小野妹子、一休さん、徳川家康、平賀源内、葛飾北斎……。日本の歴史に燦然と輝く偉人たちですが、実は「意外すぎる晩年」を送っていたことをご存じでしょうか? 河合敦さんの『晩節の研究 偉人・賢人の「その後」』は、彼らの「その後の人生」にスポットを当てたユニークな1冊。教科書には載っていない面白エピソードがたっぷり詰まった本書から、とくにユニークな晩年を生きた偉人たちをご紹介しましょう。
* * *
常に金に困っていたのは「片付けられない」から
葛飾北斎と名のって活動していたのは、わずか6年程度だった。じつは北斎は雅号を生涯で50回以上変えているのだ。ただし「葛飾北斎」の雅号で有名になったことから、「前北斎~」「北斎改~」「葛飾~」といったように、自分が葛飾北斎本人であることがわかるような雅号を用いることが多かった。「だったらそんなにたびたび名を変える必要はないじゃないか」そう思うかもしれない。
が、それにはワケがあった。
著名になるにしたがって弟子も増え、孫弟子を含めると200人を優に超えるようになる。北斎は、そんな弟子たちに自分の雅号を次々と売っていたのである。誰だって有名人である師匠の名は欲しいから、譲渡された弟子はかなり高額な礼金を渡していたと推測できる。
北斎が雅号の売却を繰り返していたのは、金に困っていたからだった。
困窮の理由は、なんと引っ越しだった。この男、生涯に93回も転居しているのだ。
その理由は、部屋の中がゴミだらけになって生活できなくなるからである。
北斎はいまでいう、片づけられない症候群だったのだ。
ただ、引っ越した先で火事に遭わないのが北斎の自慢でもあった。火事と喧嘩は江戸の華といわれるくらい、江戸市中は火事が多かったが、50回以上も住居を変えながら北斎は火難を受けたことがない。そこで56回目の転居、すなわち75歳以降、北斎は自ら鎮火の守り札を描いて人に与えるようになった。ところがそれからまもなくして火災に遭ってしまうのだ。北斎は仰天して筆をにぎったまま家から飛び出した。まだ持ち出せる家財があったにもかかわらず、それには目もくれず、ひたすらに逃げ去ったという。思い上がってバチがあたったと思ったのかもしれない。ちなみに北斎は、それまで描いた作品を縮写して保管していたが、このときそれも全部燃えてしまった。このため大いに落胆し、以後、縮写はやめ、下絵も残さないようになったという。
それでも引っ越しはやめなかった。1つは寺町百庵の記録を目指していたようだ。寺町は、表坊主(江戸城で大名などに給仕する職)をつとめた人物で、優れた文化人でもあった。そんな彼は「私は百回転居する」と豪語して名を百庵と改め、その目標を見事達成していた。そこで北斎も、それにあやかろうとしていたというのだ。変わった人である。
娘・阿栄との同居生活
ちなみに、北斎はずっと単身で生活していたわけではない。いつのことかは不明だが、三女の阿栄が離婚して北斎のもとに転がり込んでいる。この阿栄、父親と同じく絵師となり、やはり絵師をしていた南沢等明のもとに嫁した。だが、阿栄のほうが夫よりも絵がうまかった。このため彼女は、等明の絵のつたなさをたびたび指摘しては笑ったという。これでは夫婦関係はうまくいくはずもなく、ついに離婚にいたったのである。
阿栄と同居するようになってからも、北斎の不潔な生活は改善されなかった。なぜなら、阿栄も同じようなずぼらな性格だったからだ。家事は一切せず、一日中、父親とともに絵を描いて過ごしていた。阿栄は雅号を「応為」と称したが、これは北斎が彼女をその名で呼ばず、「お~い」と連呼したことによると伝えられている。
金に困っていたのは引っ越しのせいだけでなく、北斎が金銭というものに執着がなかったことも関係しているだろう。明治26年に刊行された『葛飾北斎伝』(飯島虚心著)には「金銭を得るといへども、敢て貯ふの意なく、これを消費すること、恰土芥のごとし」(鈴木重三校注 岩波文庫)と、北斎の金銭感覚の麻痺が指摘されている。
60歳を過ぎた頃から北斎は日本の代表的な絵師として知られ、描いた絵も他の画家の倍額以上で取引された。しかし、紙に包まれた絵の代金を確かめることもせず、そのまま部屋にほうり投げておく。このため、食費や絵の具代などを徴収に来た商人たちは、ゴミの中から勝手に紙に包まれた金を持ち去り、その代金とした。思った以上に金が入っていれば超過分もそのまま着服し、不足していたときは改めて不足分を催促にやって来たという。それに対して北斎は、一切、文句を言わなかった。衣服も贅沢なものを身につけず、木綿の服が破れても繕いもせず、柿色の袖無しの半纏をはおり、まるで地方から出てきた老爺のような格好を好んだと伝えられる。
晩節の研究 偉人・賢人の「その後」の記事をもっと読む
晩節の研究 偉人・賢人の「その後」
小野妹子、一休さん、徳川家康、平賀源内、小林一茶、葛飾北斎……。日本の歴史に燦然と輝く偉人たちですが、実は「意外すぎる晩年」を送っていたことをご存じでしょうか? 河合敦さんの『晩節の研究 偉人・賢人の「その後」』は、彼らの「その後の人生」にスポットを当てたユニークな1冊。教科書には載っていない面白エピソードがたっぷり詰まった本書から、とくにユニークな晩年を生きた偉人たちをご紹介しましょう。