8月に発売されたばかりのヤマザキマリさんの最新刊『ムスコ物語』。夏休み、子育てに悶々とするお父さんお母さんの心に風穴をあける、爽やかな地球の風そよぐ物語をお楽しみくださいませ。
はじめに
母のこと、イタリアの家族のこと。思えば自分の家族のことをずいぶん漫画やエッセイで描いてきた。
「よく家族というプライベートを平気で書けますね」と作家仲間から言われることもあるが、私には特異な家族を紹介したい気持ちこそあれ、内密な事情を暴いているような感覚はない。家族は私にとって一番身近にある人間という生物のコミュニティであり、観察対象としてはこれほど興味深いものはない。そもそも私は人間そのものを地球上における最も感動的な生き物だとか、選ばれしスペシャルな生き物だとも思っていない。自分の家族を表現することへの躊躇のなさには、そんな意識が関係しているような気がしている。
以前自分のことが本になったのを知った母は「いやあねえ、恥ずかしい」とうろたえてはいたが、すぐに「まああんたの仕事だし、こちらがつべこべいう筋合いはない」と開き直っていた。では、息子であるデルスは母親が自分を題材にしたエッセイを書いていることに対して、いったい何を感じていたのだろうか。確かめたことはないが、毎月文芸誌に掲載されているのを私にも黙って読んでいるのは知っていた。「どうしてこんなことを書くのだ」というような言及もないのでそのままにしてきたが、母の息子への一方的な見解について何かは感じたはずである。
でも、デルス自身も私と同じく、自分たちを含め人間を特別なものとして捉えている気配はないし、家族に変わりすぎている人物が多いせいか、「家族なら普通ならこうあるべき」という考え方も持っていない。彼自身も人様向けに自分を装うことも、私や夫に世間体を意識した親としての振る舞いを要求してくることもない。幼い時から世界を転々とし、全く予定調和というものを許されずにきたデルスの諦念の力は一筋縄ではいかない。だから、自分のことがエッセイのネタになるのも、十分起こり得る現象として受け入れているはずだと一方的に思っている。
私は記録に残すという行為があまり得意ではない。どんなおめでたいことであろうと、その時の記憶を残しておきたいという欲求がないので、幼い頃のデルスの写真を撮影することもそんなになかった。手元にある彼の写真の多くは周りの人が撮ってくれたものばかりである。成長を記録するためのビデオのような動画も撮ったことがないというと「信じられない!」と驚かれることもあるが、私としては、思い出のアーカイヴは記憶力の判断に任せたい、という気持ちのほうが強い。
未婚でのデルスの妊娠から出産、そして彼を連れてフィレンツェから日本へ戻り、今の夫と出会うまでの生活は、写真やビデオに残しておくにしてはいかんせん慌ただし過ぎた。来る日も来る日もなんとしても生き延びよう、前に進もう、という意気込みのみで過ごしていたから、悠長に子供が生まれたことを人生における素敵な出来事として捉える心のゆとりは皆無だった。それは、おそらくシングルマザーとして私と妹を育てた母も同じことで、私たちが子供だった時の写真の多くは、やはり誰かが撮影したものばかりである。子供の思い出を記録することが親の愛情だと捉えている人にとっては、私も、そして私の母も怠慢な母親そのものだと言えるだろう。
にもかかわらず、私が母に対して愛情不足な親だったなどと感じることが全くなかったのは、彼女が残していた我々に関するいくつかの文章の効果だろう。人前で全く娘を褒めることのなかった母だが、私が生まれてから1年間記し続けていた育児日記や、小学校の時の保護者向けの文集への投稿、オーケストラの海外遠征中に送ってくれていた絵葉書や、コンサートで帰りが遅くなる時に必ず書き残していた我々娘たちへのメッセージには、彼女の大雑把な言葉や態度には決して顕れることのない、我々娘たちに対する溢れる思いが顕れていた。家族との思い出が形成されるのは、なにも写真やビデオのような視覚の記録ばかりからとは限らない。そんな確信があるから私は写真を熱心に撮るかわりに、エッセイという文章や漫画で家族との記憶をかたちにしているのかもしれないし、デルスもおそらくそれをわかっているのだと思う。
ここに書かれた息子に関する様々な出来事は一般的とはいえない環境で起こったものだから、読者にとって自らの経験と重ね合わせる「あるある」的な要素はそれほどないかもしれない。日本の教育で推奨されるような理想的な子育てというフォーマットを全うしようと日々頑張っているお母さんにとっては「なにこれ、ありえない」としか思えない事柄も次々と出てくるだろう。
でも、ここに書かれている世界のあらゆる場所での出来事や現地の人々との関わりが、もしかすると読者の日々の生活の思わぬところで、なにがしかの役に立つことがあるかもしれない。子育てに限らず、家族や知人や同僚など、人間の社会の中で望まない齟齬や誤解が発生しても、やがてありのままを包括し、認め合いながら生きていけるようになるためのヒントになってくれたら嬉しいし、デルスにも示しがつく。
彼の子供時代の写真もビデオもたいして残しはしなかったけれど、それでも母親であろうとした意気込みだけでもこのエッセイで理解してくれたら、それもまたありがたい。
(次回につづく)
『ムスコ物語』刊行記念
国籍?いじめ?血の繋がり?受験?将来?なんだそりゃ。
「生きる自由を謳歌せよ! 」
『ヴィオラ母さん』で規格外の母親の一代記を書いた著者が、母になり、海外を渡り歩きながら息子と暮らした日々を描くヤマザキマリ流子育て放浪記。
「どうってことない」「大したことない」。スパッとさらっと、前を向いて「親こそ」楽しんでいこう!