「あんな言葉づかいをする人には任せられない」
誰かの言葉を聞いてそう思ったことはありませんか?
逆に、誰かにそう思われているかも?
言葉にはこれまで培ってきた知性、教養、品性、性格、考え方が宿ります。言葉の感覚を磨く、すなわち「語感力」を鍛えるのは、ビジネスでも必須の要素。『この一言で「YES」を引き出す格上の日本語』より、語感力を鍛えるための言葉の知識を抜粋してご紹介します。
待っている人がいるところに帰るのは?
よく言われることですが、日本語には、複雑な敬語表現があります。
その不思議な使い方は、相手を尊敬するだけ、自分を謙るだけではなく、相手を尊敬しながら自分を謙らせる、丁寧語を使いながら相手との距離を置くなど、様々です。
筆者の妻はフランス人なのですが、なんど説明しても、この不思議な日本語の敬語表現をまったく理解することができません。こうした敬語の使い方は、習って覚えるものではなく、小さい頃から生活の中で染み込んでくる「慣れ」によって身に付くものだからでしょう。
さて、言葉だけみれば、ただ場所を表す「家」と「うち」の使い方の違いも、じつは、敬語表現のひとつの「差」として使い分けられます。
それを説明する前に、「家」を表す同意語を思い付くまま、列挙してみます。たとえば、こういうのはいかがでしょうか?
家屋、居宅、豪邸、邸宅、住居、住宅、すまい、邸、屋敷、人家、民家、農家……。天皇の住まいは、皇居、御所、それから江戸時代であれば「城」、平安時代に遡れば「藤壺」や「桐壺」のように、天皇のお妃が住んだり摂政の詰め所として使われたりするところもありました。
それでは「家」と「うち」の語感の違いについて考えてみたいと思います。
まず、漢字の「家」の説明をしましょう。
「家」をよく見ると、「宀(うかんむり)」と「豕(いのこ)」とからできています。
「宀」は、屋根がある建物を表す記号です。「豕」はブタです。じつはこれは、古代中国(後漢が終わる220年頃まで)の「家」の構造をそのまま描いたものです。
地上階にブタを飼う場所があり、2階に人が住んでいる様子を表し、人の食物の不用な部分などを階下にいるブタに落として食べさせて飼っていたのです。これが一般的な「家」だったとされています。
中国では階下でブタを飼うことがなくなっても、「家」が「すまい」を表すことは変わらず、またその影響で、我が国でも一般的な「人の住まい」を書くのにこの漢字が使われるようになりました。
こう考えると、「家」と漢字で書かれるものは、「一般的な構造物としての家」なのだということが分かるのではないでしょうか。
それでは「うち」とは何でしょうか。敢えてひらがなで書きましたが、もちろん漢字で「内」と書いてもかまいませんし、「うち」と書く漢字なら「中」もあります。
同じ「人のすまい」と言っても、「うち」は「内部」を示すものです。
今はほとんどなくなってしまいましたが、つい最近まで日本の家屋には「(お)縁」というものがありました。
この縁は、別の言い方をすれば「境界線」を意味していました。日本らしい神仏混合の宗教的理解をすると、「縁」は「結界」を表すものでもありました。
自分の「うち」に入ることを許されない人たちに対して、「あなた方がアプローチできるのは、この縁までですよ」という意識が、この「縁」には込められていたのです。
さて、「家」と「うち」の違いはもう明らかですね。
「家」が建物を客観的に指しているのに対して、「うち」は自分の「家族」や「うち解けていられる関係のある人たちがいる」、「自分が入ることを許された空間」を意味するのです。
「家に帰ろう」と「うちに帰ろう」は、同じ意味を表しますが、「構造としての家」に帰るのか、「自分を待ってくれている人がいる本来の居場所」に帰るのかという語感の違いを本来はもっていたのです。
この一言で「YES」を引き出す格上の日本語
「あんなぞんざいな言葉遣いをする人間には任せられない」
誰かの言葉を聞いてそう思ったことはありませんか?
逆に、誰かにそう思われているかも?
言葉にはこれまで培ってきた知性、教養、品性、性格、考え方が宿ります。言葉の感覚を磨く、すなわち「語感力」を鍛えるのは、ビジネスでも必須の要素。『この一言で「YES」を引き出す格上の日本語』より、語感力を鍛えるための言葉の使い分けを抜粋してご紹介します。