定職に就かず、家族を持たず、シェアハウス暮らし。社会的評価よりも自由に生きることを大事にしてきたphaさん。6月5日には新刊『パーティーが終わって、中年が始まる』が発売になります。かつて「日本一有名なニート」ともいわれたphaさんは、どんな生き方を実践してきたのか? 著書『がんばらない練習』よりご紹介します。
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誰にも回収されたくない
夫婦やカップルを見るのが結構好きだ。人間はみんなどこか歪んでたり欠落してたりするものだけど、Aさんの歪みとBさんの歪みが絡み合ってある地点で一つの安定を作っているという様子が面白いのだ。この人は一人だとこんな感じだけど二人だとこんな感じになるのか、こういう安定を作るんだ、意外だ、みたいなことを考えるのが楽しい。
夫婦やカップルでいるところを一回見てしまうと、その後その人が一人でいるところを見たとき、今この人は母艦から射出された状態なんだ、と思う。今は単独行動を取っているからたまたまこんな風だけど、本当は違う姿なんだ、家に帰ると別の顔になるんだ、それが本来の姿なんだ、ということを考えてしまう。
だけど、自分が誰かとつがいでそういう安定を作るということを考えると、抵抗がある。俺は俺のままで誰にも回収されたくない、とか思ってしまう。だから自分はだめなんだろうけど。
夫婦やカップルが顔が似てくる、みたいな現象があるけど、あれもなんか嫌だ。絶対に似たくないと思ってしまう。
異性と少し親しくなると、その状態だと自分が自分らしくいられなくなるような気がして距離を取ってしまったりする。もっと異性と一緒にいることができたら楽だし幸せなんだろうと思うけど、うまくできない。世の中の多くの人は、家族やパートナーがいる状態こそが落ち着くらしいのだけどよくわからない。
結婚で苦労したりしている人の本を読んだりすると、こんなに理不尽を感じているのになぜそんな相手と一緒にいるのだろう、さっさと別れたらいいのに、と思うことがよくある。でも、そこには自分にはわからない大事な何かがあるのだろう。
メンバーは多いほうがいい
誰かと一対一で暮らすのもできないけれど、一人暮らしも寂しくてつらいので、ずっとシェアハウスに住んでいる。
メンバーが複数人いると一対一のときに比べて一人一人との関係性が薄くなる。メンバーは多ければ多いほど一人に対する負担が少なくなって気が楽だ。
家に二人しかいないと、なんでも自分か相手かという二分法になってしまうのがつらい。例えば床にゴミが落ちてたり物が散らかしっぱなしになっていたとき、二人暮らしだと自分がやったのでなければ犯人は相手しかいない。そんな小さなことが積もり積もると、相手の些細な行動にまでだんだんイライラするようになってしまう。
シェアハウスのようにたくさん人数がいると、ゴミを散らかしたのはAかもしれないしBかもしれないしCかもしれない。はっきりわからないのでうやむやになってしまう部分があって、関係が煮詰まりにくい。一人一人と接する時間がそんなに多くないのもよいと思う。
何か揉めたりした場合も、一対一だと紛れがないので激しい揉め事になりやすい。普段溜まっていた感情が爆発したりして、そうすると関係を修復するためには泣いたり叫んだり抱き合ったりといった手続きが必要になったりする。
シェアハウスのように第三者がいる環境だと、人目があるし、第三者が仲介してくれたりもするので、何か揉めた場合もそこまで劇的な手続きを踏まずに収まることが多い。
こんなことを考えるたびに、誰かと一対一で暮らしたりするのは絶対無理だ、と思うのだけど、でも一対一というのは「世界に二人だけ」感みたいな、他では得られない信頼や安心があるのだろう。そういうのに憧れる部分があるから、カップルや夫婦を見るのが好きなのだと思う。僕は無理だけどみんながんばってくれ……。
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がんばらない練習
やる気がわかない、社交が苦手、決めるのが怖い……。仕事や人間関係で疲れたあなたに、そっと寄り添ってくれるのは、京大卒というエリートながら「日本一有名なニート」として幅広い共感を集めるphaさんだ。著書『がんばらない練習』は、そんなphaさんが実践する「自分らしく生きる方法」をつづった一冊。読めば心がふっと軽くなる本書より、一部をご紹介します。