齋藤陽道さま
率直で温かいお返事をありがとうございました。いただいたお返事を何度も読み返し、なにを伝えたらいいだろう……とぼんやりしていたら、あっという間に時間が経っていました。すみません。こういう仕事に就いているくせに、昔から書くのが遅いのです。困ったもんだ。
先のお返事で、『異なり記念日』と『声めぐり』を書くのが「ほん~と~お~に大変」だったと書かれていましたね。いや、それはそうだと思います。齋藤さんが体験したこと、見たこと、感じたことを真っ直ぐに書かれている。それって簡単そうに見えて、すごく消耗しますし、とにかくしんどいですよね。でも、だからこそ、あの本は読み手の心を打つのだと思います。あらためて、書いてくださって、ありがとうございました。
“世間の基準から外れていても幸せな生き方と愛し方の物語を語ることもまた、排斥と憎しみに抗う戦術のひとつ”
齋藤さんに指摘されて、考えてみました。
たしかに障害者を含む社会的マイノリティという存在は、とかく可哀想、不幸、大変というレッテルを貼られがちです。子どもの頃はそれが嫌で嫌で仕方ありませんでした。
「五十嵐くんのおうちは、大変ね」
そう言われるたびに、内心「うるせーな、お前らになにがわかるんだよ!」と反骨の精神を抱きつつ、だけどもそれを表明することもできず、鬱々と世間を憎むようになってしまったのでした。なんて暗い青春時代だったのでしょう……。
あれから何十年も経ち、なんとか一端の大人になり、こうして本を執筆する機会を与えられたぼくは、「なにを書いたらいいんだろう」と頭を抱えました。
いや、正確に言うと、書きたいテーマは定まっていたのです。聴こえない親と聴こえる子のことを書こう、と。ただ、それをどんな切り口で書くのか。どこを切り取り、その断面を見せるのか。それに悩みました。
結果、ぼくは深く考えず、いま思っていること、感じていること、伝えたいことを素直に書こうと思いました。そうしてできあがったのが『ろうの両親から生まれたぼくが聴こえる世界と聴こえない世界を行き来して考えた30のこと』です。
ぼくはもともと暗い性格ですし、そのくせ負けず嫌いで他者と張り合おうとする傾向が強いため、理不尽な社会に対する恨みつらみも強く、いまだに怒ってばかりいます。そんな書き手が書いたものは、怒りに満ちたものになるでしょう。だから執筆中はとにかく無我夢中でしたが、諸々の作業が終わり冷静になったとき、ちょっと怖くなってしまいました。とにかく怒ってばかりいる一冊になってしまったのではないか。自分で書いているくせに、おかしいですよね。すみません。
でも、執筆作業の修羅場を抜け、クリアな頭であらためて読み返してみたら、そこにあったのは怒りというよりも哀しみであり、その先にある希望や願いだったのです。もちろん読後感は読者によって異なりますし、それを著者が強制することはできません。
ただ、自分で言うのもおかしいですが、最終話で綴ったエピソードには、聴こえない母と聴こえるぼくとがこれから迎える未来に対しての、希望と願い、そして幸福が詰まっているように感じました。それを読んだ方が、たとえ障害があったとしても幸せに生きることができるのだと感じ取ってくれたらうれしいな、と思っています。
ちょっと話は変わりますが、最近、あらためて手話の学習をスタートしました。こんなご時世なのでオンラインになってしまうのですが、ろう者の先生を相手に、手話の基本のキから学び直しています。先週の授業では、色や数字、自分の名前などの手話を教わりました。ぼくはコーダなのですでに知っている手話も多かった反面、実は理解しているつもりだった手話がホームサイン(手話より複雑ではない、身近な人同士だけでやり取りする手技)だったことが判明したりして、非常に楽しかったです。
どうして手話の学習をスタートしたのか。それはやはり、「自分なりの幸福な生き方を物語りたい」という想いが根底にあるのだと思います。
コーダとして生まれたにも拘わらず、ぼくは長く手話を敬遠してきました。それによって、親子間でのコミュニケーション不全が生まれてしまったのです。
でも、ぼくらは決して不幸ではない。お互いを思い合い、愛し合い、いつだって寄り添ってきた。それを社会にもっと理解してもらうためには、両親ともっとコミュニケーションを取らなければいけない。だとするならば、彼らの第一言語である手話を身につける必要がある。そう思ったのです。
って、なんだか小難しいことをこねくり回すようですが、もっとシンプルに、ぼくは両親とたくさん話がしたいのだと思います。手話を使って、遠慮なく、わかり合いたい。だから、手話学習は「自分を取り戻す」作業のように感じています。そしていつか、手話で生きることの幸せを、広く伝えていけたらいいなと思っています。
さて、長くなってしまいましたが、そろそろ締めますね。
先日のお手紙で、齋藤さんはいよいよ『ろうの両親から生まれたぼくが聴こえる世界と聴こえない世界を行き来して考えた30のこと』を読む、と仰ってくれました。どんな風に感じただろう、なにを思っただろう。齋藤さんがページをめくる姿を想像しては、少し緊張します。
ただ、お手紙をやり取りさせていただいて、あらためて感想を聞く必要はないかもしれない、と思いました。齋藤さんとぼくが目指している場所は、きっと同じだと感じたからです。だから、感想は求めないことにしました。
いまの日本は、さまざまな社会的マイノリティにとって、転換期にあると思います。そして齋藤さんの活動や発信は、社会を変える大きなきっかけになっているとも思います(プレッシャーだったらすみません)。その過程には一筋縄でいかないことも多く、傷ついてしまう場面もあるでしょう。でもそんなときは、思い出してください。立場は違えども、同じ場所を目指す仲間がここにいることを。
追伸:なにか送ってくださるとのこと、ありがとうございます。ワクワクしながら、編集さん経由で住所をお知らせしますね。
五十嵐 大
* * *
齋藤陽道さんからのお返事は、5月7日に公開予定です。
ろうの両親から生まれたぼくが聴こえる世界と聴こえない世界を行き来して考えた30のこと
耳の聴こえない親に育てられた子ども=CODAの著者が描く、ある母子の格闘の記録。
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