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英国ユダヤ人の歴史

2021.08.24 公開 ポスト

第4回

首相ディズレーリとロスチャイルド家の親密な関係佐藤唯行(獨協大学教授)

イギリス千年の盛衰に重大な役割を果たしたユダヤ人の足跡を読み解いた『英国ユダヤ人の歴史』(佐藤唯行著)から、試し読みをお届けします。ヴィクトリア朝の保守党を代表する政治家ディズレーリは、英国国教会に改宗していましたが出自はユダヤ系。同じくユダヤ系の大財閥ロスチャイルド家との関係はどのようなものだったのでしょうか。

*   *   *

「ユダヤの誇り」を身体能力で示したのがメンドーサと弟子たちだったとすれば、雄弁と文才で示したのがベンジャミン・ディズレーリ(一八〇四-八一)だ。彼はユダヤ出自の公職者の中で最も著名な人物だ。立身のため、表向きは英国国教会に改宗したとはいえ、彼の人生は「ユダヤ人の人生」と呼ぶに値するものだった。旺盛なユダヤ人意識を持ち続け、それを公言してはばからなかったからだ。

裕福な未亡人を後援者にすべく、男ぶりを磨く若きディズレーリ(*1)

彼が首相の座に登り、女王の寵愛を得て伯爵に叙せられるのに、ユダヤ出自は英国という国では致命的障害にはならなかった。しかし幾多の偏見を乗り越える必要はあった。政治家志望の野心的な若者にとり、必要なことは後援者探しだ。そこで社交界に潜り込み、色男の小説家として振る舞い、裕福な未亡人たちの歓心を買った。彼の文才、男ぶりは出自に伴うハンディをはね返す武器となった。社交界では異人との交際はファッションとしてもてはやされたからだ。

ところが選挙に立候補するや、状況は一変する。ユダヤ出自が攻撃材料にされてしまうのだ。演説会では心ない野次が飛び、対立候補の手下は竿(さお)の先にベーコンの切り身を突き刺し、彼の鼻先で揺らす嫌がらせをした。ベーコン(豚肉)はユダヤ教戒律では忌避すべき食物であるため、この行為は彼がユダヤ出自であることを恰好の攻撃材料にした嫌がらせだったわけだ。

議席争いに勝つため対立候補たちは、人々の意識下に蠢(うごめ)き始めた反ユダヤ感情を呼び覚まそうとした。それは中世キリスト教会が広めた、宗教の違いに根差す反ユダヤ主義とは別物だった。キリスト教に改宗した後も、当該人物をユダヤ出自のゆえに執拗(しつよう)に排撃し続ける、新たなタイプの反ユダヤ主義だった。後のナチズムにおいて完成される、人種を根拠とした近代反ユダヤ主義と言えよう。

これに対し彼が採った対抗策は注目に値する。寛容の精神を説いたり、自身が「英国人プロテスタント」であることを証明したりする代わりに、誇張された「ユダヤ人種優越論」を唱えることで対抗した。ユダヤ人は英国民のためにふさわしいリーダーシップを行使できる「選ばれし人種」であると主張し、英国社会の諸制度はユダヤ的価値観に根差すと説いたのだ。人種に対する思い入れは著しい。彼の小説に度々登場する全知・全能のキャラクター、シドニア(半分は彼自身、もう半分はロスチャイルド家の当主を体現している)をして「人種こそ全てだ!」と宣言せしめるほどであった。

みずからのイメージ作りに人種論を持ち出したことは、当時、胎動を始めた欧州思想界の鬼子、人種論的近代反ユダヤ主義に何某(なにがし)かの根拠を与える結果となってしまった。つまりディズレーリは人種論的近代反ユダヤ主義の最初の被害者であると同時に、その増幅に一役買ってしまった人物と言えよう。

現代人からすれば妄想と思われる人種論にまみれていたのは彼ばかりではなかった。当時、欧州に生きた多くの知識人も、人種こそ歴史や政治を動かす原動力と見なしていた。ディズレーリが政界の反ユダヤ主義に対抗するために「ユダヤ人種優越論」を捏造(ねつぞう)したことに最初に注目したのは、政治学者ハンナ・アーレントだった。

その後、英近代ユダヤ史の研究者D・セサラーニ教授は、ディズレーリが「ユダヤ人種優越論」を宣伝し始める時期が、ロスチャイルド家と親密な関係を築き始める時期と一致している点に着目し、新説を唱えた。「ユダヤの誇りを強く抱くロスチャイルド家に取り入るため『優越論』を唱え始めた」という説だ。自分は改宗者にありがちなユダヤ教に対する否定的な見解の持ち主ではなく、「ロスチャイルド家の宗教と人種」に好感を抱いていることを積極的にアピールする必要があるとディズレーリは考え、その通りに実行したのだ。

こうして何とか受け入れてもらい、互酬関係が築かれた。議会で得た情報をロスチャイルド家に教え、ロスチャイルド家は海外駐在員から得られる極秘国際情報をディズレーリに伝えた。政治資金提供についても、一八六二年に少なくとも二万ポンドの献金を同家から受けていたことが確認できる。

特に第二代当主ライオネルとは最も親密な間柄で、屋敷を長年、自宅代わりに使わせてもらったほどだ。一八七九年、ライオネルの死に打ちのめされたが、三人の息子たちは父の「旧友」のもとに集まった。ディズレーリは晩年の一〇年間、心底、ロスチャイルド家の代理人であった。

*1 Edited by Charles Richmond and Paul Smith, The Self-Fashioning of Disraeli 1818‐1851(Cambridge University Press 1998)

関連書籍

佐藤唯行『英国ユダヤ人の歴史』

キリスト教誕生以来、ヨーロッパ社会には「反ユダヤ主義」がはびこるが、ユダヤ人たちは迫害に屈せず、移り住んだ地でタフに生き抜いてきた。とくに英国における成功は目覚ましい。一三世紀、エドワード一世はユダヤ人を国外追放するが、一七世紀、クロムウェルが再入国を許可。以後、彼らはロイド・ジョージ、チャーチル、サッチャーほか有力政治家と深く結びつき、一九世紀に銀行業を興したロスチャイルド家は、世界屈指の財閥に成長した。イギリス千年の盛衰に重大な役割を果たしたユダヤ人の足跡を読み解く。

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英国ユダヤ人の歴史

イギリス千年の盛衰に重大な役割を果たしたユダヤ人の足跡を読み解いた『英国ユダヤ人の歴史』(佐藤唯行著)から、試し読みをお届けします。

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佐藤唯行 獨協大学教授

1955年、東京生まれ。一橋大学大学院社会学研究科博士課程単位取得。獨協大学外国語学部教授。専門はユダヤ人史。著書に『英国ユダヤ人』(講談社選書メチエ)、『アメリカのユダヤ人迫害史』(集英社新書)、『アメリカ経済のユダヤ・パワー』『アメリカはなぜイスラエルを偏愛するのか』(ともにダイヤモンド社電子書籍)等がある。

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