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本屋の時間

2021.04.15 公開 ポスト

第108回

丸善福岡ビル店辻山良雄

丸善福岡ビル店は、いまではもうなくなってしまった店だ(現在は丸善博多店としてJR博多シティで営業している)。以前勤めていた会社で福岡に転勤になったとき、この店にはお世話になった。他の書店を見ていいなと思うことはそれまでにもあったが、負けたと思いながらも尊敬の念を抱き、定期的に通いつめた店はここよりほかには思いつかない。

 

ミレニアムと呼ばれた2000年。この店に最初に足を踏み入れた時、その知的でクラシカルな雰囲気にすっかり魅了された。「丸善」というブランドをそれまで特に意識したことはなかったが、伝統というものの確かなよさが、その店にはまだ残っているように思えたのだ。店内の設えも少しはあったのだろう。しかしその空気は、主に書棚に並べられた本から発せられていた。

それが特に表れていたのが文芸書の棚だ。四六判の単行本は、同じ高さで整然と積み上げられ、そこから視線を上げると、棚の中には知らなかった出版社の本や名前だけは聞いたことのあった昔の名作が、最近出た新刊に混じり目に飛び込んでくる。

最初に訪れた時は、堀江敏幸の『郊外へ』を買って帰った。この著者の本を買うのはその時がはじめてだったが、本から呼びかけられたような気がして、文章の硬質な美しさもこの店で買う本としてはふさわしいもののように思われた。

『黄色い本』もまたこの店で買った本だ。まだ発売されたばかりのころだっただろうか、高野文子という名前も一緒に並べられていた『チボー家の人々』も当時はよく知らなかったが、それがよいものであることは自然と想像がついた。

文芸書を買うような気持ちで買って帰った『黄色い本』はひんやりとした読み心地で、これにも大変驚いた。だがその本はまだわたしには早かったのだろう、完全にはわからないまでも少し背伸びをして読む感じが、その本が置かれていた本棚を思い起こさせた。

その丸善福岡ビル店にいた徳永圭子さんとは、後日知り合うことになった。福岡で、名古屋で、大阪で……、これまで彼女とは様々な場所で会ったのだが、大体は酒の席だったから早口の博多弁でカラカラと笑っている姿がまずは思い浮かぶ。しかしふと真面目な顔に戻った時、伝統を受け継ぐ筋目の正しさがその人柄からはにじみ出ているようで、自己流で系統だった教育は受けてこなかったわたしなどはいつも恐縮してしまう。

出張で東京に来た時など、彼女はたまに店にも立ち寄ってくれるが、思えばいちばん最初にこの店に来た「お客さん」も徳永さんだった。まだ店を準備している頃で、外は冷たい小雨が降っていた。表の扉を叩く音がしたので振り返ると、彼女が笑って手を振っている。いるはずのない人がそこにいたので、わたしは思わずうろたえてしまった。

「いや、東京にきたからね」

彼女は短くそういって店内に入り、その頃やっと本が入りはじめた本棚を見渡した。まいったな(まだなんの整理もしていない)と思いながら、この店は彼女にはどう映るのだろうとわたしは心配していたのだが、そんなこちらの思いはよそに、彼女は本を買ってくれるという。

まだレジもつり銭の準備もなかった頃だったから、その時は自分の財布を開け、そこから小銭を返した。いい大人が二人、何か本屋さんごっこをしているみたいだ。

「お邪魔しました。じゃあまた」

そういって彼女は傘を差し、外に出ていった。内に秘めたものがある人だと思った。

 

今回のおすすめ本

『うそ』詩・谷川俊太郎 絵・中山信一 主婦の友社

谷川俊太郎の名作詩に、新たな息吹が吹き込まれた。一見すると表情が変わらない少年の顔に、読むものはうそをついたときの、チクチクする胸のいたみを感じ取ってしまう。これからも読み継がれるであろう、あたらしい絵本の誕生。

◯連載「本屋の時間」は単行本でもお楽しみいただけます

連載「本屋の時間」に大きく手を加え、再構成したエッセイ集『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』は、引き続き絶賛発売中。店が開店して5年のあいだ、その場に立ち会い考えた定点観測的エッセイ。お求めは全国の書店にて。Title WEBSHOPでもどうぞ。

齋藤陽道『齋藤陽道と歩く。荻窪Titleの三日間』

辻山良雄さんの著書『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』のために、写真家・齋藤陽道さんが三日間にわたり撮り下ろした“荻窪写真”。本書に掲載しきれなかった未収録作品510枚が今回、待望の写真集になりました。

○2024年11月15日(金)~ 2024年12月2日(月)Title2階ギャラリー

三好愛個展「ひとでなし」
『ひとでなし』(星野智幸著、文藝春秋刊)刊行記念

東京新聞ほかで連載された星野智幸さんの小説『ひとでなし』が、このたび、文藝春秋より単行本として刊行されました。鮮やかなカバーを飾るのは、新聞連載全416回の挿絵を担当された、三好愛さんの作品です。星野さんたってのご希望により、本書には、中面にも三好さんの挿絵がふんだんに収録されています。今回の展示では、単行本の装画、連載挿絵を多数展示のほか、描きおろしの作品も展示販売。また、本展のために三好さんが作成されたオリジナルグッズ(アクリルキーホルダー、ポストカード)も販売いたします。

※会期中、星野さんと三好さんのトークイベントも開催されます。
 

【店主・辻山による連載<日本の「地の塩」を巡る旅>が単行本になりました】

スタジオジブリの小冊子『熱風』(毎月10日頃発売)にて連載していた「日本の「地の塩」をめぐる旅」が待望の書籍化。 辻山良雄が日本各地の少し偏屈、でも愛すべき本屋を訪ね、生き方や仕事に対する考え方を訊いた、発見いっぱいの旅の記録。生きかたに仕事に迷える人、必読です。

『しぶとい十人の本屋 生きる手ごたえのある仕事をする』

著:辻山良雄 装丁:寄藤文平+垣内晴 出版社:朝日出版社
発売日:2024年6月4日 四六判ソフトカバー/360ページ
版元サイト /Titleサイト

◯【書評】

『アウシュヴィッツの小さな厩番』ヘンリー・オースター [著]/デクスター・フォード [著]/大沢 章子 [訳](新潮社)ーーアウシュヴィッツを含む3つの強制収容所を生き延びたユダヤ人が書き残した悪夢のような日常とは? [評]辻山良雄
(Book Ban)

『決断 そごう・西武61年目のストライキ』寺岡泰博(講談社)ーー「百貨店人」としての誇り[評]辻山良雄
(東京新聞 2024.8.18 掲載)

◯【お知らせ】

我に返る /〈わたし〉になるための読書(3)
「MySCUE(マイスキュー)」

シニアケアの情報サイト「MySCUE(マイスキュー)」でスタートした店主・辻山の新連載・第3回が更新されました。今回は〈時間〉や〈世界〉、そして〈自然〉を捉える感覚を新たにさせてくれる3冊を紹介。

NHKラジオ第1で放送中の「ラジオ深夜便」にて毎月本を紹介します。

毎月第三日曜日、23時8分頃から約1時間、店主・辻山が毎月3冊、紹介します。コーナータイトルは「本の国から」。1週間の聴き逃し配信もございますので、ぜひお聞きくださいませ。

関連書籍

辻山良雄『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』

まともに思えることだけやればいい。 荻窪の書店店主が考えた、よく働き、よく生きること。 「一冊ずつ手がかけられた書棚には光が宿る。 それは本に託した、われわれ自身の小さな声だ――」 本を媒介とし、私たちがよりよい世界に向かうには、その可能性とは。 効率、拡大、利便性……いまだ高速回転し続ける世界へ響く抵抗宣言エッセイ。

齋藤陽道『齋藤陽道と歩く。荻窪Titleの三日間』

新刊書店Titleのある東京荻窪。「ある日のTitleまわりをイメージしながら撮影していただくといいかもしれません」。店主辻山のひと言から『小さな声、光る棚』のために撮影された510枚。齋藤陽道が見た街の息づかい、光、時間のすべてが体感できる電子写真集。

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本屋の時間

東京・荻窪にある新刊書店「Title(タイトル)」店主の日々。好きな本のこと、本屋について、お店で起こった様々な出来事などを綴ります。「本屋」という、国境も時空も自由に超えられるものたちが集まる空間から見えるものとは。

バックナンバー

辻山良雄

Title店主。神戸生まれ。書店勤務ののち独立し、2016年1月荻窪に本屋とカフェとギャラリーの店 「Title」を開く。書評やブックセレクションの仕事も行う。著作に『本屋、はじめました』(苦楽堂・ちくま文庫)、『365日のほん』(河出書房新社)、『小さな声、光る棚』(幻冬舎)、画家のnakabanとの共著に『ことばの生まれる景色』(ナナロク社)がある。

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