最新刊『ムスコ物語』での、オリジナリティ溢れる子育て観が「大爆笑!」「地球規模!」「笑えるのになんか泣いてしまう」「目から鱗!」と大反響のヤマザキマリさん。子育ては自分育て。ムスコ物語は、実はハハ物語でもあります。子育てにモヤモヤ悩みを抱えるお父様お母様の心に風穴あける、爽やかで大胆な、ヤマザキマリ流子育て考察をお楽しみください。
外はジャングルだけどウチは大丈夫。どんな時でも子どもの味方でいる
―― 全員が同じ方向を向かないといけない日本の教育の中で、親ができることは何でしょう。
子どもの教育は学校に任せればいいという感覚では、ダメだと思います。教育とはやはり家庭次 第です。何より親の生き方や姿勢が良くても悪くても、それが子どもの教育となるのです。「ヤマザキさんの息子さんみたいに本を読む子どもにするにはどうしたらいいか」とよく聞かれるけれど、「まず、あなたが本を、読書を好きになることです」と答えています。お母さんが楽しげにピアノ を弾いていたら、きっと子どもだってピアノをやってみたいと思うはずです。
―― 背中を見て育つという感じでしょうか。
背中を見ろなんて思ってちゃダメですよ。見てもらおうなんて考えず、やりたいことをやって ればいい。子どもはどの角度からも親を見ます。生きるのが嬉しくて生き生きしているところも、 苦しかったり辛かったりして項垂れているところも、子どもには見られていいと思うのです。大 事なのは最終的にどんなに大変でも、人生ってのはそれに代えられない味わいと面白さがあるん だということを見せてあげることなんじゃないでしょうか。
とりあえず、親というのは人類における社会単位のいちばん基本的なものですから、そこで守ってあげる姿勢は見せてあげないとですね。いじめられて帰ってきた時は、とりあえず子どもの言い分を理解して、子どもの味方についてあげること。親が立派じゃなければいけないなんてことはないです。親は自分が子どもにとって理想的な大人でなければならないなんて、思わなくていい。どんなにダメでも私はあんたの味方ではあるんだ、だからジャングルで精一杯頑張ってこいよ、という姿勢こそが子どもにとっていちばんの安堵となるんじゃないかと思うのです。
―― 少し気が楽になりました。
とにかく子どもには、社会は過酷でいろいろあるよって教えておいたほうがいいのではないで しょうか。辛いこと、悲しいこともある。時には親が子どもに相談事をしてもいいと思います。「会社でこんなことがあったんだけどどう思う?」って。
息子がハワイにいた時に電話がかかって来て「これから言うことは全部終わったことだから騒いだりしないように」って念を押されてから「車に撥ねられました」と伝えられました。保険会社から私に連絡が入るので先回りして知らせてきたのです。冷静です。達観してもいる。親がすっとこどっこいだからですよ。でもそのおかげで子どもは自分一人で生きていけるようになった。
―― ヤマザキさんにとって最大の転機はやはりデルスさんを授かったことですか。
そうでしょうね。全く想定外でしたし、貧乏だったので病院では先生に「無理して産んだら子どもが可哀想だよ」とまで言われました。パートナーの詩人に妊娠を伝えても喜ぶわけでもなく、自分たち二人で食っていくのも大変なのにって悩み出す。詩人は生活者としては最悪だけど、特異な感受性と激しい知性を備えている人でそれは彼の敬うべき点ではありました。あの感性は遺伝子レベルで受け継がれてもいいと思いましたが、私が幸せに生きるためには、彼とは一緒に暮らせない。とりあえず私は子育てに専念させてもらいますと言って詩人とは別れました。
(つづく)
(ヤマザキマリインタビュー「小説幻冬」9月号より転載)
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「どうってことない」「大したことない」。スパッとさらっと、前を向いて「親こそ」楽しんでいこう!