寵愛(ちょうあい)、馴染(なじみ)、タニマチ、常連、自担(じたん)、推(お)し……歴史や分野をまたぎ発展してきた日本の「ひいき」文化。学校や会社、芸術界にスポーツ界、政治の世界まで、なぜ人は人に過剰な愛を向けずにいられないのか。『「ひいき」の構造』(島田裕巳著、幻冬舎新書)から試し読みをお届けします。
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贔屓について、これまで述べてこなかった意味としては、石碑の台になっている亀のような生き物のことがあげられる。これは、中国にはじまり、朝鮮半島や日本に伝えられたもので、台は亀趺(きふ)と呼ばれる。
今から40年以上前のことになるが、中国を訪れたとき、西安(せいあん)で碑林(ひりん)博物館に立ち寄った。そこには、著名な書家の字が刻まれた石碑が立ち並んでいたが、たしかに石碑の土台は亀のような贔屓になっていた。
中国において、贔屓は伝説上の生き物とされている。それは、竜が産んだ竜生九子(りゅうせいきゅうし)の一つで、贔屓のほかには、螭吻(ちふん)、蒲牢(ほろう)、狴犴(へいかん)、饕餮(とうてつ)、蚣蝮(はか)、睚眦(がいさい)、狻猊(さんげい)、椒図(しょうず)があげられる(明の時代の文人、楊慎(ようしん)の『升庵外集(しょうあんがいしゅう)』において)。饕餮(とうてつ)ということでは、中国古代の青銅器に刻まれた饕餮文の文様が思い起こされる。また、やはり明の時代の政治家で詩人の李東陽(りとうよう)による『懐麓堂集(かいろくどうしゅう)』では、贔屓ではなく、負屓(ふき)とされ、ほかには囚牛(しゅうぎゅう)、睚眦(がいさい)、嘲風(ちょうふう)、蒲牢(ほろう)、狻猊(さんげい)、覇下(はか)、狴犴(へいかん)、螭吻(ちふん)があげられている。このうち嘲風は、私が学んできた宗教学の日本の開拓者、姉崎正治(あねさきまさはる)の号だった。
贔屓は、背に甲羅を持っていて亀に似ているが、亀ではない。あくまで想像上の生き物で、竜の子である証に角が生えている。子どもとして出来が悪かったが、唯一の特技が、重いものを支えることだったという。だから、石碑を支えているのだ(高倉洋彰「ひいきにされなかった『贔屓』」産経新聞2016年11月18日)。
贔屓という想像上の生き物から、なぜ、ここで問題にしているひいきということばが生まれたのだろうか。力を出すという意味から転じて、特別扱いするという意味が生まれたと解説する辞書もあるわけだが、必ずしも納得できるものではない。
むしろ、貝が財貨であり、大切で貴重なものであるからこそ、その貝を3つ重ねた贔が、とくに目をかけているものの意味に転じたと考えた方が、納得できる説明になるかもしれない。ただこれは、あくまで私の解釈である。
「ひいき」の構造
許せない他人への贔屓(ひいき)。その一方で密かに願う自分への贔屓。寵愛、馴染、タニマチ、常連、自担(じたん)、推し……と次々に変容する日本の「ひいき」。対象への並外れた愛情を表すこの現象は日本独自のものと言えるのか。なぜ人は人や物に過剰な愛を向けずにいられないのか。