子供の頃は勉強嫌い、二十一歳の時に「勉強の価値」なるものを見つけたという人気作家の森博嗣さん。「勉強は楽しくないのは事実」、勉強は「人に勝つためでも、社会的な成功者になるためにするのでもない」。“では何のため?”と社会で聞かれることが多いのは、「勉強という行為の“抽象性”が理解されていないから」。自身の体験と勉強の根本を深く幅広く探究し話題の『勉強の価値』(幻冬舎新書)から、人生後半期のリアルな勉強との向き合い方をピックアップしてお届けします。
何をしたいかわからない人たちもいる。それを考えることが楽しみなのに
「勉強」が人それぞれのものであるように、「楽しみ」も個人的なものである。大勢がいるから楽しいのではない。自分一人でも楽しくてしかたがない。そういう楽しさを知らない人がいる、というだけである。
一人で楽しめる人は、人を誘わないし、誰かに楽しさを理解してもらおうとも考えないから、必然的にそういった事情が広まらない。広める必要もない。
逆に、人が大勢いないと楽しめない人たちは、なにかと「連(つる)む」ことになる。このとき、他者を誘わなければならず、同じ価値観の人ならば良いけれど、そうでないと迷惑極まりない。
この頃、こういった「つき合い」に疲れた人、はっきりとストレスを感じると訴える人が増えてきた。職場のパワハラなども、これがベースとなっていそうだ。しだいに、緩和される方向にはあるけれど、上の年代ほど理解が及ばない(つまり、人の和が楽しさの根元だと信じている)ため、トラブルになるようである。
「勉強」が楽しいというのは、あくまでも個人的な楽しさであり、大勢で「勉強会」をして楽しもう、という方向性ではない。それは勉強の楽しさとは次元が違う。
(第3回へ続く)
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