シーン…とした場所で読むのがおススメできない本といえば、宮田珠己さんのエッセイ。というのも、読んでると、つい声出して笑っちゃうから!
そんな宮田さんの最新文庫、脱力しまくりの旅エッセイ『日本全国津々うりゃうりゃ 仕事逃亡編』が、発売になりました。
“根っからの怠け者だけど、無類の旅好き”という宮田さんが、鬼編集者(!?)テレメンテイコ女史とともに、流氷ウォーク、粘菌探し、ママチャリ旅に手漕ぎボート……などなど、どこへでも行くが、どこでも脱線する! という、見事な珍旅ぶり。
続くコロナ禍で、なかなか旅に出られない夏休み。暑い夏に、超絶・涼しい旅の様子を、お届けしております!
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オホーツク編2
砕氷船の仕掛けについて
テレメンテイコ女史の陰謀によりワカサギを釣るはめになり、揚げてもらって食ったらうまかった。
何の興味関心もなく食ったワカサギであるが、旅に出たことで、仕事場で原稿を書いていたときにはすぐれなかった体調も、よくなってきた気がする。やはり人間、仕事はほどほどにして旅をしないといけない。もちろん、この旅もいずれ仕事として自分にはねかえってくるわけだけども、そのへんは今は考えない。せっかく死んだ魚の目が回復しつつあるのだ。このまま流氷に向けて突っ走りたい。
われわれがワカサギ釣りガイドの車を降りたのは、網走の港にある「流氷街道網走」という道の駅で、ここから観光砕氷船おーろら号が出航している。
ワカサギ釣りはまったく興味なかったが、砕氷船は面白そうだ。
ちょうど30分後に出航とのことで、そのまま並んで乗ることにした。
網走の町にはそんなに人の姿はなかったのに、この砕氷船乗り場は、ものすごい数の観光客でごった返していた。ほとんどが中国人のようだ。
乗り込んでデッキにあがると、港の防波堤の向こうに、流氷が白く浮かんで海を埋め尽くしているのが見えた。初めて見る流氷だ。
流氷は港の沖数百メートルのところまで押し寄せていて、そのために波やうねりが港まで届かず、港内の海面はまるで湖水のようだった。そしてその水面もうっすらと凍っている。
船が動き出すと、船の周りの薄い氷が粉砕され、割れた氷の破片が海の上を滑っていったり、さらに、大きなガラス板のような海面が、まるごと船に押しのけられて防波堤に当たって散り散りに砕けたりした。面白い。人間、小さな水溜まりでも氷が張っていればわざわざ割りたいぐらいだから、海の氷を割るのは一層エクスタシーがある。できれば自分で船を操縦して自由自在に割りたいほどだ。
港内に砕氷船がもう1隻停泊していたので、どんな仕掛けがあるのか観察した。
砕氷船というからには、船の先端に何か秘密の仕掛けがあると思ったのである。はじめはたぶんこんな感じじゃないかと思っていた。
かつて新潟で見た除雪車のイメージである。しかしパッと見た感じ、そんな大掛かりな仕掛けはないようだ。とすれば、こんな感じなのか。
ギンギンにエッジが利いていて、触れるものすべてを真っぷたつにせずにはおれないという。
しかし、実際は全然違ってんな感じだった。
なんじゃ、こりゃ。こんなずんぐりむっくりした形でどうやって流氷砕くのか。ひょっとして水中に何かものすごい仕掛けがあるのではないか。
そう思ってパンフレットをよく見ると、全体図はこんな感じだった。
何もないぞ。いいのかそれで。何ひとつ流氷に立ち向かおうという気概が感じられない。こんなんで流氷割れるのか。
聞けば数年前に、港を出てすぐのところで流氷に囲まれ立ち往生し、脱出するのに夜までかかったことがあるという。全然ダメではないか。
そしてそんな砕氷船おーろら号は、今まさに沖に見える一面の流氷に向かって、着々と針路を取っているのだった。
このあたりはまだ透き通った薄い氷だから、こともなく割って進めるが、先に見える流氷原は、厚さ数十センチはありそうな本格的な真っ白い氷だ。この船で本当に大丈夫なのか。
沖合い数百メートルほどまで進むと、いよいよ氷は厚みを増し、密度も濃くなってきた。ある程度までは、厚い氷の塊がたくさん浮いているという感じで、そのすき間に船体を入れれば自然に左右にぷかぷか分かれて道が開けたが、やがて氷は大きな一枚板のようなものになってきて、もう相当な厚みがありそうである。下手すると閉じ込められるんじゃないか、と思うものの、おーろら号は案外平気でメキメキ進んでいく。
私はデッキから真下の海面を眺めた。船体の両脇もびっしりと流氷である。このあたりの流氷はもう人間が乗っても大丈夫そうなぐらいだった。
大きな板が、船の周囲から細かく砕け、ああ、砕けている、と思う。肝心の船の先端でどうやって砕いているのかデッキからは見えないのだが、両脇では、とくに豪勢な仕掛けもなく、船が進むとただ氷が砕けていった。
その様子をじっと見ているうちに、私はみるみる飽きてきた。
何か変わった感じがするかと思って船室内に引っ込んでみたが、乗り心地に特別なことはなく、普通の遊覧船と同じだった。氷の割れるときの振動でガッシンガッシン響くということもない。
はじめはデッキに群がっていた乗客も、だんだん船室内に戻ってきて、水槽に飼われているクリオネの写真を撮ったりして、流氷は思った以上の素早さで飽きられているようであった。流氷原はたしかに珍しい眺めではあるけれど、見続けるには変化に乏しい。船のエンジン音と風の冷たさ、そしてカモメの存在がなければ、デッキに出ていてもまるで室内のようだった。白熊でも走り回っていれば別だろうけど、しまいには椅子を確保して寝そうになった私だ。
ちなみに帰ってから調べたところ、砕氷船は、あのずんぐりむっくりした船首で氷に乗っかり船の重みによって割る仕組みなのだそうである。冴えないようでいて、逆にあれこそが戦略的な形であったということだ。
私としては、あのような流氷に実際人間が乗ってどうなのか、という点が気になった。大きな一枚板もあったけれど、そうはいっても不安定なものばかりで、うっかり乗ると割れたり、滑って転んで落っこちたり、小さなものは転覆したりしそうだ。あるいはもっと流氷の厚いところまで行って乗るのだろうか。
おーろら号から下船したわれわれは、道の駅でオホーツク「流氷カリー」なる青いカレーを食べ、網走といえば誰もが思いつく有名な監獄博物館を見物した後、電車で知床斜里(しれとこしゃり)へ行き、そこからさらにバスに乗り換えてウトロへと向かった。
そうして道中の車窓から発見したのは、網走とウトロでは、流氷の様子が全然違うということだった。
(オホーツク編 つづく)
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日本全国津々うりゃうりゃ 仕事逃亡編
仕事を放り出して、今すぐどこかに行きたいじゃないか! 根っからの怠け者だが、無類の旅好き。人間、旅行以上に大事な仕事があるだろうか。鬼編集者テレメンテイコ女史とともに流氷ウォーク、粘菌探し、ママチャリ旅に手漕ぎボート、果ては迷路マンションまで。どこでも行くが、どこでも脱線。読むほどに、怠け者が加速する脱力珍旅エッセイ。