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認知症・行方不明者1万人の衝撃

2021.07.09 公開 ポスト

認知症で行方不明になった妻と7年ぶりの再会…そのとき夫は?NHK「認知症・行方不明者1万人」取材班

日本人にとって、国民的な病のひとつとなっている認知症。2014年の放送後、たちまち大反響を呼んだ「認知症行方不明者1万人~知られざる徘徊の実態~」(NHKスペシャル)を書籍化した『認知症・行方不明者1万人の衝撃』は、認知症を原因とする徘徊、失踪の問題に深くメスを入れたノンフィクションだ。超高齢社会を迎えたいま、誰もが当事者になりうるこの問題。本書を読んで、その実態と解決策をぜひ知っていただきたいと思う。

*   *   *

あきらめかけていた家族に……

三重子さんはその日もいつものように昼過ぎにはデイサービスから帰宅し、自宅にいるはずだった。しかし夕方義母が戻るといなかった。

(写真:iStock.com/kazoka30)

義母はすぐに滋夫さんに連絡し、急いで帰宅した滋夫さんは自転車で三重子さんの名前を大声で何度も呼びながら浅草一帯から隅田川の向こう岸まで広く捜し回った。しかし、三重子さんの姿はなかった。明くる日も家族総出で捜したが、三重子さんは見つからなかった。

一家は三重子さんの大きな顔写真入りのチラシを用意し、浅草の街角に張って歩いた。地元の浅草警察署にも捜索願を出し、チラシ数百枚を預けた。署員は「関東近郊の交番に手配する」と約束したという。

しかし、年が明け、春が来ても、三重子さんは見つからなかった。何も持たず普段着姿で出かけているのは確実で、それほど遠くに行ったとは思えなかった。近隣の地区を毎日のように捜し、警察署に何度も足を運んで尋ねたが、手がかりは得られなかった。警察からは近隣の県にも手配していると説明を受けており、ほかに打つ手はなかった。

ただ一度だけ、三重子さんと似た年頃、背格好の女性の遺体が見つかったとして警察署に呼ばれたことがあった。おそるおそる署を訪ねたものの、結局人違いでほっと胸をなで下ろしたという。なおも一家は捜し続けた。しかし手がかりはないまま時は経ち、七年近くの歳月が流れた──

「もう生きていないだろうと思っていたよ。本当に、この秋で丸七年経ったら、失踪宣告をして、区切りをつけようと思っていたんだ」

三重子さんが保護されたとき口にしていた「クミコ」とは、滋夫さんと三重子さんの娘の名前だということも分かった。認知症になり、自分の名前を忘れてしまっても、産み育て、呼び続けた娘の名前は三重子さんの記憶にはっきりと刻まれていたのだろう。そう思うと、胸がいっぱいになった。

喜びだけではなかった再会

私たちは滋夫さんと三重子さんがいる施設に行くことにした。車で、一路館林に向かった。高速道路は空いていて、車の流れは順調だった。

(写真:iStock.com/byryo)

「もうすぐ奥様に会えますね」

「そうだね」

「どんな言葉をかけたいですか」

どんなって、正直、分からないんだよ。とにかくかみさんが今どうなっているかが分からないからね。今はもう話すことはできないんでしょう……」

うなずくしかなかった。再会の喜び。そんなきれいな言葉だけでは片付けられないほどの時間の隔たりがあることは明白だった。

車内で、滋夫さんは口数が少なかった。少しこわばった面持ちで窓の外の景色を眺めては、何度もごくりとのどを鳴らした。

五月の陽光をいっぱいに浴びながら、車は一時間ほどで館林市内に入った。施設に到着して車を降り、玄関に近づくと、三重子さんをずっと見守ってきた浜野施設長が、半分泣いたような顔でそこに立っていた。

「お待ちしていました……」

黙って頭を下げる滋夫さんのもとに、施設長が促し、介護スタッフが三重子さんを乗せた車いすを押してきた。

三重子、三重子

滋夫さんが呼びかけ、手を取る。

「柳田さん、パパだよ。パパが会いに来てくれたよ」

施設長の目からとめどなく涙があふれていた。

しかし、三重子さんからは、何の反応も得られなかった。

七年という時間の流れが、厳然たる事実として二人の間に横たわっていた。それはつかの間の再会で埋まるほど浅くはなかった。

滋夫さんの顔に、喜びの色がなかったかと言われると、それは分からない。滋夫さんは何かをかみしめるように、そして何かに耐えるように、その場に黙って立ち続けた

取材を終えた私たちは、一度施設を後にした。滋夫さんは、施設長や館林市の職員らとこれまでのことや今後のことについて話をする必要があったが、ひとまず三重子さんの顔を確認できたため、東京に戻った。

その夜遅く、記者の携帯電話に滋夫さんから電話がかかってきた。東京に戻った滋夫さんは、家族に報告した後、気持ちを落ち着かせようと、以前から予定されていた同級生の集まりに顔を出した。すると店のテレビで偶然、三重子さんの身元が分かったことを報じるNHKの「ニュース7」が流れ、一緒に見ていた旧友らが、「本当によかったなあ」と涙を流して祝杯をあげてくれたという。

友人に言われてようやくかみさんが見つかったことを実感したよ。いや、よくやってくれた。よく見つけてくれた。本当にありがとう」

二人の再会をまのあたりにして、本当にこれでよかったのかと複雑な気持ちが入り乱れていた。それをぬぐうような滋夫さんの言葉に、やっと安堵して、心が晴れていくのを感じた。

関連書籍

NHK「認知症・行方不明者1万人」取材班『認知症・行方不明者1万人の衝撃 失われた人生・家族の苦悩』

認知症による徘徊などで家を出て、 そのまま戻れず行方不明になる人が、年間1万人もいた! 悲劇はすぐそこで起きていた。 社会を動かした「NHKスペシャル」待望の書籍化。 放送をきっかけに、認知症で身元不明の女性が約7年ぶりに家族と再会。 国や自治体が対策に着手するなど、社会を動かしたNHKスペシャル「“認知症800万人”時代 行方不明者1万人〜知られざる徘徊の実態〜」を書籍化。2014年菊池寛賞受賞番組。 日本人にとって、国民的な病のひとつとなっている認知症。今や65歳以上の4人に1人が、認知症とその予備軍だ。また、認知症やその疑いがあり、徘徊などで行方不明になった人は年間およそ1万人となる。 本書では、認知症による徘徊で行方不明となっている肉親を捜し続ける家族の苦しみや、身元を確認する仕組みの課題などについて取材。 超高齢社会に突入した日本で、誰もが当事者となり得る問題について、警察・自治体・家族への膨大なアンケートから分かった知られざる実態と解決策を提示する一冊。 認知症の人を介護する家族に向けて、医療・介護の専門家が教える認知症ケアのポイントも丁寧に解説。

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認知症・行方不明者1万人の衝撃

日本人にとって、国民的な病のひとつとなっている認知症。放送後、たちまち大反響を呼んだ「認知症行方不明者1万人~知られざる徘徊の実態~」(NHKスペシャル)を書籍化した『認知症・行方不明者1万人の衝撃』は、認知症を原因とする徘徊、失踪の問題に深くメスを入れたノンフィクションだ。超高齢社会を迎えたいま、誰もが当事者になりうるこの問題。本書を読んで、その実態と解決策をぜひ知っていただきたいと思う。

バックナンバー

NHK「認知症・行方不明者1万人」取材班

放送後、たちまち大きな反響を呼んだ、NHKスペシャル『認知症行方不明者1万人~知られざる徘徊の実態~』を制作。2014年、菊地寛賞受賞。

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