年齢、結婚、ファッション、女ともだち……女性の人生にはいくつもの葛藤があります。山内マリコさんの『あたしたちよくやってる』は、いつの間にか自分を縛ってしまっている女性たちの日々を丁寧に描き、そして救い上げてくれます。
この本には、もがきながらも果敢に生きる女性たちを肯定し励ましてくれる小説とエッセイが34編収録されています。その中から、今回は特別に「しずかちゃんの秘密の女ともだち」を公開いたします。
文庫版では、単行本未収録の「ある時代に、ある夢を見た女の子の、その後」と「一九八九年から来た女」(特別書き下ろし)を収録しております。是非お手にとってみてくださいね。
■以下の短編は漫画『ドラえもん』(藤子・F・不二雄 著)のアニメ版のキャラクター設定を使って、作家が想像を膨らませた二次創作です。原作者や作品の名誉・声望を害する意図はなく、あくまで今日的なジェンダー視点を取り入れた実験作としてお読みください。
しずかちゃんの秘密の女ともだち
しずかちゃんには秘密がある。本当は、しずかちゃんは出木杉君より勉強ができる。このクラスでいちばん、いや、学年でいちばんかもしれない。だけどしずかちゃんは、クラス一の秀才である出木杉君を追い越さないよう、手加減しているのだった。
しずかちゃんは一度、出木杉君よりいい成績をとったことがある。担任の先生が、「いちばんは源静香くんです」と言ったとき、しずかちゃんはうれしいような、ちょっと恥ずかしいような気持ちがした。いちばんになるって、誇らしいけど、目立ちすぎて、なんだか照れる。みんなから一斉に注目を浴びると、顔がカッと熱くなった。
先生から百点満点の答案用紙をうけとり、自分の席に戻る途中、しずかちゃんは教室中が変な空気になっているのに気づいた。
「出木杉ぃ~、お前、しずかちゃんに負けたぞ!」
ジャイアンが大きな声で冷やかした。
「出木杉が女に負けた! 女に負けた!」
スネ夫が火に油を注ぐ。
しずかちゃんは、怖くて出木杉君の方を向けなかった。
「静粛に! 静粛に!」
先生が声を張り上げて注意したけど、みんなまだ騒いでいる。
しずかちゃんはすっかり小さくなって、悲しい気持ちでいっぱいで、席についた。涙が溢れそうなのをこらえるのに必死だった。
いちばんになったのに、いじめられてるみたい。
のび太さんならこの気持ちをわかってくれるんじゃないかしらと、しずかちゃんは助けを求めるようにのび太の様子をちらりとうかがった。
「なぁんだ、出木杉君って頭がいいと思ってたけど、しずかちゃんの方が上だったのかぁ~」
のび太の無神経なひとりごとが耳に入る。
しずかちゃんはますます小さくなってうつむいた。
恵まれた家庭で両親の愛情をたっぷり浴び、すくすく育ってきたしずかちゃんは、このとき、生まれてはじめて、傷ついたのだった。
それからというもの、しずかちゃんはテストのときに、こっそり手を抜くようになった。満点がとれそうなところ、二つ三つ答えを消して、提出するのだ。これでもう、いちばんになることはなかった。テストの時間、しずかちゃんは誰よりも先に解答欄をすべて埋めた。そしていくつかの答えをそっと消した。余った時間、しずかちゃんは教室を見回す。苦悶するのび太、カンニングしようと辺りをうかがうスネ夫、そのスネ夫に答えを教えろと目顔で圧をかけるジャイアン、そして出木杉君。出木杉君はほかの男子に比べると大人だし、人一倍プライドが高いから態度には出さないけれど、答案用紙に向かう背中からは、しずかちゃんに対する闘争心がメラメラと燃えたぎっていた。
しずかちゃんは泣きながらドラえもんにすがった。
「ドラちゃん、どうしていちばんになっただけで、こんな気持ちを味わわなくちゃいけないの? きっとあたしが女の子だからいけないのね。そうなんでしょ。わぁーんわぁーん」
しずかちゃんは小さな子どもみたいに、空に向かって人目もはばからずに泣いた。
ドラえもんは、いつもみんなといるときとは、ちょっと様子が違った。態度になんだか距離を感じる。
「うーん、ボクにはわからないよ。しずかちゃんの悩みを解決できる道具は持ってないんだ。そういうことはドラミに相談してくれないかな。ドラミのやつなら、きっと〈さかさまティアラ〉を持ってるはずだから」
「さかさまティアラ?」
「そう。ティアラの形をしていて、かぶると世界がさかさまになるんだ。男の子と女の子もさかさまになるから、しずかちゃんが出木杉君に勝っても、誰もなんとも思わないはずだよ」
しずかちゃんは言った。
「でも、そんな道具では解決しないんじゃないかしら。だってあたしが生きていかなきゃいけないのは、この現実ですもの」
「それじゃあしょうがないね」
ドラえもんはあっさり言い捨てて、タケコプターでひょいと空へ飛びあがった。
「しずかちゃんも空き地においでよ。みんなで野球やってるよ」
しずかちゃんは道にぽつんと立ち尽くした。
しずかちゃんは野球なんかやりたくなかった。
一人になりたかった。
そして逃げ込むようにして行った学校の裏山で、あの子と出会った。
「あら、しずかちゃんじゃない」
「まあ、ジャイ子さん。どうしたの? こんなところで」
しずかちゃんとジャイ子が二人きりで会うのは、これがはじめてだった。
「あたしはこのお花をスケッチしてるのよ。見て、しずかちゃん。このお花とってもきれいだと思わない?」
ジャイ子が指さした先には、うっかり見過ごしてしまいそうに小さな、白い花がぽつんと咲いていた。
「ほんとだわ、とってもきれい……」
しずかちゃんは、ジャイ子に言われなければ、この小さな花には気づかなかったと思った。それで、その気持ちを素直に話した。
「お花もとってもきれいだけど、このお花がきれいだと気がついたジャイ子さんの心や感性も、本当に素敵だと思うわ。それに絵も、とっても上手」
突然そんな賛辞を浴びて、ジャイ子は驚きのあまりかたまってしまった。それから、
「わぁーんわぁーん」
小さな子どもみたいに、空に向かって泣きじゃくったのだった。
「どうしたの!? ジャイ子さん、大丈夫?」
しずかちゃんはおろおろして言った。
「あ、あ、あたし、こんなに褒められたの、はじめて~。褒められたら、うれしくてうれしくて、涙が出てしまったの。しずかちゃん、ありがとう。これは悲しい涙じゃなくて、よろこびの涙なのぉー」
しずかちゃんは、オイオイ泣きじゃくるジャイ子を、ぎゅっと抱きしめた。
そして二人は、一緒になって、泣いたのだった。
こうしてしずかちゃんとジャイ子は、ともだちになった。ただのともだちじゃなくて、親友に。
けれど、それは二人だけの秘密だ。誰にも知られてはいけない、秘密のともだち。
二人とも、自分の出番がないときは、こっそり裏山へやって来て、思う存分おしゃべりしたり、駆け回ったりして遊んだ。二人きりだと、誰にも気を遣わなくていい。
木によじ登っても、「はしたない」なんて言われない。二人だと会話も冴えてるし、野球なんかよりもっと面白い遊びをあみだしたりできた。
「どうしてあたしたちが主役じゃないのかしらね、まったく」
ジャイ子は少女漫画の新作を描くたび、しずかちゃんに最初に見せた。しずかちゃんは率直な感想を言い、そして熱心に、ジャイ子の才能を褒め讃えた。
「ジャイ子さんなら絶対に絶対にプロの漫画家になれるわ!」
しずかちゃんは力を込めて言い切った。そうなってほしかったのだ。なぜならしずかちゃんは、自分の運命を知っていたから。のび太のお嫁さんになるしかない、自分の運命を。
しずかちゃんは、テストのとき、ちょっとだけ手を抜く。
しずかちゃんは、男子とばかりつるんでるという陰口を聞かなかったことにする。
しずかちゃんは、お風呂をのぞかれても本気で怒らない。
でも、あとでジャイ子に電話して、「のび太がまたのぞきやがった。あいつコロス!」とか言って発散してる。
けどそのことも、内緒だよ。