今、最高にアツい小説家・伊岡瞬さん。
『代償』『悪寒』『赤い砂』……そして間もなく発売になる最新刊『仮面』他、話題作が多数ある中で、あらためておススメしたいのが『もしも俺たちが天使なら』。
他人のものを、命懸けで守る。人生、たまにはそんなことがあってもいい―ー。そんな気持ちにさせてくれる痛快&爽快な本作。
謎の美女がいる屋敷でシャワーを浴びながら、涼一が思い出していたのは、かつて世話になった刑事のことだった。
* * *
JR大崎駅近くの路地裏で、ちんぴら三人組にからまれて、逃げる間もなく袋叩きにされた。通りかかる人はいない。いたのかもしれないが近寄ってこない。三人はクスリでもキメているのか、まったく手加減、いや足加減なしだ。涼一は体を丸め急所をかばいながらも、命の危険すら感じはじめていた。
そのとき、ひとりの男が助けに入った。みごとな立ち回りで、あっという間に三人をのしてしまった。三人はこけつまろびつという体(てい)で逃げてゆく。救いの神は、涼一の礼を待たずに背中を向けた。
ありがとうございました、と涼一が声をかけると、振り返った男が値踏みするように涼一を睨んだ。
「おれのシマで仕事はするな。こんど顔を見たら”パクる”」
ただそれだけ言って歩き去った。しばらく立ち上がるのも忘れて、後ろ姿に見とれていた。
それが南大崎署に転属になって間もない染井義信だった。
面識があったわけではないし、染井のほうで涼一を知っていたとも思えない。だが、わずか数秒で涼一の素姓を見抜いたのだ。有能な人物は大好きだ。それがたとえ敵側の人間であっても。
いつかこの借りを返し、お近づきになっておこうと思った矢先に、世間をゆるがすとんでもない事件が起きた。
涼一を救った四日後、染井はふたたび人通りの少ない道で、三人の若い男がひとりの若者を足蹴にしているところに出くわした。涼一の一件があったばかりで、またか、という思いがあったかもしれない。涼一がほんのわずかでも負い目を感じるのはその点だ。
染井は仲裁に入って、三人の首根っこをつかまえた。暴行を加えていた側の三人は訴えた。
「あいつのほうから、つっかかってきやがったんだ」
「わけわかんねえこと叫んでた」
染井は耳を貸さず、三人を追い払った。目を離した隙に、助けてやった若者もいなくなった。
その二日後、南大崎署管内で、通り魔殺人事件が起きた。
商店街の路上で、若い男がいきなり意味のわからないことをわめきだした。ショルダーバッグから大型のナイフを取り出し、居合わせた通行人に切りかかった。ほとんどは無事だったが、ベビーカーを押していた若い母親が逃げ遅れた。犯人は、赤ん坊をかばう母親の背中にナイフを突き立てた。彼女は、息絶えるまでわが身に代えて乳児をかばい続けたが、結局は赤ん坊も犠牲になった。
通報を受けて駆けつけてきた警察官と通行人の協力で、犯人はその場で逮捕された。犯行に使われたのは、刃渡り二十センチもある短剣型ナイフだった。
犯人は二十歳の無職青年で、精神科に通院歴のあることがすぐにわかった。投稿サイトにさらされた犯人の顔写真を見た若者三人が、この男に見覚えがあると警察に届け出た。それは、染井が追い払った三人であり、救ってやった若者こそが通り魔犯だった。
事実関係がマスコミで叩かれ、染井は警察にいられなくなった。
もちろん涼一にとっては、すべてあとから知った事実だ。
シャワーを浴び終えリビングに戻ってみると、誰もいなかった。
二階から、かすかに声と物音が聞こえる。組体操でもはじめたのかもしれない。
サイドボードに並んでいる洋酒の中から、一番値の張りそうなスコッチを選ぶ。グラスに琥珀(こはく)の液体を半分ほど満たし、高級ソファに身をあずけた。テーブルに並んだ料理をふたつみっつつまみ、アイスペールの中のほとんど溶けかかった氷をひとつかみグラスに入れた。
顔をしかめて、琥珀色の液体を飲みくだす。
大漁の予感に乾杯、とひとりごちたとき、また染井の顔が浮かんだ。
公園で手助けしたことで、染井に対する借りは返せただろうか――。
いや、足りない。ぜんぜん足りない。
ふたたび、喉を鳴らしてスコッチを飲む。冷たい液体が、喉を焼きながら胃に落ちた。染井の生気のない目がちらつく。夜目ではっきりとはわからなかったが、くたびれたスーツを着ていた。しかも、ずいぶん生地が薄そうだった。
気になりだすと、つぎつぎ連鎖的に想像がふくれる。どう考えても、このあたりの住人ではないだろう。すっかり日の落ちた時刻になって、あの公園でなにをしていたのか。
「だめだ、気になってしかたない」
涼一は、グラスに残ったスコッチをひと息であおると、座り心地のいいソファから立ち上がった。
夜の静かな庭に、涼一のくしゃみの音が響いた。はなをすすりあげると、ドーベルマンが寄ってくる。
「無駄にだだっ広い風呂場のせいで湯冷めしたかな。――なあ、レックスにマックス」
別れの挨拶代わりに、寄ってきた犬たちの鼻や頭を撫でてやる。されるがままで気持ちよさそうだったが、急に鼻先に皺を寄せ唸りだした。唇がめくれ、牙がのぞいている。
「どうしたレックス、いやおまえはマックスか。外になにかいるのか」
門を開け、顔を出してようすをうかがった。
すぐ近くで揉み合っているふたりの男がいた。すばやく観察すれば、ひとりがもうひとりの首根っこをつかまえて、敷島邸から遠ざかっていくところだ。押さえているほうは、あろうことか染井だ。つかまっているのは、黒っぽいジャンパーに黒っぽいズボン、手際の悪いコソ泥といった雰囲気だ。犬たちに座れと命じておいて門を出た。そっとあとをつける。
「てめえ、離せこら」ジャンパーの男がもがいている。
「いいから、ちょっとそこまで来い」
「なにもしてねえだろ」
「さっき塀に吹き付けたのはなんだ」
襟ぐりをつかまれた男は、手にしていたスプレーの先を染井に向けて、いきなり噴射した。しかし、染井ははじめから予測していたようで、すっと左に体をかわし、男の足を払った。缶がアスファルトに落ちる甲高い音がしたと思った次の瞬間には、男も道に寝そべっていた。
染井が振り返りもせずに声をかけてきた。
「スプレー缶を拾ってくれ」
涼一の存在に気づいていたようだ。
「あ、はいはい」
染井は、ねじ上げた男の腕を押して歩きだす。
「どこへ行くんです」
「このあたりは声が響く。もう少しひとけのない場所だ」
「さっきのガキどもや警官、いませんかね」
「どっちでもいい」
後ろ手に捕えられた男は、最初こそ悪態をついていたが、そのたびに染井に腕をひねり上げられて、とうとう静かになった。
あらかじめ調べてあったのか、すぐ近くに更地になっている一角があった。染井が男を押すと、男はつんのめって草むらに両手をついた。染井が低めの声で告げる。
「おまえの住まいも家族構成もわかっている。さっき、スプレーを吹き付けた瞬間の写真も撮った。二度と彼女に近寄らないと約束すれば、警察には届けない、賠償金も請求しない。その代わり、あと一度でも、彼女の視界に入ったら、仮にそれがスカイツリーの展望台からのぞいた双眼鏡の中だったとしても、ただではおかない。意味がわかるか」
男はふくれつらをしている。
「意味がわかるかと聞いている」
「わかんねえな」ぷいっと横を向いた。
「利口な馬は、鞭を見ただけで走るというが」
染井は涼一から受け取ったスプレー缶を、手のひらでくるりと一回転させ、側面をいきなり男の顔面に叩きつけた。
だいぶ手加減はしたようだが、それでもふてくされていた男は仰向けに倒れ、鼻を押さえてうめいた。男のすぐ脇に、染井が白い封筒を投げる。落ちる音を聞いて、万札で二十枚、と涼一はあたりをつけた。
「それで酒でも飲んで忘れろ。二度と来るな」
「ひまへん、もうひまへん」と男は詫び続けた。
もしも俺たちが天使なら
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