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ギリシャ正教と聖山アトス

2021.09.08 公開 ポスト

世界遺産の聖山アトスはコロナ禍とどう向き合ったのかパウエル中西裕一

カトリック、プロテスタントと並び、キリスト教の一大宗派である「正教」。1054年に東西へ教会が分裂して以来、正教(ギリシャ正教)はオーソドックスな信仰と生活を守り続けています。

その聖地であるギリシャ北部のアトスは、家畜さえ雄のみという厳格な女人禁制の土地。紀行エッセイ『雨天炎天』で村上春樹さんが訪れたことでも有名な、天国のモデルともいわれる神聖な場所です。

日本人で初めて聖山アトスで司祭としてケリ(修道小屋)で祈りを捧げることを許可された著者による『ギリシャ正教と聖山アトス』の発売を記念して、内容を一部紹介いたします。

※9月16日(木)に、刊行記念のオンラインイベントも実施します。1000年近く変わらない聖地での暮らしについて、直接聞ける貴重な機会です。ぜひご参加下さい。

*   *   *

撮影 中西裕人

教会の閉鎖、残った軽症者が祈りをつなぐ

ところで、今聖山アトスはどのような状況なのでしょうか。

アトス政庁では、新型コロナウイルス感染症COVID-19の感染者について公式な調査や発表はありませんので、親しい修道士達の近況報告のみです。

ギリシャ政府はアトス政庁へ、具体的な感染防止対策についてギリシャ共和国憲法と諸法令をもとに働きかけをしていますが、政庁は巡礼者の受け入れの中止など以外、内政的な施策については確固たる独自の判断を貫いています。

2020年の夏を経て、秋ごろまでは、2~3の修道院で数人の感染者の情報があるだけで、急速な感染拡大の状況は伝わってきませんでした。

この間、原則として各修道院に期間雇用された労働者と食料や物品の納入業者、アトスに籍を置く修道士の出入り以外は、入山者数の制限をしていました。

しかしながら、ギリシャ国内でも感染が急拡大した11月半ばごろからは、状況が一変して、次々と緊迫した事態を伝えてくるようになりました。感染の拡大という厳しい現実に直面して、ギリシャ政府もアトス山の自治政府の指導者に、対策のさらなる強化を求めました。

独立教会であるギリシャ正教会の指導者であるイエロニモス2世大主教も感染し「管轄の保健当局の規制と措置に敬意を表して従う」ように促しました。ギリシャ政府は11月に国内の教会の一時閉鎖を命じました。

さらに、友人が在籍するアトスのA修道院では、12月中までに修道士全員が感染してしまったことを伝えてきました。B修道院など、他の修道院の修道士からも、感染の拡大傾向の情報がもたらされました。

入山制限はさらに厳しくなり、トラペザ(食堂)担当以外の労働者と長期滞在の許可を得ていた一般巡礼者も、即刻退去の措置がとられました。

感染者とどう接するのか

修道院自体は、休むことなく続けられる祈りの現場です。そして構造上、クラスターが発生しやすく、トラペザでの共同の食事、イコンに接吻し、寄りそって聖歌譜を見て歌うなど、どだい濃厚接触は不可避です。

感染拡大とともにA修道院では、自室で療養する者が出始め、聖堂の奉神礼に加われない修道士が増えてきました。また、近隣のポリギロス市や北部の大都市テッサロニキ市の病院へ入院する者もあり、動ける修道士は徐々に減り、重篤となった修道士5名が首都アテネ市の病院にまで搬送されたことなど、緊迫した状況を伝えてきました。

しかし、A修道院の主聖堂での日々の奉神礼は、残った軽症者によって途切れることなく続けられていたのです。私がA修道院に滞在した時の記憶からすると、聖堂の準備をする修道士達は、おおむね未明の3時ごろに起床して聖堂にはいり、至聖所、聖所、啓蒙所にある200本を超える油器の灯火をひとつずつ点して廻り、約1時間後の朝の奉神礼開始までに手早く終えねばなりません。

これだけでも大変なことなのですが、奉神礼が始まれば、祈禱書を読み、歌い、燭台を運び、香爐の準備をし、至聖所、聖所を動き回って行う様々な用務もあり、朝の祈りは4~5時間、晩の祈りは3時間を要します。

この祈りを、比較的軽症だった修道士5名のみ、時折一人、二人が欠ける日もあるなか、約3週間休むことなく続けていたことを詳細に伝えてきました。自らはその5名のうちの一人で、最も遅く感染したうちにはいるが、やがて自らも感染するに至り、軽症者(味覚、嗅覚の喪失と倦怠感のみ)として推移し、後遺症は残るものの今は回復していると知らせてきました。

アトスには、2G、3Gの携帯電話は普及していますが、テレビ受像機はありません。私達が日本にいて、毎日、毎日伝えられる感染者の増減や関連情報や緊急事態宣言のことなど、彼らは全くと言っていいほど、触れることはないはずで、ただ現実に感染して体調不良者が増加していくなかで、ついには「全員感染」という事態に直面していることを淡々と知らせてくるのでした。

様々な情報が飛び交って、それで不安が拡大するような緊迫感も、あまり感じられません。

さらに感染者を特別な病にかかった存在として区別することなく、仲間の体調不良者を気遣いつつ、お互いに感染者として、なんとか助け合いながら奉神礼を続けていたのです。

罪人の家にはいっていたイエス

このころ、教会暦に基づいて聖堂で行われる奉神礼では、「ザアカイの主日」(2021年は2月14日)がめぐってきました。『新約聖書』ルカ伝(19章1─10)にある、取税人ザアカイの物語から神の教えを学ぶ日です。

ザアカイは当時卑しい身分とされた取税人でしたが、信仰が厚かったので、群衆のなかでイエスに近づきたいとイチジクの木に登ったところをイエスに認められ、イエスは彼の家に泊まりました。人々はこのことを妬んで、「イエスは罪人の家にはいって客となった」とつぶやきました。

正教徒にとって、この日の聖書からの学びのテーマは、取税人ザアカイの深い信仰をキリストが認めたことに加えて、人々の「つぶやき」への戒めにあります。人は隣人の外的要素、その行動と動機に従ってその人を判断し、たとえば「罪人」のレッテルを貼り、自らを正当化し、安心させるためにつぶやくのです。

人は誰でも自分が優れていると感じています。「罪人」があえてキリストに近づき、人々の認めるしきたりや、ルールを超えた行動をとる時、妬み、憤慨するのです。その時のつぶやきこそが「差別」のこころの根源です。

「差別」の根源は私達を取り巻く外の世界にあるのではなく、私達の内面、すなわち人のこころのなかに潜むものです。「彼は卑しい取税人、罪人なのに」「感染者なのに」というつぶやきこそが差別の根源です。これは、古くて、実は新しいテーマです。

ここで、キリストがザアカイを彼の「信仰」において認め、取税人という外的要素によって区別しなかったことを、私達正教徒はこの主日になると思い起こし、学びを重ねてきました。

イエスは、人間の外面を見ず、罪に焦点を合わせず、誰も批判せず、誰も拒絶しません。むしろ、その内面、人のこころ、救い(病気の場合は治癒)の兆し、反省のこころ、意図せずに行われた損傷(傷病)、たとえそれが故意によるものであったとしても、レッテルを貼ったうえで拒否することなく、むしろ当事者に寄りそい「修復」「治癒」にこそ、こころを向けなければならないことを教えたのです。

今、コロナ禍にあって、私達が気付かねばならないことのひとつが、そこにあると言えます。

やがて、A修道院では2021年2月の初めごろには多くの修道士が回復して聖堂へ戻ってきて、互いの祈りがかなって無事であったことを喜びあい、奉神礼も次第に交代で担当できるようになってきました。

永眠者についてはA修道院では今のところ報告はありませんが、他の修道院では、主に年配の修道士の永眠の報告は届いています。

このような状況のもとでは、さながら緊急事態宣言を発して、しばらく奉神礼を全面的に休止すればよいのでは、と思われますが、日々の祈禱を1000年以上継続してきた「絶えず祈ること」を旨とする世界、それは聖書を生きることそのものであり、実際にA修道院において、祈りは途切れることはなかったのです。

このような対処のありかたを、一概に肯定するつもりはありませんが、彼らの修道士としての自覚と対処のありかたは理解できるのです。すなわち、修道院の伝統のもとでの理路は「祈りの継続」です。

やがて、B修道院の友人は、祈りの継続がなんとか全うされたことに安あん堵どしていることを、まさに平常心をもってメールで淡々と伝えてきて、「私達のために祈ってください」と結ばれていました。

こうした嵐のような日々を経て、最近(2021年2月下旬)、アトス全体では一旦感染が収束しています。

A修道院の修道士仲間もみな「抗体」を獲得したはずなので、別種のウイルスの到来までは、「しばし安心して祈れる気分」であることを伝えてきています。

私にとっては、修道士達によってもたらされる知らせに、まさに「こういう対応もあったこと」を事実として、肯定も否定もせず、これがアトスだとただ伝えずにはいられない思いです。

こうした、コロナ禍のこの1年、私達にとって、今までになく大きな違いは、誰もが身近に感じていた人達の突然の死に出会ったことでした。

そのうえで、家族や自分自身の命の危険も迫ってくる状況に私達は置かれてしまいました。私達は、やがてたちまちにしてこの世を飛び去るという現実にありながらも死に向き合うことは難しいものです。

関連書籍

パウエル中西裕一『ギリシャ正教と聖山アトス』

1054年、キリスト教は西方カトリック教会と東方(ギリシャ)正教会に分裂。その後カトリックは宗教改革を経てプロテスタントと袂を分かつが、正教はキリスト教のルーツとして、正統な信仰を守り続けている。ギリシャ北部にある正教の聖地アトスは、多くの修道院を擁し、現在も女人禁制の地。修道士たちは断食や節食により己の欲を律し、祈りにすべてを捧げてその地で生涯を終える。本書では日本人として初めてアトスで司祭となった著者が、聖地での暮らしを紹介しながら、欲望が肥大しきった現代にこそ輝きを放つ正教の教えを解説する。

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ギリシャ正教と聖山アトス

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パウエル中西裕一

日本ハリストス正教会、東京復活大聖堂(ニコライ堂)司祭。
2016~2021年 上智大学神学部講師(東方キリスト教学)。
1950年東京生まれ。2016年まで日本大学教授(古代ギリシャ哲学)。
2000年より毎年聖山アトスラヴラ修道院を訪れて、補祭としての職務に就く。2012年よりラヴラ修道院付属のケリで、司祭として聖体礼儀を行う。

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