7月7日に発売になった『読んでほしい』は、放送作家おぎすシグレ氏のデビュー小説。Twitterなどで、「面白い!」「笑えるなあと思ってたら、不覚にも感動した」となど絶賛!
せっかく書いた小説を誰にも読んでもらなえい中年男が、悪戦苦闘を始める――という物語なのだが、読み始めると止まらないのである。
前回、芸術家になった後輩に読んでもらおうと思ったのだが、合えなく失敗…。
さて、今回は、仕事仲間のディレクターに的を絞った――。
* * *
ディレクターに読んでもらおう! 編
芸術家に見せるはずだった私の小説は、未だゆっくりと眠っている。
田川に対し、「私の作品も見てくれ」となぜ、言えなかったのか。己の小ささに嫌気がさした。予想外の展開に飲み込まれ、本来の目的を達成できなかったあの日。
自分の作品を見せたくて呼び出したのに、逆に相手の作品を見ることになろうとは、夢にも思わなかった。ただし田川の作品が圧倒的でなかったのは、せめてもの救いだった。
あそこでバスキアのような作品を見せつけられていたら、この小説は永遠の眠りについていただろう。
「ご飯できたよぉ」
妻の声がリビングの方から聞こえた。私は自分の部屋から出てテーブルに向かった。子供達二人が眠そうな顔で朝食を先に食べていた。
「あのさぁ、本って、読んでる?」
「漫画しか読まない」
「私もぉ」
無邪気な声で、お兄ちゃんと妹が即答した。
「だよね」
「正ちゃん。つっ立ってないで早く座って。味噌汁冷めちゃうよ」
「あぁ、そうだね」
私はいつもの席に座り、味噌汁に口をつけた。今日は和食か。何か幸せだな。
今日は朝から会議だ。放送作家の仕事もいろいろある。芸人さんに出演してもらってバカバカしい企画を展開するバラエティ番組もあれば、主婦の方に向けてお得な生活情報を紹介する情報番組もある。私はその台本やナレーションを書いたり、企画を提案したりする。ロケに行ったりスタジオに行ったり、楽しく笑ったりするだけの仕事もある。笑ったり手をたたいたりするだけの仕事の時は、これが仕事なのかと自問自答する。放送作家の仕事を説明する時、ココだけが切り取られ、「楽な仕事だね」なんて嫌味を言われることもしょっちゅうだ。若い頃は、そんな悪気のない嫌味を真に受けて、腹も立った。でも歳を重ねるにつれ、腹は立たなくなった。実際、何も考えずただただ楽しくて笑っているだけの時もある。その瞬間は間違いなく楽な仕事であるからだ。
今日の仕事は、笑うだけの仕事ではない。考える仕事の方だ。
いつものように地下鉄に乗り、テレビ局に向かう。
背負うリュックサックが少しだけ重い。私が生み出した小説の重みが足されているからだ。
チャンスはあるはず。読んでくれる人がいるはず。そんな邪(よこしま)な気持ちを胸に、会議室へ入り、いつもの席に座る。
今日の仕事は、土曜日の午前中に放送する情報番組の会議。私達が見つけた安くて美味しいお店や、クライアントの新商品をいかに素晴らしく紹介するかを打ち合わせる。
会議の参加人数は六人。一時間番組をこの人数で行うのは地方局ならではかもしれない。
東京のテレビ局だと倍以上はいると聞いたことがある。スタッフが少なく、予算も少ない。
これは名古屋のテレビ局の常識なのだ。
会議は順調に進み、来週紹介するお店も決まった。二時間ほどで会議は終わった。会議が二時間以内に終わる時は、丁度よい疲れがある。それ以上延びる時は企画が迷走している証拠らしい。今日は何の問題もなく、スムースに仕事を終えられたということだ。
自宅に帰ってから台本を書くための資料を、リュックサックに詰め込む。リュックの中では、分厚く白い可愛い奴が私を見つめていた。
「一体、僕を誰に見てもらうの?」なんて声が聞こえてきそうだ。
私はそっと可愛いそいつを撫でてあげた。待っていてくれ、今日こそ君を誰かに見てもらうからね。
私のターゲットは決まっていた。会議室で私の対面に座る男。ディレクターの横山君だ。
彼は、この情報番組で会議を仕切る中心人物だ。小柄でボサボサの髪。ひげを蓄えているが、身長が低いせいか、ワイルドよりも愛嬌が勝ってしまう男だ。
ディレクターはロケを行い、編集を重ね、VTRを作る。番組を企画の段階から放送するまで取り仕切る仕事だ。映画で言えば監督に近い仕事。映画監督との違いは、監督ほどの権限がないといったところか。
人にもよるが、仕事の量の割に給料が少ないという印象がある。ゆえにテレビ番組作りが好きでなければ続けられない仕事であるのは確かだ。私のターゲット横山君は、自分の足で店を探し、休みも返上して働く、ディレクターの鑑(かがみ)のような男だ。二十九歳、脂の乗ったディレクターと言えよう。
彼ならば読んでくれる。もの作りの魂を彼は理解している。私が打ち込んだ情熱の塊を是非読んでみたいと思うはずだ。
私は、子鹿を狙う狼の如く、ゆっくりと彼の背後を狙った。
「横山君、煙草いかない?」
私の声に驚いたのか、ビクリと動き、飲んでいたコーヒーをこぼした。
「あーごめん! 驚かせて!」
「大丈夫です! 大丈夫です! こちらこそすみません」
「ティッシュ持ってきます」
ADさんがすかさず動いてくれて、こぼれたコーヒーを会議室に残ったメンバーでふき取った。私のせいで大惨事を招いてしまった。申し訳ない。背後からそろりと近づいたりしなければよかった。「緒方さん。煙草いきますか?」
コーヒーの染み込んだティッシュをごみ箱に放り込むと、優しい声で横山君は喫煙ルームへと誘ってくれた。私はこれでもかと思うほど頭を下げて、横山君とADさんに詫びを入れた。
最近、煙草を吸う人はめっきり少なくなり、今日も喫煙ルームは静かだ。
私の周りでも喫煙者はほとんどおらず、横山君と私は希少になりつつある愛煙家だ。仕事終わりにお互いを労(ねぎら)いながら一服する。そんな懐かしい文化の中に、私と横山君は未だ
にいる。
「さっきはごめんね。服汚れなかった?」
「全然! 大丈夫です」
「いや、本当ごめん」
またしつこいほど詫びを入れた後、私と横山君は煙草に火をつけた。
深く吸い込むとジリジリと音を立てて小さな火が瞬く。白い煙が狭い喫煙ルームを覆った。リラックスモードに突入。
いつもならば、この後、仕事の話をする。ほかにもいい店はあったのか? もっと楽しい見せ方はあったのか? などと、会議のおさらいをする。
しかし今日は違う。喫煙ルームに入ったのは、私の小説を読んでもらうためだ。
(「ディレクターに読んでもらおう! 編」つづく)
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読んでほしい
放送作家の緒方は、長年の夢、SF長編小説をついに書き上げた。
渾身の出来だが、彼が小説を書いていることは、誰も知らない。
誰かに、読んでほしい。
誰でもいいから、読んでほしい。
読んでほしい。読んでほしい。読んでほしいだけなのに!!
――眠る妻の枕元に、原稿を置いた。気づいてもらえない。
――放送作家から芸術家に転向した後輩の男を呼び出した。逆に彼の作品の感想を求められ、タイミングを逃す。
――番組のディレクターに、的を絞った。テレビの話に的を絞られて、悩みを相談される。
次のターゲット、さらに次のターゲット……と、狙いを決めるが、どうしても自分の話を切り出せない。小説を読んでほしいだけなのに、気づくと、相手の話を聞いてばかり……。
はたして、この小説は、誰かに読んでもらえる日が来るのだろうか!?
笑いと切なさがクセになる、そして最後にジーンとくる。“ちょっとだけ成長”の物語。
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