8月に発売されたばかりのヤマザキマリさんの最新刊『ムスコ物語』。夏休み、子育てに悶々とするお父さんお母さんの心に風穴をあける、爽やかな地球の風そよぐ物語です。今回はその中から「第一話」を抜粋してお届けしています。
第一話 ハワイからの電話
ある日、パドヴァの仕事部屋で迫る締め切りに気を張りつめながら漫画の原稿を描いていると、PCのスカイプから通話の呼び出し音が鳴り響いた。画面を見ると発信者の名前がデルスになっている。いつもの癖で通話要請を受ける前に、まずハワイは今何時だっけと時差を考える。イタリアが午後の2時だから、ハワイは11時間後ろに戻って同日の午前3時。私はデルスが1日をどんなスケジュールで過ごしているのかほとんど知らないが、この時間にかかってくるスカイプは、たいがい大学の宿題や予習などの勉強に疲れて、気晴らしに何気ないお喋りがしたくなった時だ。
私は通話ボタンを押すとそのまま視線を原稿の上に戻し、スピーカーから聞こえてくるデルスの声に応対した。いつもなら、デルスはまず自分の名を名乗り、私に「で、そちらの調子はどうよ」と問いかけてくる。だけど今回は、「あ、ママ」という若干緊張感を帯びた声から始まった。それに対して私は内心「ん?」と思いつつも、普段と変わらぬ様子で「おう」と応える。
「いや、あの」とデルスは一瞬戸惑ったように口ごもり、「これから報告することは、もう全て解決したことだから、あまり驚かないでほしいのだけど」と早口で畳み掛けてきた。そんな前ふりをされれば当然穏やかでいられるわけがないので、間髪容れず「何があった、どうしたの、早く言ってみな、ほら早く」と焦りを顕わにした。いったい何をしでかしたのか、漫画の締め切りでいっぱいいっぱいの頭ではろくな想像も及ばない。滞在先の家を追い出されたか。学校で何かあったのか。お金の問題か。デルスは私の穏やかさを失った反応を予測済みだったらしく、急に落ち着いた声で「実はですね」と繋いだ。「車に撥ねられました」
私は黙っていた。車に撥ねられた。と頭の中で反芻した。
「でももう全て解決したから。病院にも行ったし、保険会社にも連絡をした。警察の事故現場検証も終わったし、自分を撥ねた人の家族からも謝罪された。だからもう大丈夫」
「大丈夫じゃないだろ、全然」とペンを置くと、真っ青のPCの通話画面に向かって声を上げる。
「いや大丈夫。奇跡的に怪我もしていません。ただ、自転車が大破し、カバンの中に入っていたPCもぶっこわれました。病院で一応一通り検査もしたけどどこも何ともなっていませんでした」
なんだよそれ、冷静に話している場合じゃないだろと困惑のやり場を失った母親を「だから」と呆れたようなため息を漏らしつつ「頼むから落ち着いて聞いてくださいよ」と制するデルス。要は加害者の親族と保険会社から、保証人である親の住所に今回の事故の報告が届くかもしれないけど、心配だと大騒ぎになる前に報告しておくことにしたのだという。
私はとりあえず事故の様子を想像してみることにした。デルスが普段暮らしているホノルルのマノア地区から、ハワイ大学に向かう道は交通量もなかなか多く、下り坂が続く。これを毎日自転車で大学まで通うのはしんどいだろうと、デルスの大学入学後、一緒にハワイを訪れていた夫と心配し合ったのを思い出した。マノアは確かに緑豊かな大自然に囲まれ、ワイキキのような喧噪もない。でも、大学に毎日通うことを考慮したら、何もこんな不便な場所じゃなくて、もっと便利なところに引っ越したらどうかという提案もしてみたが、デルスは自分が間借りしている日系3世の、70代の女性の主が階上に暮らすその家が気に入っている、だから引っ越しはしたくないと言い張った。その女性の主は多くの日系の年配女性と違って、とても物静かな、どちらかというと閉鎖的で、あまり愛想も良くないふてぶてしい人だったが、デルス曰くその無干渉さが気楽なのだそうだ。ああ見えて、時々一緒にご飯を食べようと誘ってくれるし、その時にはいろんなお喋りもするのだとも言っていた。
大家さんには伝えたの、あんたが車に撥ねられたこと、と聞いてみると「いいや」と言う。「本当にそんなに大した事故じゃなかったからいいんだよ、大げさにしなくて」
でも、自転車は大破したし、デルスが斜めがけにしていたカバンの中のPCも粉々に破損したのだから、それなりの衝撃はあったはずだ。つまり、その斜めがけカバンがデルスを守ったわけだが、それで、あんたを撥ねたというのはどこのどいつだよ、とぶっきらぼうに問い質すと、免許取り立ての17歳の女子高校生とのこと。助手席に座っていた彼氏といちゃいちゃしながら、スーパーマーケットの駐車場から出てきたところで、デルスとぶつかったのだという。運転する女の肩に男が腕を回しているのが一瞬目に入ったというのを聞いて、腹立たしいのだが今ひとつ潔い怒りに発展しない。めらめらというような憤りが芽生えない。むしろ加害者がそんなラブラブカップルだったと聞いてちょっと安堵したくらいだった。よりにもよって、いちゃいちゃカップルかよ……と気が抜けたような声で呟くと、急にデルスが笑い出した。「いや、ぶつかった瞬間の、彼氏の顔がめちゃくちゃ笑えた」のだそうだ。「あの顔思い出すだけで一生笑える」と楽しそうなデルスの声色を耳にしていると、むしろその青年が気の毒にすら思えてきた。
走行速度がゆっくりだったこともあり、デルスは無傷で済んだわけだが、現場検証の時に現れた運転手の父親はデルスに対し「お願いだから今回の件は大目に見てほしい、娘も反省をしているし、7ヶ月前から付き合い始めた今回の彼氏は、自分たち親にとってもようやく納得のいく青年だった。自転車は全て弁償しますから、このとおり」と入念に懇願してきたのだという。イタリアに暮らすあなたの親御さんにも連絡をさせてほしいというので、ベッピーノの電話番号も渡したという。
この報告の直後、デルスの報告通りハワイのこの加害者の父親からベッピーノへ連絡が入った。娘が息子さんに対してとんでもないことをしてしまったと、何度も申し訳ないと謝っていたという。べッピーノの父親を慰めるような気を遣った言葉を聞きながら、デルスといい夫といい私といい、お人好しにもほどがあるだろ!? とひとりツッコミを入れずにはいられなかった。
うちは親子代々、どうもこういったトラブルに対して強気になれないDNAを受け継いでいるようで、母も妹も社会生活においては何度も騙されたり不利な思いを強いられてきた。かろうじて私は長きに亘る荒んだイタリアでの生活のおかげで家族で一番猜疑心も旺盛だし、どんなことも普通に訝しむ癖がついている。家族ですら裏切りが絶えず、不利となると相手が誰であれ訴え訴えられが日常のイタリアという土地が、私を泣き寝入りなどできない性格に育て上げた。自分たちだけで納得のいかないことがあれば弁護士の厄介になるのは当然だ。
だけどデルスの語るカップルのいちゃいちゃ運転の様子、事故直前と直後にこのカップルや女の子の親が受けた衝撃を思い浮かべると、それはもうそれでいいような気持ちになった。そのうち漫画のネタにでも使わせてもらうかもしれない、と私が言うと「いや、もう、気の毒だからそれはやめて」とデルス。笑いかけた声を制したのか咳払いが聞こえた。余程助手席の彼氏の怯えた顔が印象的だったようだ。
間もなく、保険会社が珍しく積極的に働きかけてくれたこともあり、このいちゃいちゃ運転撥ねられ事件は大きな事案に広がることもなく一件落着した。カップルがその後どうなったかは知らないが、自転車も前のよりいいやつになったとデルスから連絡もあった。何はともあれとにかく車には気をつけろよ、あんたの不注意だって原因だったんだからな、とスカイプ越しの声がつい乱暴になる。わかりましたよと怠惰に答えるデルスも私の対応に疲れてきたのか、「じゃあね」と通話を切りかけたが、そこで「あ、そういえば」と続けた。「実はあの斜めがけカバンにはPC以外にも他に入っていたものがあります。おそらくそれが僕を怪我から守った。さてそれは何でしょう」
「分厚い本」と即答すると「ちがいます」とデルス。「なんだよじゃあ」
「京都の三十三間堂で買った御守りです」
「え」
「昨日初めて大家さんにもこの事故のことを話したんだけど、そうしたら、その御守りのおかげって言われたんだよ。大怪我をしなかったのはその御守りが威力を発揮したからだって」
通話しながら、隣りの部屋にいた夫にこの御守りの件を告げると大笑いをして全く取り合わない。「いいから、ベッピーノに余計なこと言わなくていいから!」とデルスは私を慌てて制した。「どうせ日本人じゃない人にはわからないって」
こういう話になるたびに、家族に外国人がいようと海外暮らしがどんなに長かろうと、日本人としての感覚と目線で話すことができて、私はちょっと嬉しかったりする。17歳まで日本で育った私の中に根付いている、決して譲ることのできない日本人としての感覚の共有を彼とは許されるとほっとするからだ。デルスはその後、大学のカリキュラムでポリネシアの比較文化研究に参加し、ハワイやその他の島々における日系人社会のことを詳しく知るようになった。
アイデンティティに囚われることなく、帰属の必然のないアウェイを遊牧民的に自由に生きていこう、などと豪語している母親の言葉に耳を傾けてはいるデルスではあったが、ハワイに暮らすことで私にはわからない感覚も身につけていったはずだ。多少場所が不便であろうと、デルスがそのふてぶてしい日系3世の女性の家に間借りしたがるのには、ハワイに暮らすデルスなりの思い入れと判断があったのだろう。
デルスのハワイへの想いは、あらゆる経験や記憶と共に、今も彼の中に熱く漂っている。
『ムスコ物語』刊行記念
国籍?いじめ?血の繋がり?受験?将来?なんだそりゃ。
「生きる自由を謳歌せよ! 」
『ヴィオラ母さん』で規格外の母親の一代記を書いた著者が、母になり、海外を渡り歩きながら息子と暮らした日々を描くヤマザキマリ流子育て放浪記。
「どうってことない」「大したことない」。スパッとさらっと、前を向いて「親こそ」楽しんでいこう!