ブレイディみかこさんの待望の新刊『女たちのポリティクス』が発売になりました。アメリカ初の女性副大統領になったカマラ・ハリスや、コロナ禍で指導力を発揮するメルケル(ドイツ)、アーダーン(ニュージーランド)、蔡英文(台湾)といった各国女性首脳。そして東京都知事の小池百合子。政治という究極の「男社会」で、彼女たちはどう闘い、上り詰めていったのか。その政治手腕を激動の世界情勢と共にブレイディさんが鋭く解き明かします。今回は、日本でも深刻な被害が生じている「サイバー暴行」に関する章を掲載。女性の政治進出を阻むネット上の誹謗中傷について世界の事例をお伝えします。
「女性政治家の時代」は実は来ていない
ドイツのメルケル首相や英国のメイ首相、スコットランド自治政府のスタージョン首相、ニュージーランドのアーダーン首相など、これまで女性の政治リーダーたちを取り上げてきた。頻繁にメディアに登場する彼女たちの姿をニュースで見ていると、すっかり女性政治家の時代がやってきたかのような錯覚に陥る。が、現実はそんなに甘いものでもない。世界的に見れば、女性首相や女性大統領の数は相変わらず全体の5%に過ぎないからだ。
女性は全人口の半分を占めるというのに、2019年現在、世界の国会議員における女性の割合は約4分の1であり、大臣職では約5分の1になる。国会議員の50%が女性なのは、ルワンダとキューバとボリビアだけだ。
女性の議員の数を増やすには、いわゆる「アファーマティブ・アクション(積極的是正措置)」が必要とされる。どんなものかといえば、例えば、アイルランドでは2016年の総選挙の前に、女性の候補者数が全体の30%に満たない政党には「公的助成の交付額を削減する」という法が施行された。そのため、この総選挙では史上最高の数の女性候補者が立候補することになったが、いまでもアイルランドの国会議員のほぼ80%が男性である。
2020年の米大統領選に過去最高の人数の女性が民主党出馬候補として挙がっている。しかし、その一方で女性が一国の指導者に立候補するには、まだ大きな壁が立ちふさがっている。
権力を欲しがる女性は道徳的な怒りを買う
2019年4月号の米国版ヴァニティ・フェア誌の表紙を飾ったのは、大統領選出馬を表明した民主党のベト・オルーク元下院議員だった。インタビューでの彼の言葉が表紙にも使われていた。
「 I want to be in it. Man, Im just born to be in it.(僕は出馬したい。そうさ、僕はそうするために生まれてきたんだ)」
もしも女性の候補者が同じことを言ったらどうなるだろう。
「I want to be in it. Woman, Im just born to be in it.(注:womanという間投詞は存在しない。それがすでに何かを物語っている)」
女性がこんなことを言ったら、鼻もちならない強気の女として反感を持たれるのではないだろうか。
ハーバード・ケネディスクールによれば、積極的に権力を取りに行く態度は、女性の政治家にはマイナスに働き、男性の政治家にはプラスに働くという。人の上に立とうとする男性は主体性があって強く有能な人物だと思われるが、人の上に立とうとする女性は公共性に欠け、協調性や思いやりのない人だと思われてしまうというのだ。なんじゃそりゃ、という気にもなるが、なぜか人々は、女性の政治家について権力志向が強いと聞かされたとき、「道徳的な怒りを感じる」という調査結果も出ている。さらに、こうした反応を示すのは男性だけではないのだ。女性たちも男性と同じぐらい、人の上に立とうとする女性を見るとネガティブな反応を示すという。
ヒラリー・クリントンは自伝の中で、女性の政治家なら「金切り声でけたたましい」「横柄だ」とレッテルを貼られるようなことをしても、男性の政治家はなぜか「感情移入している」「パワフル」と褒められると書いている。
ネットでの女性政治家叩きのルーツ
いまや政治の世界とネットとは切り離すことができないが、女性政治家に対するネガティブな態度がもっともあからさまに現れているのがネットだ。もう無法地帯と言ってもいい。
男性政治家だってネットでバッシングされているという人もあるだろうが、女性に対するもののほうが遥かに多いことはデータで明らかになっている。アムネスティ・インターナショナルによれば、2017年に米国と英国の女性政治家(とジャーナリスト)に送られた口汚い虐待的ツイートや問題のあるツイートの総数は約110万になるそうで、30秒に1回はこうしたツイートが送られている計算になるという。
2018年に行われた調査で、45欧州国の女性政治家たちのおよそ60%が、ネットでセクシスト的、中傷的な攻撃を受けたことがあると答えている。その多くのケースが、最初は口汚い罵倒から始まったが、そのうちレイプや暴力の脅迫、殺人の脅迫にまでエスカレートしていったという。
これは個人的にも経験がないわけではない。わたしも数年前まで「Yahoo!ニュース 個人」という非常に多くの人々が見ているサイトで政治について書いていたが、その頃、やはり同じようなことを体験した。実際、あの頃はGoogleでエゴサすると、わたしの名前と一緒に検索されている言葉として最初に上がってくるのは「死亡」だった。
『そろそろ左派は〈経済〉を語ろう』という鼎談本を出した後には、特に物騒なメールが送られてきた。知らない人ならまだいいが、以前メールをやり取りしたことのある男性の自称社会運動家から、あなたは悪魔の経済学に騙されていると一方的に説教された挙句に、あなたにはがっかりしたので消えてくれ、そうでなければ自分があなたをもう書けないようにしてあげます、というメールが来たときにはゾッとした。
政治というものは、どうしてこんなに人を狂わせるのか。と思ったが、彼らは政治的だから狂っているというより、「女と政治」という咬み合わせが危険なのだと気づいたのは、約100年前のサフラジェット(女性参政権運動家)について調べていたときだった。彼女たちもまったく似たような脅しを受けていたからだ。
「お前らは気分が悪くなるようなバカだ。家も夫も子どももないのなら、溺れ死んでしまえ」
「まもなくお前の家の窓が割れているだろう。それは報復だ。注意しろよ」
こうした言葉でサフラジェットを罵倒するハガキの数々がロンドン博物館に所蔵されている。ツイッターもFacebookもなかった100年前、ハガキはまさにそれに代わる役割を果たしていたのだ。
お前らはバカだ、と上から目線の自説の解説と説教を始めて、死ねとか、身辺に注意しろよとかいう脅しで終わるという一つのパターンが見えてくるが、こういうのを見ていると、マンスプレイニング(上から目線の男性の説教)はやがてエスカレートして暴力やレイプ、殺人に繋がっていくと『説教したがる男たち』で主張したレベッカ・ソルニットは正しかったんじゃないかと思う。
さらに、こういう脅しを受け取った女性の側が、「怖い」という言葉では生ぬるいような根源的な気色の悪さを感じてしまうのは、そこに何か性的なものがあることを敏感に感じ取ってしまうからだろう。
人は自分の話を聞いてもらっているときにセックスをしているときと同じ中脳辺縁系ドーパミン経路が活発になるそうだが、そう考えればネット上の女性に対するマウンティングやマンスプレイニングがやがて暴行の脅しになっていくのはなりゆきとしてはむしろ自然だろう。それを本能的に感知するから女性側もなんとなく性的に蹂躙されているような気分になっておぞましさを覚えるのだ。
アファーマティブ・アクションを取ってもなかなか女性の政治家が増えないのは、こうした事情が背景にあるのは間違いない。女性が政治に手を出すということは、これだけのことに耐えなければいけないという高いハードルがある。相当の精神的タフさがないと無理だし、正直言って割に合わないと思う人も多いだろう。日本などは、政治家のみならず、活躍している女性の評論家やコメンテーターの数も極端に少ないが、原因の根っこは同じではないか。
地獄を放置しない
「物申す女」がネットで叩かれるのは、単に男性が女性の進出にムカつくからではなく、性的欲望や快感と結びついているとすれば、そりゃあ世界中でこの現象が蔓延するはずである。
だからと言って、放置しておくとターゲットにされるほうの人間はたまらない。英国議会の人権に関する合同委員会は、ツイッターとFacebookが女性国会議員その他の女性著名人に対する暴力的な脅しやミソジニー的な攻撃への対策を怠っているとして、両社の代表を招いて質疑を行った。
質疑の中で、スコットランド国民党のジョアンナ・チェリーが女性議員たちがネットで受けている女性嫌悪的な嫌がらせのサンプルを提示した。例えば、Sonic Foxなるアカウントから、ビデオゲームの形式で女性への暴力を描いた生々しい動画が女性議員にツイッターで送られていた。この件では、抗議があったにもかかわらずツイッター社は当初それを放置していたという。
チェリーは、ツイッター社は影響力のある人々から抗議を受けたときには早急に対応を行うが、そうでない場合、同社が自ら謳っている女性保護のポリシーにそぐわない運営を行っているのではないかと批判した。
この委員会は、女性議員たちから個別にネットでの暴言や脅迫のエビデンスを入手しており、委員会議長である労働党のハリエット・ハーマンは、それらは「アウト・オブ・コントロール(制御不能)」の状態だと言い切った。
「いろんなことを聞きました。レイプの脅し、殺人の脅し、爆弾攻撃の予告、お前の子どもを殺すという脅迫、『住所をつかんでいる』という脅し、銃の絵がついたメッセージ、首つりのロープの絵……」
2016年のEU離脱をめぐる国民投票の前に、労働党の女性議員ジョー・コックスが、本当に離脱派の男性に銃殺されたことは世界に大きな衝撃を与えた。しかし、左派の女性政治家だけが標的になっているわけではない。保守党の女性議員たちも、日常的にネットで受け取っている女性蔑視的なメッセージの数々を明かしたビデオを発表している。リベラルや左派の男性もまた「この女を黙らせることが正義」と思い込んだら、あなたたちのどこが人権派なのかというような汚い言葉や暴力的脅迫の文句を女性に吐くのだ。しかも、こうした行為の大本にセクシュアルな快感があるとすれば、これはもう右も左も上も下も関係なく、誰だってやらかす可能性があるのだ。
ツイッター社は現在、国会議員に対する暴言、脅迫で対応した案件のうち38%を社内スタッフが発見しているという。それ以前は、ユーザーからの抗議にのみ頼っていたらしい。
「物申す女性」を増やすには、アファーマティブ・アクションだけでは不十分なのだと思う。地獄を地獄として放置せずネットの取り締まりを強化し、女性が物を言いたくなる環境を整えなければ、わざわざ暴行されるとわかっている場に足を突っ込む女性は今後もあまり増えないのではないか。
女たちのポリティクス
近年、世界中で多くの女性指導者が生まれている。アメリカ初の女性副大統領となったカマラ・ハリスに、コロナ禍で指導力を発揮するメルケル(ドイツ)、アーダーン(ニュージーランド)、蔡英文(台湾)ら各国首脳たち。そして東京都知事の小池百合子。政治という究極の「男社会」で、彼女たちはどのように闘い、上り詰めていったのか。その政治的手腕を、激動の世界情勢と共に解き明かした評論エッセイ。