだ。

僕は硬い服や窮屈な服やざらざらした服がとにかく嫌いだ。服は全部柔らかくてなめらかでふわふわしたものであるべきだと思う。

それと、体を締め付けるアイテムも極度に苦手だ。僕は昔から肩こりがひどいのだけど、締め付けられている部分があるだけで体のこりがひどくなるような気がするのだ。

腕に当たっている部分が気になってイライラするので腕時計を付けることもできない。指輪やネックレスも一切ダメ。ベルトも紐のある靴も嫌い。ネクタイは全て滅びてほしいと思っている。あんな意味のない布を首からぶら下げて何が楽しいんだ。

この世界は硬いものだらけ

僕が若い頃に一般社会に馴染めないと感じた大きな理由として、スーツ、ネクタイ、ワイシャツ、革靴を身につけるのが本当に嫌いで嫌いで仕方なかったというのがある。

服装コードがあるというのはまあ必要性がわからなくもないけど、それにしてもなんでよりによってあんな着心地が悪くて硬くて汚れやすくて窮屈なものを着なきゃいけないんだ。窮屈なものを着ることと社会性のあるなしは関係ないだろう。

(写真:iStock.com/IrinaBraga)

だけど世の中ではそれらを我慢して着用することが一人前の社会人の条件として認められているのだ。ひょっとしたら僕だって、サンダルとジャージが正装だったらもうちょっと普通の社会人をやれていたかもしれないのに。

 

もっと遡ると、中高生時代に学ランを着なければいけなかったことが自分の中に社会に対する反抗心を育てていたのかもしれないと思う。黒くて硬くて窮屈な学ランは本当に嫌いだった。あの詰め襟が首を締め付ける感じは本当にただの拘束具としか思えない。

中学のとき、元気のある同級生は丈が短かったり裾が細くなったりしている変形学ランを着て意気がっていたけれど(そして生活指導の先生に怒られていたけれど)、そんなものより僕はもっとゆるくて柔らかくて詰め襟がない変形学ランがほしいと思っていた。もし私服の学校に通っていたら僕の思想も少しは変わっていたのだろうか。

 

柔らかくて手触りのよい布は好きだ。綿とアクリルとポリエステル以外の布は存在価値がないと思う。

精神が落ち着かないとき、お気に入りの布を触ると楽になる。ライナスの毛布みたいに。鞄の中にはいつも触り心地のいい手ぬぐいを入れてあって、疲れたときや動揺したときはそれで目を覆ったり顔をこすったりすると気分が落ち着く。

自分の部屋の中も布だらけだ。タオル、毛布、ひざかけなど、手触りのよい布を見るとつい買ってしまうからだ。

薄暗くした部屋で「とろける肌触りのマイクロファイバー毛布」や「オーガニックコットン混やわらかバスタオル」や「ポンチョにもなる3WAYブランケット」などの、たくさんの手触りのよい布に埋もれてごろごろ床を転がっていると、至福だなあと思う。

 

そもそも僕は硬いものが嫌いなのだけど、この世界は硬いものだらけだ。外に出ると道路も壁も駅もみんな硬い。柔らかいものは家の中にしかない。だからついずっと、部屋に引きこもってごろごろと転がりながらだらだらと時間を過ごしてしまう。でもそんなことばかりしているとどんどん筋肉が衰えていって、ますます外に出るのが億劫になってくる。

これは良くない。もっと外に出て電車に乗ったり階段をのぼったりしないと。しかし、外は硬いものだらけだからなあ。もうちょっと柔らかかったらいいんだけど。

関連書籍

pha『できないことは、がんばらない』

他の人はできるのに、どうして自分だけできないことが多いのだろう? 「会話がわからない」「服がわからない」「居酒屋が怖い」「つい人に合わせてしまう」「何も決められない」「今についていけない」――。でも、この「できなさ」が、自分らしさを作っている。小さな傷の集大成こそ人生だ。不器用な自分を愛し、できないままで生きていこう。

pha『パーティーが終わって、中年が始まる』

定職に就かず、家族を持たず、 不完全なまま逃げ切りたい―― 元「日本一有名なニート」がまさかの中年クライシス!? 赤裸々に綴る衰退のスケッチ 「全てのものが移り変わっていってほしいと思っていた二十代や三十代の頃、怖いものは何もなかった。 何も大切なものはなくて、とにかく変化だけがほしかった。 この現状をぐちゃぐちゃにかき回してくれる何かをいつも求めていた。 喪失感さえ、娯楽のひとつとしか思っていなかった。」――本文より 若さの魔法がとけて、一回きりの人生の本番と向き合う日々を綴る。

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がんばらない練習

やる気がわかない、社交が苦手、決めるのが怖い……。仕事や人間関係で疲れたあなたに、そっと寄り添ってくれるのは、京大卒というエリートながら「日本一有名なニート」として幅広い共感を集めるphaさんだ。著書『がんばらない練習』は、そんなphaさんが実践する「自分らしく生きる方法」をつづった一冊。読めば心がふっと軽くなる本書より、一部をご紹介します。

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pha

1978年生まれ。大阪府出身。京都大学卒業後、就職したものの働きたくなくて社内ニートになる。2007年に退職して上京。定職につかず「ニート」を名乗りつつ、ネットの仲間を集めてシェアハウスを作る。2019年にシェアハウスを解散して、一人暮らしに。著書は『持たない幸福論』『がんばらない練習』『どこでもいいからどこかへ行きたい』(いずれも幻冬舎)、『しないことリスト』(大和書房)、『人生の土台となる読書 』(ダイヤモンド社)など多数。現在は、文筆活動を行いながら、東京・高円寺の書店、蟹ブックスでスタッフとして勤務している。Xアカウント:@pha

 

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