今、最高にアツい小説家・伊岡瞬さん。
『代償』『悪寒』『赤い砂』……そして間もなく発売になる最新刊『仮面』他、話題作が多数ある中で、あらためておススメしたいのが『もしも俺たちが天使なら』。
他人のものを、命懸けで守る。人生、たまにはそんなことがあってもいい―ー。そんな気持ちにさせてくれる痛快&爽快な本作。
気づけば、詐欺師の手伝いをしていた捷だがーー。
* * *
「ありがとう、無事に契約できそうだ。また次もよろしく」
篠田夫妻と別れたあと、さっそく松岡に礼を言った。内心では、これでもう三組目なのだから、もう少しせりふをうまく言ってくれよと注文をつけたい。だが、機嫌をそこねて手伝ってもらえなくなるのは痛手だ。
このノーブルな顔つきとアンバランスな暴力的雰囲気は、決して演技では出せない。「非行を重ねた果てに真人間になった」というストーリーには欠かせないキャラだ。
「はいこれ、約束の十万」
「お」
無愛想にうなずいて、封筒に入った礼金をたしかめもせず、ポケットにねじ込む。
それじゃあまた電話すると別れかけたところで、松岡のほうから声をかけてきた。
「ちょっといいか」
足を止め、その先を待っていたが、めずらしくもじもじとした感じでことばが続かない。
「なんか、用事でもある?」
松岡はようやく心を決めたように、小さく二度うなずいた。
「頼みがある。手助けしてくれたら、次からギャラはいらない」
それは聞き捨てならない。金のことはともかく、松岡に貸しができるなら多少の無理は聞いてやりたい。
「どんな仕事かな。総理大臣の娘でも口説くのか」
「そんなんじゃねえ。ぶどう農家から男をひとり追い出してほしい」
少しのあいだ、そのことばが持つ裏の意味を考えた。しかし、耳から入ってきた以上の意味は浮かんでこない。
「その男は、たとえばアンドレ・ザ・ジャイアントみたいに巨体なのか」
「誰だそれ」
「だったら、ジャック・ザ・リッパーみたいに危険なやつか」
「だから、誰だよそれ」
「とにかく、捷ちゃんが追い出せない男を、ぼくが追い出せるとは思えないんだけどね」
松岡は足元に視線を落とし、ふっと笑った。
「暴力を使うなって言われてんだ。しょうがねえだろ」
「なるほどね」
ふたつの意味で興味深かった。
ひとつは、この松岡捷が、知り合って間もない詐欺師に頼みごとをしなければならないほど困っているという事実。そしてもうひとつは、そんなにまで松岡を困らせた依頼主の正体だ。
「喜んで協力させてもらうよ。ボディガードに囲まれた石油王の息子だろうと追い出してやる。すぐそこにあるビヤホールで詳しく聞こう」
仏頂面をしていた松岡の口もとに、ようやく笑いが浮かんだ。
7 捷
松岡捷のもとを、茉莉(まり)が突然たずねてきたのは、先週のことだった。
捷は敷島の家を追い出されたあと、下北沢の実家に住んでいる丸山の部屋に、しばらく転がり込むことにした。
絵美にもらった軍資金がある。それに、どこをどう丸め込まれたのか思い出せないのだが、気づけば、半殺しにするはずだった谷川と組んで詐欺の片棒を担がされているので、当面の金には困っていない。
とにかく、先のことも難しいことも考えたくない。その夜も、丸山と、仲間内では一番がたいのいい小池と三人で、渋谷のクラブへ遊びに行った。小池に区立図書館で借りてもらった本を受け取るついでもあった。
地下にあるクラブに入ろうと階段を降りかけたとき、入口近くで数人が揉めているのに気づいた。丸山と小池は、そのまま階段を降りていく。
ひとりの女を、若いサラリーマン風の男三人が、ナンパしているところらしい。女は、どう見てもいやがっている。捷は、女の顔に見覚えがあることに気づいた。女も捷を見た。
「なんだおまえ。あっち行けよ」
捷と女が見つめ合っていることに気づいた三人組のうちのひとりが、頭をゆすりながら顔を近づけてきた。三対一なので気が大きくなったのかもしれない。かなり酔っているようにも見える。ほかのふたりが肩をつかんで止めようとするが、男はさらに一歩踏み出した。
「行けっての」
「その子、いやがってるみたいだけど」
「うるせえ、おまえに関係ないだろ」
男が勢いをつけて、反らせた胸をぶつけてきた。はずみで捷は一歩後退し、小池から受け取ったばかりの本を落としてしまった。ページがめくれて、シャチが大きくジャンプした瞬間の見開き写真が見えた。
「なんだ、魚図鑑か?」
男の息から、アルコールと焼き肉と煙草の臭いがした。けっ、と吐き捨ててふたたび女に向きなおった。
「ねえ、カノジョ——」
捷は本を拾い上げ、汚れを払い落とした。角が少しへこんだようだ。せっかく借りた本に傷をつけてしまった。
捷がその肩に手をかけると、男はなんだ、と言いながら振り返った。
「シャチは魚じゃねえ」
「は?」
男の顔の中心に額を打ちつけた。男は鼻を押さえ、しゃがみこんだ。頭を小さく振ってうめいている。指のあいだから、くぐもったうめき声が漏れ、鼻血が染み出してきた。
「なにすんだ」
「警察呼ぶぞ」
残りのふたりが、顔色を変えて捷に詰め寄る。捷はそれを無視して、女に視線を戻した。
「こんにちは、お久しぶり」女のほうから先に挨拶してきた。
「おい、おまえ、なんとか言えよ」
スーツ姿のひとりが捷に手を伸ばしかけたとき、いつのまにか戻ってきた小池が、脇からその腕をつかんだ。
「あいたたた」男が顔をしかめる。
もうひとりがポケットからスマートフォンを出すと、すかさず丸山が手で払った。それはくるくると飛んで、歩道に落ち、じゃれあいながら通りかかった若いカップルの女のかかとにぐしゃりと踏まれた。女は、げっナニこれ、と顔をしかめそのまま去っていった。
「あ、ああっ」
スマートフォンの持ち主があわてて拾い、泣きそうな顔で調べている。
「お兄さんたち。あんまりしつこいと、二度とこのへんで遊べなくなるよ」
丸山が、淡々とした口調で言う。隣で巨体の小池が腕組みをしている。
睨み合いになったのは、ほんのわずかな時間だった。怪我をしてないふたりが、鼻血を流している男を両脇から抱えるようにして、足早に去っていく。「警察に行こうぜ」と話しているのが聞こえた。
「どうする、あれ」
小池が、三人の背中を睨みながら、捷に聞く。警察に行かせていいのか、という意味だろう。一方的にからまれたと訴えるに決まっている。
「ほっとけよ。どうせ、行きゃしねえよ」
捷は、女に視線を向けたまま応えた。
「そうだな。それより捷ちゃん。こっちのカノジョ、知り合いか」丸山が、ひやかすように肩をぶつけてきた。
「ああ、ちょっとな」
「ねえカノジョ、タレントの麻亜沙に似てるって言われるでしょ」
なれなれしく話しかける丸山に、女は苦笑してそんなことないですと応えた。
「うるせえ、よけいなこと言うな」
「とにかく、一緒に入ろうぜ」
「悪いけど、先に行っててくれ」手にしていた写真集を小池に渡した。「持っててくれないか」
「おいおい、抜け駆けかよ」丸山が口を尖らせる。
「そんなんじゃねえよ」捷がそっけなく応える。
丸山は、捷と女を交互に眺めたあと、にやっと笑った。
「わかりました。どうぞごゆっくり。おい小池、おじゃま虫は行こうぜ」
丸山が小池を誘って階段を降りていった。
「茉莉、なのか」
「そうよ」
「こんなところでなにしてる」
女は、捷の問いに応えず、にこりと笑った。十年ぶりに会う、妹の茉莉だった。
少しだけきつい印象の目と、口角をあげて微笑む癖は、昔と変わっていない。
「立ち話もなんだから、お茶でもしない」
茉莉は、十年ぶりに会ったというのに、当時よりも慣れた口をきいた。
誘われるまま、最初に目にとまった喫茶店に入った。
「さっきの本、シャチの写真集?」
茉莉が、ミルクをほんの少したらしただけのコーヒーにスプーンを入れながら、上目遣いに見る。
「あ、あれか。あれは小池のだ」
「ごまかさなくたっていいじゃない」
「知らねえよ」
茉莉はくすくすと笑ったが、それ以上は追及しなかった。捷よりふたつ年下のくせに、むしろ年上の落ち着きがある。捷は、落ち着かない気分のときの癖で、ついペンダントヘッドに触りそうになって、あわてて思いとどまった。
茉莉はコーヒーに口をつけ、ほっと息を吐いた。
「捷兄さんの行きつけの店、やっと見つけた」
「捜したのか」
「あたりまえじゃない。こんな偶然の出会い、あるわけないでしょ」
捷も、まあなと少しだけ笑って、アイスココアのストローに口をつけた。
「捷兄さんは、相変わらずね」
茉莉が、頭突きの真似をした。さっきの喧嘩のことをからかっているらしい。捷は、ふんと笑った。
「そっちは、だいぶ変わったな」
「そうかな」きれいに整えた眉を寄せて、茉莉は首を小さくかしげた。
もしも俺たちが天使なら
偶然出会った3人の前に、「変な男に実家が乗っ取られそう」と捷の妹が現れたのが、すべての始まりだった―。この闘いは、大金のためか、友情のためか―。“詐欺師”+“ヒモ”+“元刑事”=“正義の味方”!?野良犬みたいなイケメン小悪党トリオが、人助けのために凶悪組織に立ち向かう。
人気作が続出! 今、最も注目の作家の痛快クライムノベル。