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勉強って何のため?

2021.05.03 公開 ポスト

勉強の価値(第2回)

本当の楽しさは個人的なもの森博嗣

子供の頃は勉強嫌い、二十一歳の時に「勉強の価値」なるものを見つけたという人気作家の森博嗣さん。「勉強は楽しくないのは事実」、勉強は「人に勝つためでも、社会的な成功者になるためにするのでもない」。“では何のため?”と社会で聞かれることが多いのは、「勉強という行為の“抽象性”が理解されていないから」。自身の体験と勉強の根本を深く幅広く探究し話題の『勉強の価値』(幻冬舎新書)から、人生後半期のリアルな勉強との向き合い方をピックアップしてお届けします。

 

何をしたいかわからない人たちもいる。それを考えることが楽しみなのに

(写真:iStock.com/FlamingoImages)

「勉強」が人それぞれのものであるように、「楽しみ」も個人的なものである。大勢がいるから楽しいのではない。自分一人でも楽しくてしかたがない。そういう楽しさを知らない人がいる、というだけである。

 

一人で楽しめる人は、人を誘わないし、誰かに楽しさを理解してもらおうとも考えないから、必然的にそういった事情が広まらない。広める必要もない。

逆に、人が大勢いないと楽しめない人たちは、なにかと「連(つる)む」ことになる。このとき、他者を誘わなければならず、同じ価値観の人ならば良いけれど、そうでないと迷惑極まりない。

この頃、こういった「つき合い」に疲れた人、はっきりとストレスを感じると訴える人が増えてきた。職場のパワハラなども、これがベースとなっていそうだ。しだいに、緩和される方向にはあるけれど、上の年代ほど理解が及ばない(つまり、人の和が楽しさの根元だと信じている)ため、トラブルになるようである。

「勉強」が楽しいというのは、あくまでも個人的な楽しさであり、大勢で「勉強会」をして楽しもう、という方向性ではない。それは勉強の楽しさとは次元が違う。

 

(第3回へ続く)

関連書籍

森博嗣『勉強の価値』

勉強が楽しいはずない。特に子供が勉強しないのは「勉強は楽しい」という大人の偽善を見透かしているからである。まず教育者は誤魔化さずこれを認識すべきだ。でなければ子供が教師の演技を馬鹿馬鹿しく思い両者の信頼関係が損なわれる。僕は子供の頃あまりに美化された「勉強」に人生の大事な時間を捧げる必要があるか疑った。が、現在(正確には21歳から)は人は基本的に勉強すべきだと考える。そう至ったのは何故か? 人に勝つため、社会的な成功者になるためではない。ただ一点「個人的な願望」からそう考える理由を、本書で開陳する。

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森博嗣

一九五七年、愛知県生まれ。作家、工学博士。国立N大学工学部建築学科で研究する傍ら九六年に『すべてがFになる』で第一回メフィスト賞を受賞し、作家デビュー。以後、次々と作品を発表、人気作家として不動の地位を築く。おもな新書判エッセィに『自由をつくる 自在に生きる』『創るセンス 工作の思考』『小説家という職業』『自分探しと楽しさについて』(すべて集英社新書)、『大学の話をしましょうか』『ミニチュア庭園鉄道』(ともに中公新書ラクレ)、『科学的とはどういう意味か』『孤独の価値』『作家の収支』『ジャイロモノレール』『悲観する力』(すべて幻冬舎新書)などがある。

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