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本屋の時間

2021.05.15 公開 ポスト

第110回

猫シャツの男の子辻山良雄

最近、本棚のまわりに立っている人を見て、「もしかして店にくる人が変わった?」と不意に思った。みなマスクをしているから自信はないが、明らかに初々しい人が増えているように見える。

 

「最近この辺りに越してきたばかりで、散策していたらこの店を見つけました。面白そうな本がたくさんありますね」

会計のあと、そう興奮気味に話してくれた男性がいた。どこに行くにしても前もって調べてからといったいま、たまたまという体験自体がほんとうに尊い。またきますといって彼は帰っていったが、それを見ていると数年前によくきていた若い男性客のことを思い出した。彼は元気で仕事を続けているのだろうか。

最初にきた時は、自分で作っているフリーペーパーの取材だったように思う。大学生という割には質問が本格的で、後日送られてきた冊子には、取材のお礼を丁寧に記した自筆の手紙が添えられていた。

彼が毎週のように店にくることになったのは、それからしばらく経ってからだ。店内に視線をやるといつの間にかそこにいて、毎回一時間くらい店内を見渡したあと黙って会計を済ませ、フレンチトーストを食べて帰る。彼は特に何も話さなかったし、わたしから話しかけることもなかったが、その丸まった、少し寂しそうな背中が印象に残っていた。

「あの猫シャツの子。いっぱい本を持っていたから、あなたの代わりに品出ししてくれているのかと思っちゃった」

妻がそのように笑って話すくらい、本をたくさん抱えていたときもあった。猫シャツの子とは、彼はよく猫柄の開襟シャツを着ていたからなのだが、「そういえばあのフリーペーパーはまだ続けてるの?」とある日会計の時に聞いたら、「覚えてくれていたのですね……」とはにかみながら消え入りそうな声でつぶやいた。なかなか就職先が決まらなかったが、印刷会社に内定がもらえたそうだ。

彼が帰ったあと、「ちょっと、これ……」と妻がいうので何かと思ったら、「いつも美味しいフレンチトーストをありがとうございます」とやさしい字で書かれたメモが、皿の下に挟まれていた。生きることに不器用な子もいまだたくさんいるのだ。

われわれが「坊っちゃん」と呼んでいる青年は、毎週金曜日の開店直後にやってくる。まだ社会人になって間もないようで、この辺りでは見かけることの少ない、折り目正しいスーツが目にまぶしい。彼は絵が好きなのか、店に入りカフェで注文をしたあと、決まって二階のギャラリーに上っていく。

金曜は展示の初日にあたることが多く、そうした時には作家が在廊することもあるから、彼はその度にはじめて知った作家さんと話をする(昼休みにアーティストと話すのって、すこし贅沢かもしれない)。一度nakabanさんにスケッチブックを見せて励まされていたことがあり、坊っちゃんは自分でも絵を描くのかとその時は驚いた。

そういえば最近姿を見せないなと思っていたところ、この前の休日店にやってきた。久しぶりに見た彼は髪が少し伸びて、なぜか作務衣のようなものを着ていたので、お寺の雲水にでもなったのかと思った。

聞けば東京の西の方に転勤になったそうで、「この服で出歩くのも親にはやめてくれといわれてるんですけど」と苦笑いした。服の裾には絵の具がべったりと跳ねていて、ああ、描くことは続けているんだと、それを見てうれしくなった。

 

今回のおすすめ本

私が望むことを私もわからないとき』チョン・スンファン 小笠原藤子訳 ワニブックス

本は黙っているように見えるが、問いかければいつも答えてくれる。韓国で書評サイトを運営する著者が、あなたに寄り添う文章をエッセイとともに紹介する一冊。

◯連載「本屋の時間」は単行本でもお楽しみいただけます

連載「本屋の時間」に大きく手を加え、再構成したエッセイ集『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』は、引き続き絶賛発売中。店が開店して5年のあいだ、その場に立ち会い考えた定点観測的エッセイ。お求めは全国の書店にて。Title WEBSHOPでもどうぞ。

齋藤陽道『齋藤陽道と歩く。荻窪Titleの三日間』

辻山良雄さんの著書『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』のために、写真家・齋藤陽道さんが三日間にわたり撮り下ろした“荻窪写真”。本書に掲載しきれなかった未収録作品510枚が今回、待望の写真集になりました。

○2024年11月15日(金)~ 2024年12月2日(月)Title2階ギャラリー

三好愛個展「ひとでなし」
『ひとでなし』(星野智幸著、文藝春秋刊)刊行記念

東京新聞ほかで連載された星野智幸さんの小説『ひとでなし』が、このたび、文藝春秋より単行本として刊行されました。鮮やかなカバーを飾るのは、新聞連載全416回の挿絵を担当された、三好愛さんの作品です。星野さんたってのご希望により、本書には、中面にも三好さんの挿絵がふんだんに収録されています。今回の展示では、単行本の装画、連載挿絵を多数展示のほか、描きおろしの作品も展示販売。また、本展のために三好さんが作成されたオリジナルグッズ(アクリルキーホルダー、ポストカード)も販売いたします。

※会期中、星野さんと三好さんのトークイベントも開催されます。
 

【店主・辻山による連載<日本の「地の塩」を巡る旅>が単行本になりました】

スタジオジブリの小冊子『熱風』(毎月10日頃発売)にて連載していた「日本の「地の塩」をめぐる旅」が待望の書籍化。 辻山良雄が日本各地の少し偏屈、でも愛すべき本屋を訪ね、生き方や仕事に対する考え方を訊いた、発見いっぱいの旅の記録。生きかたに仕事に迷える人、必読です。

『しぶとい十人の本屋 生きる手ごたえのある仕事をする』

著:辻山良雄 装丁:寄藤文平+垣内晴 出版社:朝日出版社
発売日:2024年6月4日 四六判ソフトカバー/360ページ
版元サイト /Titleサイト

◯【書評】

『アウシュヴィッツの小さな厩番』ヘンリー・オースター [著]/デクスター・フォード [著]/大沢 章子 [訳](新潮社)ーーアウシュヴィッツを含む3つの強制収容所を生き延びたユダヤ人が書き残した悪夢のような日常とは? [評]辻山良雄
(Book Ban)

『決断 そごう・西武61年目のストライキ』寺岡泰博(講談社)ーー「百貨店人」としての誇り[評]辻山良雄
(東京新聞 2024.8.18 掲載)

◯【お知らせ】

我に返る /〈わたし〉になるための読書(3)
「MySCUE(マイスキュー)」

シニアケアの情報サイト「MySCUE(マイスキュー)」でスタートした店主・辻山の新連載・第3回が更新されました。今回は〈時間〉や〈世界〉、そして〈自然〉を捉える感覚を新たにさせてくれる3冊を紹介。

NHKラジオ第1で放送中の「ラジオ深夜便」にて毎月本を紹介します。

毎月第三日曜日、23時8分頃から約1時間、店主・辻山が毎月3冊、紹介します。コーナータイトルは「本の国から」。1週間の聴き逃し配信もございますので、ぜひお聞きくださいませ。

関連書籍

辻山良雄『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』

まともに思えることだけやればいい。 荻窪の書店店主が考えた、よく働き、よく生きること。 「一冊ずつ手がかけられた書棚には光が宿る。 それは本に託した、われわれ自身の小さな声だ――」 本を媒介とし、私たちがよりよい世界に向かうには、その可能性とは。 効率、拡大、利便性……いまだ高速回転し続ける世界へ響く抵抗宣言エッセイ。

齋藤陽道『齋藤陽道と歩く。荻窪Titleの三日間』

新刊書店Titleのある東京荻窪。「ある日のTitleまわりをイメージしながら撮影していただくといいかもしれません」。店主辻山のひと言から『小さな声、光る棚』のために撮影された510枚。齋藤陽道が見た街の息づかい、光、時間のすべてが体感できる電子写真集。

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本屋の時間

東京・荻窪にある新刊書店「Title(タイトル)」店主の日々。好きな本のこと、本屋について、お店で起こった様々な出来事などを綴ります。「本屋」という、国境も時空も自由に超えられるものたちが集まる空間から見えるものとは。

バックナンバー

辻山良雄

Title店主。神戸生まれ。書店勤務ののち独立し、2016年1月荻窪に本屋とカフェとギャラリーの店 「Title」を開く。書評やブックセレクションの仕事も行う。著作に『本屋、はじめました』(苦楽堂・ちくま文庫)、『365日のほん』(河出書房新社)、『小さな声、光る棚』(幻冬舎)、画家のnakabanとの共著に『ことばの生まれる景色』(ナナロク社)がある。

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