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阿古真理さんの連載「料理ができない!うつ病が教えてくれた家事の意味」が『料理に対する「ねばならない」を捨てたら、うつの自分を受け入れられた。』と題した書籍となって発売されました。作家、そして生活史研究家として精力的に活動している阿古さん。しかし、30代半ばにうつ病を発症しています。それまでは料理を特に苦もなく行っていたにも関わらず、まったくできなくなる事態に。うつ闘病を通して、「食とは何か」「家庭料理とは何か」を発見していった阿古さんの体験的ノンフィクションを、精神科医の香山リカさんが読み解きます。

うつ病になんてならない方がいいに決まってる。とはいえ、いくらなるまいとしても、予防に気をつけていても、誰もがなるときはなってしまう。それが、うつ病だ。

でも、おそれすぎることはない。ひとは必ず、うつ病から立ち上がれる。たとえ時間はかかっても。そしてさらに、立ち上がるときにはそれぞれが「うつ病にならなければわからなかったこと」をちゃんと手にしているのだ。

この本には、まさに「うつ病になった食文化ジャーナリストだからこそ気づけたこと」が、最初から終わりまでみっしりと詰まっている。仕事柄、食に対する興味はひと一倍で料理も好きなはずなのに、献立が決められなくなる。買いものに出ても、食材が選べない。とくに種類が豊富な野菜を買うときなど、「シシトウとピーマンのどちらを選べばいいのか」がわからなくなる。

逆に、八百屋で「旬の目新しさに惹かれて」買いものができるようになって、うつ病からの回復を感じる。でも、ちょっと違った種類の食材を買えば買ったで、「いつもの皿に入りきらない」となるとパニックに陥る。少し気分のよいときに一念発起してお好み焼きを作ろうとして、「頃合いを見てひっくり返す」のがいまの自分にはむずかしいとわかり、またパニックに。料理を通して著者は、「回復してからも病状は一進一退」と身をもって知るのだ。

これらは、これまで診察室でうつ病の人たちから聞いてきた話とも重なっていた。私はよく、そんな人にこう声をかけていた。「手の込んだものを作るのはもっと先にして、スーパーのお弁当ばかりじゃどうしてもイヤなら、食材をポンポン放り込む鍋はどうですか?」。

しかし、本書で「鍋をすると倒れた」ということばを見て、ドキリとした。鍋は手順こそ簡単だが、食材を足しつつ煮込むことになりがちなので、食卓についている時間がけっこう長い。椅子に座り続ける体力がない頃の著者は、途中から「台所の床に倒れ込んでしばらく寝転がって」いたというのである。「そうか、作り方はシンプルでも食べるのに時間とエネルギーがかかる料理は、うつ病ではNGなんだ」と私は教えられた。

そして本書がすぐれているのは、単に「うつ病にかかった料理好きのリアル」が描かれているからだけではない。著者は自らのつらい体験を通して、料理というもの全般に関しての気づきをたくさん得ているのだ。

たとえば、母親の影響もあり「毎日きちんと手づくりしなければ!」と思っていたが、うつ病の経過中、母との関係を切ることでその思い込みから解放される。すると、夫とときどき出かける外食で気分転換ができるようになる。即席の弁当を持って近所の公園で食べるだけで、日常から自分を切り離しての「至福の時間」が感じられる。ふだんはシンプルな料理が中心でも、たまに珍しい食材や調味料を買うことで、日常がイベント化して楽しくなる。これらは、うつ病とは直接、関係なく、料理をしたりしなかったり、やり方をちょっと変えたりすることが、私たちの日々の生活のアクセントや思わぬ癒しのヒントになると気づかせてくれる。

「息抜きで外食してもいいんだ」と気づいたあとで、著者はこう考える。「『~ねばならない』という心の縛りを、『それは絶対なのか?』と問い直すことが必要なのかもしれない。」著者にとっての“心の縛り”の多くは料理と関係したことであったが、人によってそれは違うだろう。掃除や洗濯などの家事、夫婦や親子の関係、仕事のやり方から趣味の身につけ方に至るまで、それぞれがそれぞれの“心の縛り”にとらわれ、「こうしなければ」と自分にプレッシャーをかけ、それ通りにいかないときは「ダメじゃないか」と自分で自分を責めている。「うつ病は予防しきれない」と冒頭で述べたが、この“心の縛り”が強くて自分に厳しい人ほどうつ病になりやすいという傾向は、たしかにあると思う。

もちろん、だからといって「なんでも好き勝手にやってよい」というわけではない。著者も“心の縛り”から解き放たれ、うつ病が回復に向かい、「料理を楽しめるようになった」とのことで手の込んだオーブン料理などを作っているようだ。多くの人は、自分を解放したからといって、「もうどうでもいいや」と以前とはまったく違った人になってしまうことはないのだ。

うつ病の人にはもちろん、そうではないけれど料理のことが悩みの種という人、そして、自分が何かの“心の縛り”にとらわれているかもと思っている人にも、ぜひ本書を読んでほしい。著者のやさしい語り口はきっと読む人の心をやさしく解きほぐし、「何か食べたいな。そうだ、今日はおにぎり作って公園に行こうかな」と胃や手足もそっと刺激してくれるのではないだろうか。

関連書籍

阿古真理『料理に対する「ねばならない」を捨てたら、うつの自分を受け入れられた。』

36歳、うつ発症。 料理ができなくなった 食文化のジャーナリストが 発見した22のこと。 家庭料理とは何か。 食べるとは何かを見つめた 実体験ノンフィクション。

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