「今の世の中の常識のようなものの中で生きづらさを感じている人へ――」
銀色夏生さんが今の想いを込めた最新刊『私たちは人生に翻弄されるただの葉っぱなんかではない』より、メッセージをお届けします。
直筆サイン&イラスト入りを限定で発売しています。お早めに!
誕生も死も日常に織り込んで
年老いていくこととか、死んでいくことって自然の流れです。
それを、ものすごく悲しく不幸なことと捉えてしまうって、なんだか偏って いると思いませんか?
私がよく言っているのは、「死んでいるように生きる」。
何かがあったから、死にそうになったから、急に、生きるっていうことを大事にするのではなくて、生きている時も死にそうになった時も、同じようにし たいと思います。
だから、誕生日を祝うんじゃなくて誕生日ではない日も誕生日であるように祝いたい。誕生日が特別ということでなく、普段から誕生日を祝う気持ちを1 年を365で割って、「おめでとう」って日々の中で祝うような気持ちで生きていたいと思っています。
死っていうことに対してもそうで。病気とか死に対する悲しみを、そうなった時に全部まとめて、ではなくて、それを一生で割った分の1日を今日の中に織り込んで生きていきたい、と思っているから見方が淡々としてしまいます。
喜びに関してもそう。爆発的に喜んだりはしなくて、その喜びを一生で割っ て分けて喜ぶ、みたいな。
生きているように死に、死んでいるように生きる。生のように死を捉え、死のように生を捉える。悲しむように喜び、喜ぶように悲しむ。同じことです。生きることも死ぬことも喜びも悲しみも同じです。それはどこからどこを見るか、ということです。