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英国ユダヤ人の歴史

2021.08.03 公開 ポスト

第1回

なぜユダヤ人は英国で目覚ましい成功を遂げられたのか佐藤唯行(獨協大学教授)

キリスト教誕生以来、ヨーロッパ社会に「反ユダヤ主義」がはびこる中、ユダヤ人たちは迫害に屈せず、移り住んだ地でタフに生き抜いてきました。とくに成功が目覚ましかったのは英国ユダヤ人です。イギリス千年の盛衰に重大な役割を果たしたユダヤ人の足跡を読み解いた『英国ユダヤ人の歴史』(佐藤唯行著)から、試し読みをお届けします。第1回は「はしがき」から。

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現在のスエズ運河。1875年の英国によるスエズ運河買収にも英国ユダヤ人が深く関わっていた(写真:iStock.com/Markeliz)

ユダヤ史に関心を持つ読者にとり、我が国の現在の出版状況は大変恵まれたものと言えよう。様々な国のユダヤ史が邦語で刊行され、たやすく読める時代が到来しているからだ。こうした中、読者諸氏は果たしてどこの国のユダヤ史が一番面白いとお感じになっているのだろうか。筆者には英国が一番と思えてならない。

理由を御理解いただくため、まずは合衆国と比べてみよう。合衆国は世界最大規模のユダヤ人居住国で各界での活躍も目覚ましい。トランプ政権の中枢にも食い込んでいたほどだ。けれどその歴史は三五〇年、中世と近世前半が欠落している。歴史趣味とロマンを堪能したい読者には物足りぬ国だ。

次はドイツ・東欧諸国との比較だ。英国と同じく中世以来の長い歴史を持つユダヤ社会だが、ホロコーストの災禍の中で灰燼(かいじん)に帰してしまった点が惜しまれる。戦後再建されたユダヤ社会は旧ソ連出身者が人工的につくりあげたもので、戦前まで栄えていた豊饒(ほうじょう)なユダヤ文化の伝統は完全に途絶え、現状は文化的にも経済的にも「取るに足らぬ」存在となってしまった。

ロシアにも長い歴史を持つユダヤ社会が存在したが、旧ソ連崩壊の混乱の中で、世界第三位、二六〇万人を誇ったユダヤ人口は大半が海外に流出してしまった。

さらに言えばこれらの国々には近代英国ユダヤ史を特徴づけたグローバル進出のダイナミズムが欠落している。大英帝国形成過程において英国ユダヤ人は多数派英国人と同様に狭い島国を飛び出し、世界各地の英領植民地に雄飛し、緊密な同族ネットワークを構築してきた。彼らの中には大英帝国の勢力拡大に決定的な役割を演じた者も少なくない。

それとは逆に、親の代に外国から英領植民地に辿(たど)り着いたユダヤ移民の子供が、英領に生まれたことで手に入れた「英臣民資格」を武器に大富豪に成り上がり、英本国の上流社会にデビューを果たす興味深いパターンも確認できる。いずれも独・露・東欧のユダヤ史には垣間見ることのできぬ面白さと言えよう。

本国と植民地の間に張り巡らされたユダヤ・ネットワークの存在という点ではスペイン・ポルトガルも英国と同じだ。けれど両国には近代以後「見るべきユダヤ社会」は存在しない。長い経済的停滞と独裁政権を嫌い出国してしまったからだ。

これまで指摘した「面白さの条件」を英国同様満たしているのはフランスだ。中世前期まで遡(さかのぼ)る仏ユダヤ史は英国のそれを上回る長い歴史だ。しかし難点がある。一〇〇〇年に及ぶ中世史が複雑で分かりにくいのだ。

国王による一元的支配下に置かれた英国と異なり、国王を凌駕(りょうが)する大諸侯勢力が各地に跋扈(ばっこ)した中世フランスでは、ユダヤ人の中に大諸侯の支配に服する者も大勢おり、彼らが置かれた状況は地方毎に多様だったからだ。ユダヤ人が国王直属の金貸し集団として国王政府の役所、ユダヤ人財務府の支配・統制下に置かれていた中世英国の分かりやすい歴史像をフランスで描くことはできない。

次に近世・近代だが、英国と比べ差別がかなり強かったフランスでは、ユダヤエリートが活躍できる場が限られていた点が特色と言える。ユダヤエリートが著名なキリスト教徒と協力し偉業を成し遂げる事例は英国に比べ少ない。カトリックの国フランスと異なり、プロテスタントの国英国には宗教的理由でユダヤ・イスラエルを支持するキリスト教シオニストが四〇〇年近く勢力を保ち続けているからだ。クロムウェル、バルフォア、ロイド= ジョージはその代表だ。

また宗教的信念からではないが、ユダヤ人と深く結びついた軍人・有力政治家も珍しくない。ネルソン提督、チャーチル、サッチャーがその典型だ。いずれも高校世界史に登場するほどの有名人だが、フランス史の中で彼らに匹敵する「ユダヤの友」は見当たらない。

さらに日本とのかかわりも興味深い。ロンドン金融市場で日露戦争の資金調達に苦慮する高橋是清に対し、英国王エドワード七世の宮廷に集うユダヤの側近たちが助け船を出してくれた一件だ。

本項の最後に英国ユダヤ系自身が世界史の流れに大きな影響を及ぼした事件を紹介しよう。一八七五年のスエズ運河買収だ。破産に瀕したエジプトが売りに出したスエズ運河を、宿敵フランスに奪われる前に首相ディズレーリが秘かに交渉を進め、盟友ロスチャイルドが短期間に巨額の資金を調達し買収を成功させ国益を守った一件だ(ディズレーリは立身のためキリスト教に改宗したとはいえ、終生旺盛なユダヤ人意識を持ち続けた人物だ)。英国のアジア進出はこれにより加速された。匹敵する事例を仏ユダヤ史の中に見いだすことはできない。

近世以後の英国が差別の少ない寛容な社会風土だったからこそ、他国に勝るユダヤ人の活躍を生み出し、それこそが英国ユダヤ史の尽きせぬ魅力となっている。

関連書籍

佐藤唯行『英国ユダヤ人の歴史』

キリスト教誕生以来、ヨーロッパ社会には「反ユダヤ主義」がはびこるが、ユダヤ人たちは迫害に屈せず、移り住んだ地でタフに生き抜いてきた。とくに英国における成功は目覚ましい。一三世紀、エドワード一世はユダヤ人を国外追放するが、一七世紀、クロムウェルが再入国を許可。以後、彼らはロイド・ジョージ、チャーチル、サッチャーほか有力政治家と深く結びつき、一九世紀に銀行業を興したロスチャイルド家は、世界屈指の財閥に成長した。イギリス千年の盛衰に重大な役割を果たしたユダヤ人の足跡を読み解く。

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英国ユダヤ人の歴史

イギリス千年の盛衰に重大な役割を果たしたユダヤ人の足跡を読み解いた『英国ユダヤ人の歴史』(佐藤唯行著)から、試し読みをお届けします。

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佐藤唯行 獨協大学教授

1955年、東京生まれ。一橋大学大学院社会学研究科博士課程単位取得。獨協大学外国語学部教授。専門はユダヤ人史。著書に『英国ユダヤ人』(講談社選書メチエ)、『アメリカのユダヤ人迫害史』(集英社新書)、『アメリカ経済のユダヤ・パワー』『アメリカはなぜイスラエルを偏愛するのか』(ともにダイヤモンド社電子書籍)等がある。

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