古典とは時代を超越した作品であり、決して古くなることがない――。無類の読書家として知られる経済学者の野口悠紀雄さんは、次々刊行される経営書やビジネス書を乱読するより「古典」を読もう、と言います。なぜなら古典には、仕事や人生の深い洞察が凝縮されているから。そしてそれが今も役に立つから。勉強は自分の血肉にしないともったいない!大反響の『だから古典はおもしろい』(幻冬舎新書)から試し読みをお届けします。
1.ベストセラーを読みたいなら、まず聖書
史上ベストセラー第1位
最初に印刷された書籍は、聖書です。
それ以来、いまにいたるまで印刷され続けているので、聖書がベストセラーの人類史上第1位であることは間違いありません。
今後読み続けられるであろうことも、多分間違いありません。
「ベストセラーは必ず読もう」とお考えであれば、何を措いても、まず聖書を読まなければ、話になりません。
しかも、読もうと思いさえすれば、簡単に読むことができます。
昔からそうだったわけではないことに、注意してください。
活版印刷技術が発明され普及する前の時代において、文書の複製は筆写しか方法がありませんでした。聖書は、修道院の聖職者によって筆写されていたのです。これは大変な作業でした。したがって、普通の人が聖書を読みたいと思っても、読むことはできなかったのです。
また、聖書はラテン語で書かれていたので、仮に筆写本に接することができたとしても、普通の人には理解することができませんでした。聖書の教えを知るには、教会に行って聖職者の説教を聞くしか方法はなかったのです。
いまでは、聖書を読もうと思えば、簡単に手に入れることができます。しかも、翻訳があるので、ラテン語の知識がなくても読むことができます。
このような環境を利用しないのは、本当にもったいないことです。
文学や絵画を理解するために、聖書の知識が必要
聖書は、文学作品に頻繁に登場します。少なくともキリスト教圏においては、聖書の物語は誰もが知っているものだからです。
したがって、聖書を知らないと、文学作品の多くを理解できないことになります。とりわけ、ドストエフスキイの作品は、聖書を知らないと理解できません。
キリスト教徒でない私が聖書を読んだのは、文学作品に登場する聖書の引用の意味を知りたかったからです。
絵画のテーマも、聖書にかかわるものが数多くあります。というより、ルネッサンス以前の西洋絵画のほとんどは、宗教画でないにしても、聖書に題材をとったものです。
これは、ラテン語で書かれている聖書の物語を人々に理解させるには、絵画を用いるのが効果的だったからでしょう。
いまの私たちは、聖書を知らないと、西洋絵画に何が描かれているのかを理解できないことになります。
これも、私が聖書を読んだ理由の一つです。牛に引かれて善光寺参りをしたようなものです。
(第2回へ続く)
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