モテないリケイ男子が、クラスの人気者の女子に、まさかの告白!?
キュンのあとに驚きの衝撃がやってくる、SFラブミステリー『はじめましてを、もう一度。』が、幻冬舎文庫から発売に。
文庫発売を記念して、ためしよみを実施中。
クラスの人気者の女子・牧野と同じクラスになった恭介だったが……。
* * *
2856──【2017・4・14(金)】
新学期が始まって一週間と一日が経った、金曜日の放課後。俺は教室に残り、数学の問題集と向き合っていた。
時刻は午後五時になろうとしている。ずいぶん日も傾いてきた。どこか遠くの方から、カラスの鳴き声が聞こえてくる。やけに哀愁の漂う声だった。
とっくの昔に、他の生徒は教室から姿を消している。俺は、こんな風に誰もいない教室で勉強をするのが好きだ。自宅でやるより明らかに集中できる。たぶん、がらんとした広い空間がしっくりくるのだと思う。
数学は重点的に取り組んでいる教科だった。俺の趣味であるプログラミングと密接に関わるからだ。特に、数列の処理は重要だ。データを扱う際には、何行目の何列目にある数値を読む、という操作が頻発する。数学をやればプログラミングの技術が向上するわけではないが、基礎的な知識として、しっかりこなせるようになっておきたい。陸上選手にとっての筋トレみたいなものだ。
そうして黙々と問題を解いていると、誰かが廊下を歩いてくる音がした。残っているやつが他にもいるのか、と思いつつ、俺はシャープペンシルを動かし続ける。
近づいていた足音が、ふいにやんだ。
おや、と思って顔を上げると同時に前方の引き戸が開き、牧野が教室に入ってきた。
俺に気づき、彼女がぱっと笑みを浮かべる。
「あれ、北原くん。まだ学校にいたんだ」
「見ての通りだよ。牧野は部活か?」
「ええー、ショックぅ」俺の質問に、牧野が突然頭を抱える。「私、部活はやってないんだよぉ。北原くんは、私に全然興味ないんだあぁ」
なんだそのミュージカルみたいなリアクションは、と若干引きつつ、「……そうなんだ。悪い」と俺は頭を下げた。
「いいよいいよ、そんなにマジに謝らないで。冗談だから、冗談」
牧野はそう言って自分の席に向かい、机の中に手を差し入れた。前屈みになると、さらさらと髪が流れて、彼女の横顔が隠れた。
牧野はすぐに体を起こし、「やっぱりあった」と数学の参考書をこちらに向けた。「図書館でみんなと勉強してたんだけど、これが見つからなくって」
「ふうん、そっか。お疲れ」と、俺はそっけなく言った。
早く出て行ってくれないかな、という気持ちを込めたつもりだったが、牧野はぴょこぴょこと跳ねるように俺の方に近づいてきた。
「そっちも数学の勉強してたんだ。北原くん、すごいよね。三月にあった全国模試、成績上位者に名前があったよ。数学の偏差値、九十五とかだったじゃない」
「平均点が低かったからだよ。その中で高い点を取ると、偏差値が高く出るんだ」と俺は説明した。偏差値は集団における位置を示す指標だ。平均から離れれば離れるほど、値は大きくなる。分布が極端にいびつな場合は、偏差値が百を超えることも、マイナスの値になることもある。
「そうなの? でも、全国でもトップクラスなのは事実じゃない」
「まあ、その試験に関しては」と俺は頷いた。
「そんなすごい人に頼むのは心苦しいんだけど、よかったら図書館でみんなと一緒に勉強しない? 先生の説明だけじゃ分からないところがあって、それで困ってるんだ。ゴールデンウィーク明けに実力テストがあるし、今のうちに疑問を解消しておきたくて」
俺は視線を上げ、斜め前に立っている牧野を見た。三日月形の目に白い歯。クラスメイトと一緒にいる時に彼女が見せる、おなじみの表情がそこにあった。人を惹きつけることに長けた、偏差値九十超えの笑顔だ。
目が合ったのは、一秒にも満たない時間だった。俺は手元に目を戻し、「遠慮するよ。俺、一人でやるのが好きだから。他の先生に聞いてみたら」と答えた。
すると牧野は「はあーっ」と長いため息を漏らした。
「……残念だけど、仕方ないか。北原くんの勉強法を盗みたかったんだけどね」
「盗むほどのもんじゃないよ。手当たり次第に参考書の問題を解くだけだし」
そう返すと、牧野はその場にぱっとしゃがみ、低い位置からこちらを見上げてきた。雲間から顔を覗かせる満月のように、赤いチェックのスカートの端から彼女の白い膝が見えていた。
「本当にそれだけ?」と、いたずらっぽく牧野が訊いてくる。
俺は曖昧に頷き、「そうだよ。それだけ」と答えた。
「そうかー。それはもう、脳の造りが違うとしか言えないなー。苦手な教科はないの?」
「特には。……っていうか、椅子に座ったら。疲れるだろ」
うん、と嬉しそうに頷き、牧野は俺の一つ前、出席番号四番の席に座った。
「みんなで勉強してたら、北原くんの名前が時々話題に出るよ。どうやったら、あんなに点数が取れるんだろうって」
「別にほどほどでいいと思うよ。『毎日十時間勉強しなきゃ東大に入れないような生徒は、別の大学に行くべきだ』って意見もあるらしいし」
「それはなんで?」
「無理は長続きしないからだよ。人間は、背伸びし続けることはできないだろ」
「なるほど、それはごもっとも。でも、北原くんは休み時間も問題解いてるじゃない。それは無理な努力じゃないの?」
「別に。無駄な時間を作りたくないだけだから」
「──あ、えっ、ごめん」
座ったばかりなのに、牧野が慌てた様子で立ち上がった。
「どうしたんだよ」
「いや、私と話してる時間ってすっごい無駄なんじゃないかって思って。っていうか、問題を解いてる最中だったね。ごめん」
「……いや、別に気を遣わなくていいから」と俺は言った。
牧野の親しげな口調や大げさな動きに、俺は戸惑っていた。二回しか話したことのない相手とこんなに打ち解けられる人間がいるのか、という驚きがあった。
「ストイックだよね、北原くんって。一人でいる時間が長いし」
「長いね、確かに」
「同級生が、『勉強を教えて~』って来たりしない?」
「一年の頃は少しあったかな。でも、すぐに誰も来なくなったよ」と俺は正直に言った。人に教えるのは得意じゃないし、俺の役目でもない。だから、質問に来た連中は適当にあしらうようにしていた。その結果が現状というわけだ。
「もったいないね。勉強のノウハウが他の人に伝わらないのって」牧野は悲しげに呟いた。
「なんか、北原くんの優秀さがちゃんと分かってもらえてない気がする」
「いいよ、別に他人に認めてもらわなくたって。俺は自分が納得できるレベルに到達できれば、それで満足だから」
問題文に目を落としながらそう答えると、牧野が急に黙り込んだ。
どうしたのだろうと思い、俺は顔を上げた。
オレンジ色の光が差し込む中、牧野はスカートの裾をぎゅっと握り、俺を見ていた。
こちらに向けられたその大きな瞳を見て、俺は息を呑んだ。彼女の目は明らかに潤んでいた。
「……あー、辛い辛い」牧野は苦笑しながら腕で目をこすった。「ちょうど今年から、花粉症の症状が出始めちゃってさあ」
「ああ、そうなんだ……」
「──あ、いたいた」
開きっぱなしだった出入口から、見知らぬ女子がひょっこり顔を覗かせた。小柄で童顔で、どことなくテディベアに似ている。
「何してたのよお」と言いながら、子熊的女子が教室に入ってきた。
「ごめん、見つけるのに手間取っちゃって」と牧野が参考書を彼女に渡す。そこで、ぬいぐるみライクな彼女がこちらに目を向けた。
「あれ、そこにおわすは北原大先生じゃないですか!」
彼女が大げさにのけぞる。ずっと見えてただろ、と俺は心の中で突っ込んだ。
「ちょっと佑那さーん。あなた、ひょっとして、一人だけ抜け駆けして勉強を教わってたんじゃないよねえ?」
「違うよ。ねえ、北原くん」
「……ああ」と俺は頷いた。牧野はいつもの笑顔に戻っていて、涙の気配はもうどこにもなかった。
「一応、紹介しておくね。私の友達の、草間志桜里。クラスは一組」
「一応ってなによ、一応って。正式に、でしょうよ」牧野の脇腹をつつき、「草間でーす、以後お見知りおきを」と草間は崩れた敬礼をしてみせた。
初対面の相手にここまでおちゃらけられることに感心する。さすがは牧野の友人といったところか。
「そんじゃあ、北原大先生への挨拶も済んだし、図書館に戻ろうか」
「あ、うん。じゃあね、北原くん」
草間に追い立てられ、牧野が教室を出て行く。その横顔はどことなく名残惜しそうに見えた。
たぶん、夕焼けが作った錯覚だろうな、と俺は思った。
その日の夜。食事と風呂を済ませ、俺は午後九時前に自室に入った。
家ではあまり勉強はしない。ここからは趣味の時間だ。だが、一時間ほどプログラムの修正に取り組んだものの、相変わらずのエラー祭りだった。
モニターを見ていると猛烈な眠気が襲ってきた。改良の妙案もなかったので、俺はさっさと見切りをつけ、午後十一時過ぎにベッドに潜り込んだ。
目を閉じると、今日の放課後の出来事が思い浮かんできた。
教室に牧野が来て、少し会話を交わして、草間が来て、二人で去っていく。俺はその一連の流れをぼんやりと反芻していた。
現実から夢への移行は、不連続だった。
ふと気づくと、俺は広い座敷の隅に座っていた。まるで見覚えのない場所だったが、正面にある祭壇や壁や天井の様子から、寺の本堂だろうと推測した。
俺はこれが夢であることに気づいていた。辺りには、漆黒の喪服に身を包んだ人々が神妙な面持ちで座っている。室内は蒸し暑く、線香の匂いが感じられる。たぶん、季節は夏だ。
袈裟を着た坊主が念仏を唱えている。座敷の前の方には、大量の花を盛って作った籠がいくつも置いてあった。法事ではなく葬式らしいな、と思い至った瞬間、祭壇に飾られた遺影が目に飛び込んできた。
黒縁の額の中に、牧野がいた。
屈託のない、あの笑顔がそこにあった。
参列者の中から、すすり泣く声が上がっていた。俺の斜め前で涙を流しているのは、草間志桜里だった。他にも、何人かクラスメイトの顔がある。
何が起きているのか分からずに座敷内を見回していると、誰かが「それでは焼香を」と言った。
前方にいた人がのっそりと腰を上げ、順に祭壇へと向かい始める。
焼香、焼香……どうやってやるんだっけ……?
母方の祖父の葬式を思い出そうとしたが、あれは十年以上前のことだ。小さかった俺は焼香なんてしていなかったことに気づく。
そうこうするうちに、俺の順番が回ってきてしまう。
仕方なく立ち上がり、他の参列者たちにならって、祭壇の前で振り返って頭を下げた。
祭壇に向き直る。光の加減で、牧野の遺影はよく見えない。
木製の横長の机に、木片の入った器と、灰の詰まった容器が並べられている。灰入りの器の方で、木片がぶすぶすと燃えながら煙を上げていた。木片をこちらに入れればいいらしい。
俺は祭壇に向かって一礼し、容器に手を伸ばした。視界に入り込んできた自分の手は、痙攣でも起こしているみたいにふるふると小刻みに震えていた。
揺れまくる親指と人差し指で、なんとか木片をつまむ。慎重に隣の容器に移そうとしたが、力がうまく入らず、ぽろぽろと机の上にこぼしてしまう。
ああ、まずい。ミスったぞ……。
動揺しながらそれを拾おうとしたところで──。
目が覚めた。
俺は自分の部屋にいた。人いきれや焼香の匂いは消え、ひんやりとした春の夜の空気が部屋を満たしていた。
首をひねって、枕元の時計に目をやる。ベッドに入ってから、まだ二十分ほどしか経っていなかった。夢を見ていたのは、ごく短い時間のことだったらしい。
俺は横になったまま、大きく息を吐き出した。額に触れてみると、少し汗ばんでいた。
あそこまでリアルな夢を見たのは、生まれて初めてだった。目を閉じるだけで、自然とあの座敷に戻れる気さえする。
それにしても、葬式とは……。
「縁起でもないな……」
俺は首を振り、ベッドを降りて部屋を出た。
テレビでも見て気分転換をしてから寝ないと、また同じ夢を見そうな気がして仕方がなかった。
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