絶賛発売中の『読んでほしい』は、放送作家おぎすシグレ氏のデビュー小説。Twitterなどで、「面白い!」「笑えるなあと思ってたら、不覚にも感動した」となど絶賛!
せっかく書いた小説を誰にも読んでもらなえい中年男が、悪戦苦闘を始める――という物語なのだが、読み始めると止まらないのである。
40歳という中年になったが、ぜんぜん成長できていない自分。後輩の前で情けない……。
* * *
申し訳ない。私は、正直に答えすぎた。ダメな先輩だ。でも仕方ない。それが私なのだ。
どうも上手に嘘をつけない。本来なら後輩に対し、夢や希望を与えないといけないはず。私がもっと堂々と納得のいく仕事ができていれば、彼に明るい未来を紹介できたのかもしれない。しかし今の私には、それができない。
二十二歳から放送作家を始め、今に至る。若い頃から変わっちゃいない。私に付きまとう景色は、灰色の不安。私は就職をしたことがない。だから、決まった月給やボーナスなどもらったことがない。その時々、人からもらう仕事を請け、お金をもらう。格好良く言えばフリーランス、職人だ。しかし現実は、下請け業者。お笑い事務所やテレビ局から仕事をもらう。四十歳になるが、「是非、緒方さんとお仕事がしたいです」と言われたことなんかない。決まって「緒方君。手伝ってみる?」と軽いタッチで相談される。つまり職人ではなく、手伝いの人。手伝いの人は、手伝うことがなければ仕事がない。いつ何時、仕事がなくなるか、わからない生活。
だから仕事を与えてくれる人を探し、頭を下げる。手伝わせてくれる人を探す。家族と幸せな生活を送るためなら、仕方がない。そう私は考えて動いてきた。今のところ、私の作家人生はそんなものだ。景色なんて変わっちゃいない。
「僕、作品を作りたいです」
昨日も聞いた台詞だ。若手の作家は、みんな同じことを考えているのか。
「作品って何?」
「わかりません。ただ、何かを作らないといけない気がします」
「確かにね。例えば、何だと思う?」
「強いていうなら……餃子ですかね」
「餃子!?」
嘘だ。若手の作家は、迷うと餃子に行きつくのか。私だけが不思議な世界に迷い込んでしまったのか。
私は小松君に質問を投げた。
「何で餃子なの?」
「……餃子好きですから」
「餃子が好きなんだ」
「僕、豊橋生まれで、子供の頃から餃子を食べていました」
「そうなの」
小松君が言うには、豊橋市には餃子専門店が多いそうだ。持ち帰りで餃子を買い、家族で食べるという食文化があるらしい。しかし名古屋には餃子専門店は少なく、もし店を立ち上げることができれば当たるのではないかと、小松君は考えているみたいだった。
「まぁ、餃子も立派な作品だからね」
「わかります!? ですよね! さすが緒方さんだ!」
小松君は興奮気味に私の手を握り、強引にシェイクハンドをしてきた。昨日の出来事があったおかげで、餃子への免疫ができていた私は、彼が求める答えを与えられたようだった。
「でも、餃子も甘くないと思うよ」
「ですよね。やっぱり逃げているんですかね」
「逃げている?」
「何か作家業が忙しくて、もっと違う形でお金儲けがしたいなんて思ってしまっているんです」
「そうか……。ならば、逃げているかもね」
小松君にとってはつらいかもしれないが、正直に答えた。江川と比べるのも変だが、餃子への熱意は明らかに小松君が負けていた。
「食べ物じゃないとダメなの?」
「食べ物じゃなくてもいいです。ただ安心できる収入形態にしたいんです」
小松君は切実な悩みを打ち明けた。
「未来が見えないですし、作家をやめたいとは思いませんが、このまま続けるのが怖いんですよね」
「確かにね……」
小松君に同感している私がいた。未来は明るくなければ前に進めない。暗く長いトンネルを歩いても、行き止まりかもしれない。それでも、私達は少しずつ前へと歩いてきた。
しかし年齢を重ねると、歩いてきたこと自体が不安のもとになる。この状態は、小松君に限らず私もそうだ。もしかすると、多くの中年層が抱える不安なのかもしれない。
歩いてきてしまった以上、後戻りすることこそが、自己否定につながる。
この現象はパチンコとかのギャンブル依存によく似ている。今日は一万円までと決めておきながら、つい、一万円以上つぎ込んでしまう。その後は、つぎ込んでしまったのだから後戻りできないと自分への言い聞かせが始まる。そこからはズブズブとギャンブルの沼へと沈んでいく、そんな状態。冷静になれば、途中でやめることこそ正解。だのに、自分がしてきたことを否定したくない。
だから後戻りをしないという、間違った前向き思考が働く。そして待ち受けるのは敗北。
私達作家の大半は、そういったパチンコのようなギャンブルを人生で行ってしまっているのだ。
私に成功体験があれば、彼に人生の攻略法を教えられよう。しかし、私は成功していない。彼と何一つ変わらない。違うのは少しだけ多く重ねた年齢ぐらいのものだ。
小松君は今、何を求めているのだろう。助言が欲しいのか? あるいは今のように共感だけで満足してくれるのか。
私は再び自己嫌悪という列車に乗車してしまった。
「緒方さん……本とか書いたりしないんですか?」
「本?」
目が覚める質問が飛び込んできた。作家同士なら行きつく素直な流れ。山の頂上に雨水がたまり、下流へと流れ、川となる。そんな自然界の法則に似た、当たり前の流れだった。
今、私が抱えている『小説を読んでもらう』という最重要課題が、一気に解決できる瞬間が訪れた。しかも私の話は、小松君が抱える悩みを打ち消す特効薬になるかもしれない。
Win–Winを手に入れる絶好の機会。
私は生唾を飲み込んで、ぼそりと答えた。
「本とは? 小説のこと?」
「はい。例えば小説とかですね」
引いている。明らかに引いているぞ。釣糸を大海に垂らし、釣り針についたえさを魚が突いている。落ち着け、逃がすな。その魚はお腹がペコペコだ。もう少し待ち、確実に食いついたら、そこで一気に釣り上げるだけだ。
「実は……もう書いたんだ」
「え!! 凄いですね!!」
……釣れた。確実に釣れた。小説を書き上げてから初めての出来事だ。
(「後輩に読んでもらおう! 編 」つづく)
読んでほしい
放送作家の緒方は、長年の夢、SF長編小説をついに書き上げた。
渾身の出来だが、彼が小説を書いていることは、誰も知らない。
誰かに、読んでほしい。
誰でもいいから、読んでほしい。
読んでほしい。読んでほしい。読んでほしいだけなのに!!
――眠る妻の枕元に、原稿を置いた。気づいてもらえない。
――放送作家から芸術家に転向した後輩の男を呼び出した。逆に彼の作品の感想を求められ、タイミングを逃す。
――番組のディレクターに、的を絞った。テレビの話に的を絞られて、悩みを相談される。
次のターゲット、さらに次のターゲット……と、狙いを決めるが、どうしても自分の話を切り出せない。小説を読んでほしいだけなのに、気づくと、相手の話を聞いてばかり……。
はたして、この小説は、誰かに読んでもらえる日が来るのだろうか!?
笑いと切なさがクセになる、そして最後にジーンとくる。“ちょっとだけ成長”の物語。
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