7月7日に発売になった『読んでほしい』は、放送作家・おぎすシグレ氏のデビュー小説。
せっかく書いた小説を誰にも読んでもらなえい中年男が、悪戦苦闘を始める――という物語だ。
え?それだけ?と思われるかもしれないが、読んでみたら、意外なほどの満足度に「マジか!」「やられたー!」と叫びたくなるはず。
『大家さんと僕』の矢部太郎さんが、原稿を読んで共感してくださり、推薦文とともに、カバーイラストまで描いてくださった!という、注目すべき作品です。
どんな物語なのか、序章から少しずつ内容を公開してまいります。
* * *
序章
書き終えた。ついに書き終えた。
長年夢だった長編小説。仕事の合間を縫って書き上げた渾身の作品と言えよう。内容はSF。才能のない超能力者達が力を合わせ国家権力と戦うストーリーだ。
悪くない。手ごたえはある。半年間、寝る間も惜しんで書いた作品だ。だからこそ読んでほしい。誰かに今すぐ読んでほしい。今、私はその欲求に支配されている。
パソコンのデータを紙に起こすため、プリンターで印刷を始めた。文字が刷られる音がする。心地よい振動。長い文章だからこその達成感を味わう。
しばしの間、印刷を待つ。仕方ない。長編小説なのだから。私はパソコンから離れ、ベランダに出た。煙草にそっと火をつける。ジリジリと紙と葉に火が伝わる。私はいつもより大きく吸い込み、白い煙を吐いた。至福の時。
プリンターの音が消えた。私は煙草の火を消し即座に部屋に戻る。積み重ねた努力の結晶がプリンターから吐き出されていた。私は生まれたての赤子を愛でるかのように、分厚い紙の塊を抱き上げた。胸が熱くなる。両目から涙がこぼれる。
涙をふき、部屋から飛び出し、妻の元へ向かった。時間は深夜十二時。いつもなら、まだ起きている時間だが、妻は洗濯物を畳みながら眠り込んでしまっていた。
妻には感謝しかない。私の仕事はしがない放送作家。収入も少ない。だが妻はいつも私の夢に付き合い、協力してくれる。妻はとても優しくて、私に怒ったことはない。いつも明るく見守ってくれる神様のような人だ。いつもならば妻を起こしていい作品ができたと見てもらうところだが、何せ今回は長編小説。ちょっと読んで、と簡単に頼めるような代物ではない。
私は毛布をそっと妻の体にかけ、渾身の作品を妻の傍らに置いた。勘のいい彼女ならば私の思いを汲み取り、小説を読んでくれるであろう。今日は私も寝よう。心地よい疲れを癒すために。
朝日がカーテンの隙間から瞼(まぶた)を照らした。
目を覚ました私は、置き時計に目をやった。
朝十時。寝すぎたことに気がついた。焦りながら仕事の準備をする。先日まとめた資料をリュックサックに押し込むと、手帳が目に入り、今日のページを開く。そしてホッと一息。今日は休みだった。一日、自由な時間が過ごせる。
準備しかけたリュックサックを机に置くと、寝室からリビングに移動。テーブルにはトーストと目玉焼きが置いてある。温かい日常。妻には本当に感謝しかない。
目玉焼きの横には置き手紙があった。妻のことだ、もしかしたら小説を読み終え、感想が書かれているかもしれない。自信があるとはいえ、緊張はする。
私は高鳴る胸の鼓動を抑え、手紙に目を落とす。
『おはよう。朝ご飯食べてね。ヨガに行ってきまーす。』
そうか。今日はヨガの日か。無趣味な妻が、最近始めた習いごとだ。小学四年生になる息子の友達の母親から誘われたと話していた。最初は乗り気でなかったが、通うにつれハマってきたらしい。家事に追われる中で、一服の清涼剤となるならばと、私は妻を応援していた。
置き手紙には小説のことは書かれていなかった。
ふと妻が寝ていた場所に目をやると、昨日置いた小説はそのままだった。
「まだ気付いていなかったのか」
私はそう呟くと、原稿を拾い上げ、自分の部屋の机に置いた。
椅子に座り、原稿を眺める。口元がゆるむ。可愛い奴だ。文字いっぱいの紙の束を見て美しささえ感じる。読んでほしい。できることならたくさんの人に。
しかし本にするまでには時間がかかる。そもそも形になるかどうかもわからない。新刊小説として世に出るかは運もあるし、物凄い労力がかかることもわかっている。コンクールの数は多いが、入賞するのは一握りの作家だけ。甘い話ではない。
そうだ! コンクールに送る前に誰かに読んでほしい。
といっても、誰に読んでもらうべきか? 私は考えた。妻はヨガに出かけている。
ふと一人の男の顔が頭に浮かんだ。田川陽介、三十八歳。私の後輩だ。彼は私同様、放送作家をしていたが、十年前にテレビの世界から引退した。理由は、もっと自由に表現をしたかったからだという。彼は今、自称芸術家だ。芸術家といっても、とくに仕事はしていない。実家で母親と二人暮らしをしている。私の周りの人達は彼のことをどうしようもない奴だと悪く言うが、私はそうは思っていない。
彼はバカだが、核心を衝く。「テレビに縛られていてはいつまで経っても下請けだ」彼はそう言って放送作家をやめた。ゼロからものを作る。生み出したものを売る。それこそが健全な表現のありようだ、と彼は言っていた。私が心の中に秘めているポリシーも彼と同じだった。だから凄く共感したし、好感も持てた。彼の言葉がきっかけになったわけではないが、私が小説を書いたのも、そんな反骨精神のようなものが理由かもしれない。
芸術家に読んでもらおう! 編
電話をする。田川と話すのは三年ぶりだ。
彼が芸術家になると言い出してから十年は経つ。最初のうちは熱心に粘土細工を作っていた。しかし、一ヶ月ほどで何もしなくなった。彼の母親はとてもいい人で、田川を寛大な目で見守っていた。優しい母親に甘えて実家で過ごす田川を見るたびに、私は彼を叱咤(しった)していた。
だが今では私自身、仕事に追われ、自分のことで精いっぱい。田川のことを考える余裕はなかったのだ。
電話をかける。呼び出し音が鳴り、三コール目でつながった。
(次回へ続きます)
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読んでほしい
放送作家の緒方は、長年の夢、SF長編小説をついに書き上げた。
渾身の出来だが、彼が小説を書いていることは、誰も知らない。
誰かに、読んでほしい。
誰でもいいから、読んでほしい。
読んでほしい。読んでほしい。読んでほしいだけなのに!!
――眠る妻の枕元に、原稿を置いた。気づいてもらえない。
――放送作家から芸術家に転向した後輩の男を呼び出した。逆に彼の作品の感想を求められ、タイミングを逃す。
――番組のディレクターに、的を絞った。テレビの話に的を絞られて、悩みを相談される。
次のターゲット、さらに次のターゲット……と、狙いを決めるが、どうしても自分の話を切り出せない。小説を読んでほしいだけなのに、気づくと、相手の話を聞いてばかり……。
はたして、この小説は、誰かに読んでもらえる日が来るのだろうか!?
笑いと切なさがクセになる、そして最後にジーンとくる。“ちょっとだけ成長”の物語。
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