わたしもあなたもたった“8つの要素”でできている。そして人間の選択や行動はすべて無意識によって決定される。脳科学や心理学の最新知見を使って解き明かした、この恐るべき「スピリチュアル理論」で、今度はあなた自身が「人生は変えられる」と気づく番だ——。 話題の新刊『スピリチュアルズ「わたし」の謎』(橘玲著、幻冬舎)から、試し読みをお届けします。
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他者と感情を共有できるのは、相手の動作や表情、それにともなう心理状態を模倣するように脳がつくられているからだ。だがブルームは、「模倣」を過大評価すべきではないという。
誰かが平手打ちを食らわされているところを見ても、自分の頬がほんとうに痛んだりはしない。わたしたちはみなこのことを知っており、だからこそホラー映画を楽しむことができる。共感とはスポットライトのようなもので、それはひとを親切にしたり道徳的にしたりするのではなく、「他者の苦しみを可視化することで、他者の苦難を際立たせ、リアルで具体的なものにする」のだ。
ここから、共感がなぜ道徳を破壊するのか理解することができる。わたしたちは、スポットライトが当たったところだけに注目し、陰になった部分を意識の外に置いてしまう。「10歳の不幸な少女」にスポットライトを当てれば、それ以外の子どもたちは陰に押しやられるから、治療の順番を後回しにしてもべつに構わないのだ。
不幸な少女に強く共感すれば、なんとしても助けたいと思うだろう。だがこれはエゴイズムの一種で、その子さえ助かればほかはどうでもいい、ということになっていく。
公共財ゲームで投資家の鼻にオキシトシンを噴霧すると、運用者をより信用するようになる。他人を助けたいと思っているひとは、誰かが苦しんでいるビデオを観るとオキシトシンのレベルが上がる。それ以外にも、愛情や信頼についてのさまざまな実験で、ヒトだけでなく動物でもオキシトシンが「愛と絆」を強めることが確認されている。
だったら、このホルモンを全人類に噴霧すれば世界は平和になるのだろうか。残念なことに、事態はまったく逆になりそうだ。
トロッコ問題は「道徳のジレンマ」として知られている。
暴走するトロッコの先には5人の作業員がいる。それに気づいたあなたの横には切り替えスイッチがあり、それを使えばトロッコの進行方向を変えることができる。だがその線路にも1人の作業員がいて、大声を出しても気づかず、あなたにできるのは切り替えスイッチを押すことだけだ。あなたは1人を犠牲にして5人を救うべきか?
この思考実験には多くの哲学者が挑戦し正解はないが、オランダの心理学者はこれにちょっとした工夫を加えた。5人の作業員のなかの1人に名前をつけたのだ。ペイター(オランダ人)、アフメド(アラブ人)、ヘルムート(ドイツ人)で、これで3つのグループができた(*18)。
被験者は全員がオランダ人の男性で、ペイターのいるグループが内集団(俺たち)、アフメドとヘルムートのいるグループが外集団(奴ら)になる。内集団と外集団で切り替えスイッチを押すかどうかの選択が変わるかを調べるのが実験の目的だ。──切り替えスイッチを押せば5人の作業員を助けることができる。
その結果は、ペイター(オランダ人)のグループとヘルムート(ドイツ人)のグループでは差はなく、ペイターとアフメド(アラブ人)のグループでもわずかに(オランダ人を助ける)内集団びいきが見られただけだった。リベラル化したいまのオランダ人は、人種や国籍でほとんどひとを差別しないのだ。
そこで次に、被験者をランダムに選んで、「愛と絆のホルモン」であるオキシトシンを噴霧してみた。するとこんどは、ヘルムート(ドイツ人)のグループよりもペイター(オランダ人)のグループの生命を助ける割合がすこし高くなった。だが驚いたのは、アフメド(アラブ人)よりもペイターのグループの生命を救おうとする割合が劇的に高まったことだ。
この結果から心理学者は、「オキシトシンにはひとを内集団びいきの郷党的な利他主義者にする効果がある」と結論した。
この実験が示すのは、オキシトシンが直接、外集団(奴ら)に対する憎悪を生み出すということではない。オランダ人の被験者はアラブ人への敵意からではなく、自分たちのメンバー(ペイター)への「愛と絆」が増したことによって、結果的に排他的になった。「愛は世界を救う」のではなく、「愛」を強調すると世界はより分断されるのだ。
*18─Carsten K. W. De Dreu et al. (2010) Oxytocin promotes human ethnocentrism, PNAS
スピリチュアルズ 「わたし」の謎
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