今から8年前、全国の鉄道路線の踏破率90.2%と“ほぼ”網羅し、『ぼくは乗り鉄、お出かけ日和。』(幻冬舎)を上梓していた杉山淳一さん。あっという間に時はたち、このコロナ禍の合間もややぬって、まだ乗っていなかった鉄道を制覇し、「全線踏破」のビッグなお知らせが編集部に届いたのは、2021年に入ってからのことでした。
気づけば「移動すること」がこんなにも不自由な世界になり、コロナ禍を乗り越えたら……の夢と期待が膨らむ今、全線踏破の仕上げの軌跡を、寄稿していただきました。
* * *
日本の鉄道全線踏破! 踏破率90.2%から100%に至るまでのお話
子どもの頃から電車好き。母に連れられ東急池上線の踏切へ。カンカンカン、ゴトンゴトン。父がモーレツ社員で家に居なかったせいで、緑色の電車を父親だと思っていた。ひな鳥か。やがて日本中の電車に乗ろうと志し、ようやく約50年で達成した。
2013年。中年男が電車で出掛けて肉を食ってぼーっとする話を綴った『ぼくは乗り鉄、お出かけ日和。日本全国列車旅、達人のとっておき33選』を幻冬舎様から出版していただき、このサイトでインタビュー「踏破率90.2%! 電車の虜になった男の生き様」を取り上げていただいた。その後も仕事の合間に旅を続けて、8年が過ぎた。
2014年4月9日、八戸線でJR東日本を踏破。
2014年11月26日、徳島線でJR四国を踏破。私鉄も含め四国踏破。
2018年4月15日、山口線でJR西日本を踏破。
2019年9月21日、北海道新幹線でJR北海道を踏破。私鉄も含め北海道踏破。ならびにJR線全国踏破。
こんなふうに書き並べると連山を縦走したように見えてカッコよさそうだけど、実際は列車に乗って肉を食ってぼーっとしていた。各地域を踏破したあとも、新線が開通すれば乗りに行った。そして未乗区間がたくさんある京阪神と中国地方へ遠征を続けた。こう書くと十字軍の進撃を想像されるかもしれないけれど、実際は列車に乗って肉を食って……以下略。
少年の頃はフリーきっぷの有効期限いっぱいまで使い「観光地に行く時間があるなら列車に乗らなくちゃもったいない」と思っていた。歳を取って時間とおカネの自由度が増えると「定番の名所も観なければもったいない」と思うようになっている。だからのんびり進めていたけれど、年賀状に踏破率と地図を載せており、95%を超えた翌年の年賀状から「100%はまだか」と催促されるような文面もいくつか届いた。
そこでまず、沖縄行きのひとり旅を計画した。ゆいレールなどモノレールも法律で「鉄道」「軌道」扱いになっている。だから、私にとってもゆいレールは乗車対象路線だ。いつ行こうかと思案していたら首里城が燃えた。首里城に行きたい。しかし当時はまだ再建の目処は立っていなかった。まてよ、今しか見られない首里城の焼け跡を観ておけば、再建して再訪したときの感動も大きいだろう、と思った。
沖縄から帰ると次の旅の計画を立てた。路線図を眺めると、最後の未乗区間がある鉄道会社の広大な路線網が浮かび上がり、私の目前に立ちはだかる。まるで大きな山と対峙したような圧力を感じた。大手私鉄最大の路線網、近畿日本鉄道だ。
私はすでに近鉄名古屋~大阪難波間を特急アーバンライナーで乗車済み。近鉄四日市~京都間、奈良線、けいはんな線も乗っていた。それでも残り約200km。とても日帰りや1泊では乗り尽くせない。そこで2回に分けて遠征する計画を立てた。こう書くとエベレストにアタックするようでカッコいい……実際は列車に乗って肉を食ってボーッとするだけだけど。
近畿日本鉄道はさまざまな規格の鉄道路線を合併した経緯がある。近鉄大阪線、京都線などは新幹線と同じ線路幅の路線群。世界標準軌間という。南大阪線、吉野線はJR在来線と同じ狭軌。これがなんとなく地域別になっている。
2020年3月。第1次遠征は標準軌路線を中心とした。奈良県内の路線網を踏破。鳥羽、賢島方面を制覇した。鳥羽水族館は営業自粛中で観られなかったけれど、新型観光特急「しまかぜ」に乗るなど楽しい旅だった。
第2次遠征は翌4月。狭軌路線の路線網を踏破し、日本全線完乗を達成する。4月8日は私の誕生日で、終端駅の吉野駅をゴール地点に選んだ。きっと桜も満開だろう。人生の記念すべき日にふさわしい。しかし、出発直前に緊急事態宣言が発令されてしまう。私は泣く泣くきっぷも宿もキャンセルし、第2次遠征を1年延期した。計画を1年繰り延べ、次の桜の時期にこだわった。
緊急事態宣言が解除されても自粛、自粛。旅を我慢する日々だった。
しかし、2021年春の近鉄第2次遠征の前に行くべきところがあった。富山県だ。富山地方鉄道と富山ライトレールが合併し、富山駅を境に分断された路面電車がつながった。新設された線路は約300メートル。もうひとつ、ずいぶん前に万葉線の高岡駅が改良されて、JR高岡駅に近づいた。これで線路が約100メートル延伸した。
たかが300メートルと100メートル。2020年9月、これらの踏破のため、わざわざ北陸新幹線で往復した。見逃せば日本の鉄道路線を100%踏破したことにならないからだ。今後は100%を維持するために、こんな旅も増えるだろう。
2021年4月6日。新幹線で京都へ。そこから奈良へ向かい、平城宮跡をひとめぐり。そして平城宮跡を横切る近鉄奈良線を見物した。この線路は40年後に平城宮跡の南側に移設される。その新しい線路を見届けたいけれど、生き延びられるだろうか。奈良のホテルに泊まり、翌7日に近鉄南大阪線と支線群を乗り歩いた。この日は阿部野橋のビジネスホテルに泊まる。
そして4月8日、特急さくらライナーで吉野に到着。日本の旅客営業鉄道全線踏破を達成した。半世紀の鉄道旅にひとつの節目ができた。
残念なことに桜は散っていた。今年は開花が早く、落花も早かった。下千本、中千本、上千本に桜花なし。ここまで来たら意地でも花見だと、奥千本をめざしてバスに乗り、息を切らせつつ山歩き。膝関節の震えと痛みをなだめつつ、西行庵でやっと桜の群生を見た。
吉野駅前に戻り、土産物屋の縁台に腰掛けて、パック入りの太巻き寿司や饅頭をいただく。疲れと空腹で、店のお姉さんに勧められるまま受け入れてしまう。どっちも美味しい。カロリーを取りすぎかな、また医者に嫌味を言われそうだと思ったけれど、今日は身体に無礼講だ。なにしろ日本全国鉄道旅のゴールなんだから。
「あら、どこから来たのかしら、花びら」
土産物屋のお姉さんの声に促され、曇り空を見上げると、たしかに桜の花びらが降りてくる。はるか奥千本から風が吹いたか。ぽつり。ぽつり。朱色の縁台にふわりと落ちた。