絶賛発売中の『読んでほしい』は、放送作家おぎすシグレ氏のデビュー小説。Twitterなどで、「面白い!」「笑えるなあと思ってたら、不覚にも感動した」となど絶賛!
せっかく書いた小説を誰にも読んでもらなえい中年男が、悪戦苦闘を始める――という物語なのだが、読み始めると止まらないのである。
諦めていたが、ついに!読んでもらえるその時が…!?!?
* * *
右往左往しながら、読んでくれる人を探していた。私にとって長い戦いだった。しかしその戦いも、もうすぐ終わる。釣れる時というのは意外とあっさり釣れるものだ。ここからは、どんな作品かを聞かれ、説明をして、「読んでもらってもいいか」と一押しする。
むしろ向こうから読みたいと言われれば、なおよい。
さぁ、小松君、次は君の番だ。
「どんな小説なんですか?」
「実は、SF小説なんだ」
よし、巻き上げるぞ。ゆっくりとじわじわと、かけた針が外れぬように、ゆっくりと巻き上げるのだ。
「どれぐらいの期間がかかったのですか?」
「半年間ぐらいかな」
「半年で書くなんて凄いです! さすが緒方さんですね」
「そう言ってもらえると嬉しいよ」
いい流れだ。そろそろ読んでくれるかと聞いてみようか。否、できれば私からではなく、小松君の方から「読みたいです」と、言ってもらいたい。もう少し待てば必ず出てくる。我慢しろ。もう水面まで魚は上がっている。丁寧に、丁寧に釣り上げるのだ。
「緒方さんは書くことが好きなんですね」
「……まぁね」
私はコーヒーカップを手に持ち、ゆっくりとコーヒーを口に含んだ。まもなく魚が釣れる。
「本当、尊敬します。僕も逃げずに何かを書いた方がいいですね」
「まぁ、大変だけどね」
「そう言えば今日まとめたコントの初稿、いつまででしたっけ?」
「え? あぁ、一週間後で大丈夫だよ」
嘘だろ。読みたいとなぜ言わない。もしかして、読みたくない?
可能性はある。今、彼は仕事で忙しい。今、読みたいだなんて言って、私の小説を仮に受け取ろうものなら、忙しい中、読まなければならない。苦痛になる可能性がある。危険からの回避本能が働いたか。
私にも経験がある。先輩からあまり面白くなさそうな映画を薦められて、「いいですね。
ボクも見てみます」と半ば社交辞令的に言ってしまったことがある。それからというもの、先輩と会う度に「映画見た?」と聞かれる苦痛を味わった。それが耐えられず、忙しい中、無理をして映画を見に行く羽目になった。それ以降、映画に限らず、ラーメン屋や演劇など薦められたものはなるべく早めに行く、そして社交辞令はやめ、本当に興味があるものしか食いつかないようにした。
つまりだ。今、小松君はその状況なのではないか。
小説の話を故意にはずし、仕事の話に戻したのではないか。
そうか、そういうことならば、私から仕掛ければ、読ませられる。
話のレールを敷いたのは彼だ。敷いてしまった彼が悪いのだ。よし、小松君に読んでもらおう。
いや、待て。違うぞ。それは違う。もはやそれはパワハラだ。先輩が書いた長編小説をいきなり読めと言われたら、読むしかない。読みたくもない本を読むほど苦痛なことはない。しかも、私は必ず、彼の感想を欲してしまう。それは私が嫌がった先輩の行動と変わらない。それはできない。後輩にそんな思いはさせられない。
さらにだ。私が読んでと言ったものを読んで、正直な意見が返ってくるだろうか。くるわけない。例えば、これが私の妻だったら正直な感想をくれるであろう。しかし後輩の小松君は、思ったことを言えないだろう。彼は私よりも小心で、すぐにお腹が痛くなってしまうような男だ。私が読んでくれと言ったせいで、腹痛が増えてしまうのは目に見えて明らかだ。
やはり、私からではなく、彼からの「読ませてください」をもらわなければ、解決しない。しかも、社交辞令ではなく、自らの意志で、本心から読みたいと思ってもらわなければならない。
まさか釣れたと思ったはずの魚を逃してしまったのか。教えてくれ小松君。
「一週間あれば、まとめられると思います」
「そう、わかった。ほかのコントはコチラでまとめておくね」
最大のチャンスを逃してしまった。
コーヒーを飲み終え、今後の仕事のスケジュール確認をし、私達は喫茶店を出た。
「緒方さんお疲れさまでした」
「お疲れさま」
「あと、緒方さんの書いた小説、読ませてもらってもいいですか」
「え……今、何と?」
「緒方さんの書いた小説、読んでみたいんです。もしよかったら読ませてください」
「本当に読みたい?」
「読みたいです」
「……ありがとう……」
私は彼の手を強く握りしめ、頭を深々と下げた。
「どうしたんですか?」
「いろいろ、あったんだ……すぐに原稿を出すね」
私は幸せを噛みしめながらリュックサックから原稿を出そうとした。
「あ……」
最悪だ。今日、原稿を家に置いてきてしまったことを思い出した。
「どうしました?」
「いや、実は原稿を家に置いてきてしまったんだ」
「そうですか。じゃあ、パソコンメールで送ってください」
「そうする! そうする! じゃあ、メールで送るね」
「よろしくお願いします」
私は小松君と別れた。寒空の下、開けてしまったリュックサックのファスナーを閉めた。
二転三転したが、初めて私が望む結果になった。
あとは、家に帰り、パソコンから私の書いた小説のデータを送るだけだ。
長かった。本当に長かった。喜びを噛みしめ、私は足早に自宅に向かった。
地下鉄に乗ると、電車の振動と心臓の鼓動がシンクロした。自分が興奮状態であることがすぐにわかった。駅を出て、走り出したい気持ちにもなったが、四十歳のおやじが息を切らし、ハアハアとダッシュする様は気持ちが悪い。はやる気持ちを抑え、早歩きで自宅に向かった。
「おかえりなさい」
「ただいま」
普段なら、妻の顔を見てから自分の部屋に入るのだが、今日は違う。
早く小松君に小説を送らなければならない。
私は部屋に入ると直ぐ、パソコンの電源を入れた。パソコンは水面に小石が落ちたような音色を立て、ゆっくりと目を覚ました。画面上に残る小説のフォルダを開いた。もうすぐだ。初めて私以外の人の目に届く。
メール画面を開き、送信画面に小松君のアドレスを準備。
そして私の書き上げた小説のデータを添付した。あとは送信アイコンをクリックするだけだ。あとは小松君にあずける。
「……いってらっしゃい」
我が子の背を押し、そっと送り出すように優しくクリックした。
(「後輩に読んでもらおう! 編 」おわり)
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読んでほしい
放送作家の緒方は、長年の夢、SF長編小説をついに書き上げた。
渾身の出来だが、彼が小説を書いていることは、誰も知らない。
誰かに、読んでほしい。
誰でもいいから、読んでほしい。
読んでほしい。読んでほしい。読んでほしいだけなのに!!
――眠る妻の枕元に、原稿を置いた。気づいてもらえない。
――放送作家から芸術家に転向した後輩の男を呼び出した。逆に彼の作品の感想を求められ、タイミングを逃す。
――番組のディレクターに、的を絞った。テレビの話に的を絞られて、悩みを相談される。
次のターゲット、さらに次のターゲット……と、狙いを決めるが、どうしても自分の話を切り出せない。小説を読んでほしいだけなのに、気づくと、相手の話を聞いてばかり……。
はたして、この小説は、誰かに読んでもらえる日が来るのだろうか!?
笑いと切なさがクセになる、そして最後にジーンとくる。“ちょっとだけ成長”の物語。
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