最新刊『ムスコ物語』での、オリジナリティ溢れる子育て観が「大爆笑!」「地球規模!」「笑えるのになんか泣いてしまう」「目から鱗!」と大反響のヤマザキマリさん。子育ては自分育て。ムスコ物語は、実はハハ物語でもあります。子育てにモヤモヤ悩みを抱えるお父様お母様の心に風穴あける、爽やかで大胆な、ヤマザキマリ流子育て考察をお楽しみください。インタビューを3回に分けて掲載いたします。
何かに打ち込み、カッコ悪く泣く姿、 ありのままを子どもに見せてほしい
――『ムスコ物語』を書こうと思ったきっかけを教えてください。
よく「自分の家族のことを漫画やエッセーに書けるよね」と言われることがあります。とはいえ、家族を自慢したい意図は全くありません。あまりに変人だらけの組織だったので、一種の観察記録的に残しておきたいという衝動なんだと思います。あと写真などの視覚情報として思い出を残すのが苦手な代わりに文章にする傾向が強いというのもあります。息子が辿ってきた道は、彼の意図したことではないにせよ、予定調和なんかとは縁遠い面白さに満ちています。彼のこれまでに至る一連の経験を辿ると、日本の子どもたちは恵まれた環境にいながらなんだかすごく小さいことで悩んでるように見える。それ、そんなにたいした問題じゃないから、きっとなんとかなるから大丈夫って、みんなに言ってあげたくなる。うちの子も結構ひどい目に遭ってますけどしっかり栄養分にしてますよって(笑)。お母さんたちもいい親でなきゃいけない、こうしなければいけないなどと、どこか強制されている感じが気の毒です。親であるという義務に押し潰されてしまうのは子どもにとってもあまり良くないことですよ、と伝えたくて書きました。
――家族や親子のあり方について、いろいろ考えさせられもしました。
くれぐれも、じゃあヤマザキさんみたいにしてみよう! などとは思わないでくださいね(笑)。小さい頃からどんどん旅行に連れていけばいいとか、レゴで遊ばせれば理数系に行くんだとか、そういうことじゃない。具体的な行動や環境を真似してもらいたいわけではなくて、もし子ども自身や子どもの周辺で何らかの変化が起きた時、親はどういう姿勢でいたらいいのか、子どもの戸惑いにどう対応したらいいのか、ちょっとしたヒントやきっかけになればいいです。たとえば、周囲のみんなの意見と異なることでも、自分の子どもにとってはそのほうが意外に良かったりすることもありますからね。
経済生産性に直結、本当に良いのか?
――ポルトガルのリスボンでは、デルスさんが私立学校に入学することを周囲から勧められても、地元の公立校を選んでいます。
ポルトガルで現地校に通わせたのは本当に素晴らしい経験でした。私立学校の総大理石の入り口のところに滝が流れているのを見た瞬間、「ダメだ」と思ってしまった(笑)。大半の子どもたちが立派な車で送り迎えされてもいて、セレブ感満載です。この学校はデルスには合わない、という直感が私にも夫にもありました。公立学校のほうは、授業参観のとき、油汚れのついた仕事着の自動車修理工の人が廊下にいて、そこに娘さんが「お父さん」と言ってやって来て、二人で手をつないで教室に入っていきました。仕事の合間に学校に来たという雰囲気です。体裁なんて気にしてない、慎ましい仕事に対して彼が抱いているであろう誇りと父親としての愛情、素晴らしいなと思いました。
公立校へ入学して間も無く、デルスはジャイアン級のいじめっ子にお腹を蹴られてしまいます。ヤバいなと思いつつも大騒ぎはしなかった。学校は社会というジャングルの縮図ですから、今のうちからそういった凶暴な側面は早いうちに知っておくべきだとも感じました。でも、その子が息子のお誕生会に来たときは笑いましたね。お金持ちで如才のない子もいるし、靴下に穴が開いた貧しい出自の子もいるけれど、クラスという集団の中でうまく共生している。異質なものを警戒するのは生物として正常な感覚なので、人間社会で差別がなくなることはないのかもしれないけれど、何はともあれ一緒に生きていく仲間ではある。そんな教育が行われていました。
――ご夫婦が瞬間的に同じ感覚でいることに目を見張りました。
夫も経済生産性の向上が成功だとは考えない人間です。彼の父はエンジニアですが、母方はみんなが芸術や工芸分野で生きていて、経済生産性とは無関係だけど、精神性の生物である人間にとって無くてはならないものを生み出す人たちです。だから夫も、ブランド的教育環境で学んで高給取りになることが人としての絶対的なステイタスだとは全く考えていない。もちろん、そういう生き方を否定しているわけではありません。ただ知っておくべきことは、経済生産性と結びつかなくても、この世には人として大事な仕事がたくさんあるということでしょう。
中学生の時、進路指導の先生に「絵描きになりたい」と私が伝えたら、開口一番「バカ。食っていけないぞ」と言われました。演奏家の母にそれを言うと母からいきなり欧州に一ヶ月の一人旅に出されました。欧州で出会う人にそのうち絵描きになりたいのだと口にすると、「そうか、大変だけど頑張れよ」とリアリティの籠った口調で励ましてくれました。芸術で食べられた人がどれだけいるかわからない。飢え死にした人もいるだろうし、ゴッホみたいに耳を切り落としてしまうような人もいるけれど、彼らが残したものは、後々の人たちにあれだけの感動を与えている。芸術を生み出す人がいなくなった社会は、人間の生きていく場所として成立しないと思っています。
――日本の教育ははみ出す人をゼロにしようとする傾向があるとも言われています。
良い社会というのは、やはり多様性の共生から生まれてくるんじゃないかと思うのです。ソリストとして素晴らしい演奏をする演奏家がそれぞれ集まって、素晴らしい交響曲を奏でるオーケストラというのは比喩的組織としてはかなり理想的。母はオーケストラのメンバーだったので、音楽家たちの実生活の乱れや酷さはしょっちゅう聞かされてきました(笑)。でも、まとまると人を感動させるような演奏ができるわけです。フリージャズのセッションなんかもまさにそれに当てはまりますね。
息子が行ったシカゴのハイスクールは、生徒全員にオーケストラをやらせていました。楽器がすでに弾けるハイレベルチームにはシカゴ交響楽団から先生が来たりして本格的だけど、楽器を弾けない生徒にも一から弾き方を教えるんです。自分という個性をオーケストラという大きな組織の中でどう生かしていくかを学ぶことができます。アメリカ社会はそもそも移民で構成されていて、宗教、歴史、倫理観、何もかも違う。でもそれを無理に統一化させようとはしない。日本の場合はイスラム圏のような宗教的戒律の拘束があるわけでもないのに、思想も倫理も統一化させなければならない、全員が同じ方を向かなきゃいけないといった圧力が強いように感じられる場合があります。
(続く)
(ヤマザキマリインタビュー「小説幻冬」9月号より転載)
『ムスコ物語』刊行記念
国籍?いじめ?血の繋がり?受験?将来?なんだそりゃ。
「生きる自由を謳歌せよ! 」
『ヴィオラ母さん』で規格外の母親の一代記を書いた著者が、母になり、海外を渡り歩きながら息子と暮らした日々を描くヤマザキマリ流子育て放浪記。
「どうってことない」「大したことない」。スパッとさらっと、前を向いて「親こそ」楽しんでいこう!