気鋭の歴史作家として人気を集める伊東潤さんが、自身の作品の舞台となった関東甲信の47の名城の魅力を余すところなく紹介した『歴史作家の城めぐり〈増補改訂版〉』。各城の悲喜こもごものエピソードや英傑たちと秘話逸話のほか、それぞれの城の設計構想などの情報も臨場感豊かに解説した本書の試し読みをお届けします。
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城は、どこに築かれるかによって種類が分かれます。城を築く場所を決めることを地選(ちせん)、城の立地のことを占地(せんち)と呼びますが、この占地によって城は種別されます。
大別すると山城、丘城(台地城)、平山城、平城に分けられます。もちろん明確な基準があるわけではなく、種別の判断は地元の大学教授や地域史家の判断に委ねられています。
それでも基準としては、比高(地上面からの高さ)五十メートル以上は山城、それ以下の台地上に築かれていれば丘城といった大雑把な区分けがなされています。さらに丘城の麓にも曲輪があるものを平山城、すべての曲輪が平地に展開されている城を平城と呼びます。
平城には戦国時代以前に築かれた方形居館(ほうけいきょかん)、いわゆる屋敷城も、徳川幕藩体制下に築かれた天守のある巨大な城も含まれます。
また河川、湖、海に面した城のことを水城、さらに海に面した城のみ海城と呼ぶことがあります。ただしこの区分けは山城、丘城、平山城、平城に準じたもので、安土城、長浜城、坂本城などは「平城の水城」、長篠城、二俣城、滝山城などは「丘城の水城」、下田城は「山城の海城」、小田原城は「丘城の海城」といった感じになります。
このほかにも、用途によって種別を設けるケースもあります。本城(ほんじょう)・支城(しじょう)・出城(でじろ)・詰城(つめのしろ)・境目(さかいめ)の城・陣城(じんじろ)・付城(つけじろ)・宿城(しゅくじろ)・つなぎの城・伝えの城・防塁といったものです。これらについては随時、説明していくことにしましょう。
城の基本用語
どんな分野でも専門用語は自然に覚えられるものなので気にする必要はありませんが、基本的なものだけでも紹介しておきましょう。
その前に築城のおおまかな手順から説明しておきます。
築城には城を築くおおよその場所を決める「地選」、縄張りを決める「経始(けいし) 」、土木工事を意味する「普請」、建築工事を意味する「作事」といった工程があります。
これらは陰陽道によって日時と方位が重視されます。戦国時代の軍師は作戦参謀ではなく、そうしたものを決める軍配者だったことが分かっています。
〈曲輪 くるわ〉
戦国時代の城の中の区画を曲輪と呼びます。また「丸」という用語は、江戸時代になってから曲輪と同義の言葉として使われるようになりました。本丸、二の丸、三の丸といった呼び方ですね。ただし戦国時代にだけ使われた城でも、曲輪を丸で呼ぶ城もありますのでご注意下さい。
「郭」という用語も同義で使われてきましたが、これは「囲い」の意味で、最近では城の中心的曲輪以外の曲輪を指すという説も出てきており、定義が曖昧になってきました。基本的には城の区画を指す言葉として、曲輪、丸、郭があることを知っておいて下さい。
城の中心を成す曲輪は本曲輪、本丸、主郭などと呼ばれますが、それらの大半は城内の最高所に築かれています。そのため物見用の狭小な曲輪が本曲輪とされることもあります。
城によっては、曲輪を数で呼ばずに東西南北で呼ぶものもあります。この場合、本曲輪を中心とした方角で名付けたものです。曲輪の数が多い城の場合、「南二曲輪」「東二曲輪」といった呼び方をする場合もあります。これは高低差がほとんど同じで、方角で区別するしかなかったケースです。ただし曲輪と郭は別としても、丸は四という文字だけは使いません。四が死に通じるからです。曲輪と郭に四を使う場合があるのは、現在の研究者が便宜上付けたからです。
城ごとに曲輪の呼称が異なることがあります。例えば城の中心となる曲輪が、本丸、本曲輪、
主郭、本城、実城といったように異なるケースです。これは城ごとにそう呼び習わされていることなので踏襲しています。
さてこうした曲輪を組み合わせて城の構成を決めていく作業を縄張りと呼んでいますが、城ごとに自由度が高そうに見えて、実は類型化できます。それが曲輪配置の四類型です。これは輪郭(りんかく)式、連郭(れんかく)式、梯郭(ていかく)式、円郭(えんかく)式の四種ですが、これらは出てきた都度、説明していきましょう。
〈土塁 どるい〉
曲輪の縁部の盛り土を土塁と呼びます。もちろん土を盛るだけでなく、土を削ることもありますが、堀同様、城を外から遮断する役割を担います。
土塁には遮断性だけを追求した巨大なものもありますが、射撃のための胸壁として、背丈ほどの高さのものもあります(旭山城・高天神(たかてんじん)城・丸子城など)。
同一曲輪内で区画を区切るために使われることもあれば、喰違(くいちがい)虎口などの防御性を高めるために造られることもあります。
土塁は土居とも呼ばれることがありますが、ニュアンス的には、土居は防御性よりも区画の仕切りとしての意味が強い気がします。代表例としては、秀吉が造った京都の御土居や
堺の土居(環濠)が挙げられます。
土塁には曲輪の区画用に設けられたものだけでなく、山の斜面などに設けられる縦土塁もあります。これは寄手の横への移動を制限する役割があります。つまり土塁には、遮断・胸壁・区画の区分・移動の阻止といった役割があるのです。
〈堀 ほり〉
城にとって基本的かつ最重要な防御施設こそ堀です。堀とは地面を掘り下げ、敵の侵入を防ぐことを目的としたものですが、大坂城の堀のように最大幅七十五メートルのものから、山城に見られる幅三メートルほどの小さなものまで多種多様で、これらを総称して堀と呼びます。
堀はその大小にかかわらず、外敵から城内を守り、内と外を区分するという共通の目的を持っていることに変わりはありません。
堀も、水堀・泥田(どろた)堀・空堀といった底の状態による区分、箱堀・薬研堀(やげんぼり)・畝堀(うねぼり)・障子堀といった底の形状による区分、また堀切・横堀・竪堀といった目的による区分などがあります。これらも出てきた都度、説明していきましょう。
〈虎口 こぐち〉
曲輪の出入口を虎口と呼びます。この虎口こそ寄手の攻撃が集中する地点であり、最も技巧が凝らされる場所となります。まずその形状から言うと、土塁が開口しているだけの平入(ひらいり)虎口、土塁を喰違いにして曲輪内を外からうかがわせないようにしている喰違虎口、桝形と呼ばれる空間を設けて侵入者を直進させない桝形虎口、坂状にして敵の進撃を遅らせる坂虎口などがあります。戦国末期には、箱根の山中城に見られる「屈曲スロープ型桝形虎口」といった様々な要素を併せ持った虎口も出現します。
また虎口を守る工夫として、前述の馬出や桝形があります。馬出は虎口を守ると同時に、陣前逆襲という防御法を取る上で必須の防御施設となります。形状としては、主に角馬出と丸馬出の二種があります。
東国では「北条(ほうじょう)氏は角を好み、武田氏は丸を好む」と言われています。こうしたことから、取ったり取られたりを繰り返した境目の城(最前線の城)は、どちらが最終的に改変を加えたのかの目安にもなっています。
桝形は、虎口の外か内に方形の空間を設けることで、そこをキルゾーン(死地)となし、虎口の防御力を高めています。
これらも出てきた都度、説明していきましょう。
*イラスト 板垣真誠 香川元太郎
*写真 伊東潤 Webサイト「日本の城」写真集 嵐山町教育委員会
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本書で紹介するのは、以下の47城です。歴史作家ならではの城郭ガイドをどうぞお楽しみください。
【東京都】滝山城/石神井城/江戸城/浄福寺城
【神奈川県】小田原城/玉縄城/津久井城/三崎城/石垣山城/小机城
【埼玉県】松山城/菅谷城/杉山城/忍城/岩付城
【千葉県】国府台城/佐倉城/臼井城/本佐倉城/関宿城
【群馬県】岩櫃城/太田金山城/松井田城/沼田城
【栃木県】唐沢山城/祇園城/宇都宮城/足利氏館
【茨城県】逆井城/額田城/小幡城/石神城
【山梨県】新府城/躑躅ヶ崎館/岩殿城/若神子城
【長野県】高遠城/上田城/大島城/旭山城/戸石城
【静岡県】諏訪原城/下田城/興国寺城/丸子城/田中城/山中城
歴史作家の城めぐり〈増補改訂版〉
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