今、最高にアツい小説家・伊岡瞬さん。
『代償』『悪寒』『赤い砂』……そして間もなく発売になる最新刊『仮面』他、話題作が多数ある中で、あらためておススメしたいのが『もしも俺たちが天使なら』。
他人のものを、命懸けで守る。人生、たまにはそんなことがあってもいい―ー。そんな気持ちにさせてくれる痛快&爽快な本作。
怪しげな男が棲みついていると聞いて、涼一に実家まで連れてきてもらった捷だが……。
* * *
8 涼一
谷川涼一は、いくつか手がけていた”仕事”がひと区切りついたので、ようやく今日、松岡も誘って現地視察に来ることができた。
すでに、単身で二度下見に来ているが、松岡と同行するのははじめてだ。
車は、詐欺仲間の本堂という男に借りた。
本堂は、広い意味での結婚詐欺師だ。セレブ向け婚活パーティーをあちこちで主催し、息のかかった美女を潜り込ませ、男から金を巻き上げる。その手法は、昏睡強盗や美人局(つつもたせ)とあまり変わらないのだが、一度も検挙されたことがない。保険代わりに、毎回かならず警察関係者か主要省庁のキャリアをパーティーに呼ぶからだ。多少のことでは表沙汰にしたがらないように。
本堂とは、競合しない”カモ”をゆずりあったりする仲だ。
涼一は白いレクサスのエンジンを切り、ドアを開けた。
降り立った瞬間、どこかでうぐいすの鳴く声が聞こえた。
このあたりは標高五百メートルちょっとのはずだが、視界を遮るものがないので、かなり見晴らしはいい。
涼一は軽く伸びをしてから、丘の下へ目を転じた。いま通ってきた道が、筋になって見えている。農作業用らしき軽トラックがのんびり走っていく。ついさっきまでいた都心の雑踏から、車で一時間半ほどの場所とは思えないのどかさだ。
「さてと」
涼一は腰を折って、車内へ顔を突っ込んだ。
「捷ちゃん、着いたぜ。そろそろ起きてくれ」
助手席のシートをめいっぱい倒していびきをかいていた松岡捷が、両手をあげて大きなあくびをした。
その長身を折り曲げるようにして、車から降り立った松岡は、もう一度派手なあくびをした。その気配に驚いたのか、近くの木から鳥が飛び立った。
「くそう、よく寝た」
はたからは機嫌がいいのか悪いのかよくわからない松岡が、仕立てのいいスラックスのポケットに両手を突っ込んだまま、周囲を睨みまわしている。
「へっ、相変わらず田舎だな」口から漏れたのは、そんな愛想のないせりふだった。
「十年ぶりなんだろう? 懐かしくないのか」涼一がたずねる。
こんどはかっこうが鳴いた。
松岡が、「いまの、聞こえただろ」という顔で涼一を見た。
「こんなど田舎、百万年経ったって懐かしくなんかねえよ」
「そうかな、たまにはこんなのどかな土地での仕事も悪くないけどね」
涼一は笑いながら、白い建物を指差した。
「あれが、松岡さんの家かな」
涼一たちがいま立っている場所から見下ろす位置に、洋風のわりと大きな家が建っている。白い壁と黒い屋根が見えている。この家にかぎらず、ぶどう農家は大きな造りが多いようだ。
松岡が、白い家に投げかけていた視線を、涼一に向けた。
「たぶんな。見るのははじめてだ。——どうせ調べはついてるんだろう」
「まあね」
涼一は肩をすくめた。
もちろん下調べは済ませてある。白い家の築は九年、つまり、松岡がこの地を去ったすぐあとに建てられた。
職業がら、家屋の値踏みは得意だ。大手企業ではなく、地元工務店への注文建築だろう。土地の広さや家業の規模に比べれば、豪華すぎるというほどではない。
母屋以外にも、敷地内には、農作業具の収納場所を兼ねた作業場だとか、人が住んでいそうな離れだのがいくつか見える。全体的にごく平凡な印象を与えるが、いくつか引っかかる点もある。
たとえば、ここからは見えないが屋根付きガレージの中に、シルバーに輝く真新しいベンツが停まっている。最上級グレードで、車体価格だけで二千万以上する高級車だ。
「松岡家はこのあたり一帯のぶどう畑を所有してるってことで、いいのかな」
涼一は、視線を周囲のぶどう棚に向けた。
松岡は、ああ、と応えて、面倒くさそうに首をぐるりと回した。
「こっち側に見える畑は、ほとんど全部のはずだ」
「へえ。日本の平均的なぶどう農家っていうのが、どの程度の規模か知らないけど、けっこう広いね」
「まあな。ここらでは、広いほうだと思う。だけど——」
めずらしく、松岡が言い淀んだ。涼一は、それを聞き逃さない。
「なにか、気になることでも?」
松岡が、足元の小石を蹴り飛ばした。石は、大きな弧を描いてぶどう棚の中に落ちた。
「こらこら、だめだよ。せっかく”松岡さん”が丹精したものなんだから」
涼一がたしなめると、松岡捷は石の落ちたあたりを顎で指した。
「昔は、こんなところまでなかった」
「なにが?」
「野菜とかは作ってたけど、ぶどう棚はなかった」
「つまり、作付け面積を増やしたってこと?」
「たぶんな」
涼一は腕組みをして、以前はなかったというぶどう畑を眺めた。やはり、本人を連れてきてよかった。地図や登記簿からはわからない事情を聞ける。
「これだけの規模だと、資産は億の単位ってところかな」
「おれは知らない」
すねているのではなく、本当に興味がなさそうだ。
もったいない。おれが全部もらっちまうぞ、という気持ちがふつふつと湧き上がる。
いや——。
今回はやめておこう。手助けすると約束したのだ。この若者には、利用価値を度外視してもなぜか見殺しにできない魅力がある。面倒を見てやりたくなる資質を持っている。才能と呼んでもいいかもしれない。だからこそ十年間も、住所不定無職で生きてこられたのだろう。
「あそこに、作業している人たちがいるね」
少し離れたところに、ぶどう棚の手入れをしている一団がいる。頭数は六人、ほおかむりからサンバイザーを突き出したおばさんと、キャップをかぶったおじさんたちだ。
「捷ちゃんの知り合いかな」
目を細めて睨んでいた松岡が、いや、と応えた。
「見たことがない」
「手伝いを頼んだのかもね。ところで、問題の男はいないようだね」
「いねえな」
松岡はさっきからしきりに、指先で胸元のペンダントヘッドを触っている。どうやら癖らしい。あるいは、なにかのお守りなのか。
時計を見ると、ちょうど頃合いだ。
「そろそろ行こうか」
JR中央本線山梨市駅から車でほんの数分、笛吹川を見下ろす場所に『やまなし中央病院』は建っている。
かつては『国立病院』、いまは『独立行政法人国立病院機構』という長ったらしい名の組織に変わったが、いずれにせよこのあたりで一番大きな病院だ。白く清潔感のある病棟が、のどかな景色に妙に溶け込んでいる。
ここが、松岡捷の妹、茉莉の勤務先だ。
涼一は、外来用パーキングに車を停めた。休憩になった茉莉が出てくるのを降りて待つ。五月の風が頬に気持ちいい。十分ほどして、職員用通用口から出てきた若い女が、涼一を見つけ小走りにやってくる。
「茉莉さんですか」
「はい。はじめまして」茉莉がさっとおじぎをした。
松岡を仲介して、すでに何度かメールでやりとりはしているが、会うのは今日が初めてだ。
上は薄いブルーのブラウスにカットソーの重ね着、下は紺色のスカートだ。恰好だけは、どこにでもいそうな二十三歳の女性に見える。
「あのう、兄は?」そうたずねながら、茉莉が車の中をのぞいた。
「あんな感じです」
助手席でシートを倒した松岡が、すっかり眠っている。もしくは寝たふりをしている。
茉莉は、口もとに手を当ててくすっと笑った。きりっとした顔立ちからきつさが消えて、あどけない笑顔に変わる。そこそこの美女に微笑まれても、心拍数などめったにあげない涼一だが、いまは胸の隅がかすかにうずいた。
そこにいるだけで気になる雰囲気がある点で、捷によく似ている。血のつながっていない兄妹が、同じ資質を持っていることに驚く。
「さて、場所を変えましょうか」
「はい」
うなずく茉莉に後部座席のドアを開けてやる。
本当に熟睡しているのか、あるいは狸寝入りか、松岡は起きそうもない。
「お邪魔します」
茉莉が乗り込むとき、松岡がもぞもぞと動いた。
もしも俺たちが天使なら
偶然出会った3人の前に、「変な男に実家が乗っ取られそう」と捷の妹が現れたのが、すべての始まりだった―。この闘いは、大金のためか、友情のためか―。“詐欺師”+“ヒモ”+“元刑事”=“正義の味方”!?野良犬みたいなイケメン小悪党トリオが、人助けのために凶悪組織に立ち向かう。
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