子供の頃は勉強嫌い、二十一歳の時に「勉強の価値」なるものを見つけたという人気作家の森博嗣さん。「勉強は楽しくないのは事実」、勉強は「人に勝つためでも、社会的な成功者になるためにするのでもない」。“では何のため?”と社会で聞かれることが多いのは、「勉強という行為の“抽象性”が理解されていないから」。自身の体験と勉強の根本を深く幅広く探究し話題の『勉強の価値』(幻冬舎新書)から、人生後半期のリアルな勉強との向き合い方をピックアップしてお届けします。
未来への予感
人が勉強する時間は、その人にとって何の役に立つのか、またその効果はどれほどだろうか?
子供の頃の勉強は、成績に直結し、進路を決める要因となった。しかし、大人になり、仕事もリタイヤして老人になったとき、勉強はどんな役に立つだろうか?
その疑問に対する答は簡単だ。楽しいから勉強をするのである。
勉強するために時間も、また資金も消費する。これは「無駄遣い」だろうか?
大学や研究機関の活動を「税金の無駄遣いだ」と非難する社会は、未熟な社会だといえる。未熟な社会では、もっと切実な問題を解決することに税金を使った方が良いかもしれない。だが、成熟した社会であれば、どうだろうか?
人間は死んでしまえば、それで「リセット」である。けれど、社会は人間が入れ替わり、存続するものだ。平和が維持できれば、社会はいずれ成熟する。それは見方によっては、老いた社会といえるかもしれない。しかし、そんなときでも、大学や研究所に税金を使うことは、社会の豊かさの表れであり、人々の「未来の楽しみ」を垣間見せてくれるものになるだろう。それは、ただの夢かもしれないが、人間には夢が必要だ。
子供にも夢が必要なように、老人にも夢が必要である。いつかは死ぬことでは、子供も老人も同じ。ただ、時間が平均的に長いか短いかの違いでしかない。
「何をしようか」と選択するのも楽しいが、もっと楽しいのは「何ができるだろう?」という可能性をゼロから考えることである。今はできなくても、少し工夫をすればできそうな気がする。
そういった「予感」が、すべての「勉強」のモチベーションとなるのではないか。
あんなに勉強が嫌いだったのに、ふと、なんでも良いから、ちょっと勉強したいな、という気分になるときがあるはずだ。
勉強というのは、それほど悪いものでもない。
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