地主というと「先祖代々受け継いだ土地を貸しているだけ」というイメージがあるかも知れません。しかし、地主というのはその財産を食い物にしようとしている様々な人々……不動産、建築、金融、紙業に関わる業者、身内に常に狙われています。
『地主のための資産防衛術』では、そんな地主のために様々な資産防衛術を紹介しています。
著者の芝田泰明さんは、叔父との8年間にもおよぶ壮絶な相続争いの体験と、その経験をもとにした資産を守る方法をまとめています。
その生々しい相続争いの中身を一部紹介します
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税理士法人から告げられた、負債の数々
税理士法人部長の話から、叔父のずさんな経営実態が浮かび上がってきました。
- 叔父は独断で無謀な出店や閉店を繰り返し、多額の負債を作った。
- 本家の土地を担保にして借金をしていた(叔父は連帯保証人ではあったが、自分に負債が降りかからないように仕組んでいた)。
- 叔父自身は、高給を取り、多額の経費を使って遊び暮らしていた。
- 叔父は経営再建のために、私の父と母の役員報酬を下げたが、自分の給料は少しの減額程度で高いまま据え置きにしていた。
- 叔父の会社であるB社にA社の借入金を事業資金貸付けという体裁で流していた。
怒りが収まりませんでしたが、現状を把握したことは、叔父には黙っていました。そして、さらに会社の状況を調べることを決意しました。
同月のうちに、税理士法人部長同席で、初の役員会議を開催しました。
出席者は叔父、税理士法人部長、私の連れてきた新しい不動産会社部長、私でした。
改めて私が立案したリストラ計画を提示したうえで、「銀行とはどのような話になっているのか」「店を閉店するのに、何に対していくら払ったのか」「従業員にはいつ閉店の事実を伝えるのか」「現在頼んでいる業者は相見積を取ったうえで決めたのか」といった質問をぶつけましたが、私の質問に対して、叔父は満足に答えられませんでした。
経営責任者であるはずの叔父は、私の改善提案を「お前は過去の経緯を理解していない。そんなことをしたら、周りからつぶされる」とこきおろし、その場しのぎの嘘と曖昧な説明でごまかそうとしました。
なかでも私の逆鱗に触れたのが「本家の財産・土地は皆のものであり、皆で経営してきたのだから連帯責任である」という叔父の言い分でした。
これまでさんざん好き勝手をしてきて、何が連帯責任だ。本家の財産はお前のオモチャじゃない……。私は歯を食いしばりました。
叔父の独裁政権を壊す
叔父の「財産は皆のもの、連帯責任だ」という言動に対して、それが叔父の勝手な都合であると親族はうすうす気付いていました。にもかかわらず誰も文句を言えなかったのは、ひとつの「文化」がそこにできあがっていたからです。
私は好きでよく読んでいた司馬遼太郎の小説『坂の上の雲』の登場人物であるニコライ2世を連想しました。ツァーリズムといわれる専制君主制のもと、ロシアでは皇帝に富と権力が集中して、金ぴかの派手な宮殿を造ったりと皇帝が好き放題にやっていても重臣たちは何も言えませんでした。なぜなら、そういう文化だったから。同じように、母や叔母は叔父の前で無力でした。
叔父はことあるごとに、昔の、儲かっていた時代の話をしました。過去の栄光にすがる独裁政権は何としてでも覆(くつがえ)さなければ。私は革命を誓いました。とはいえ、叔父を怒らせるのは得策ではありません。複雑に絡み合った親戚関係の利権があり、ヘソを曲げて印鑑を押してもらえなくなると困ります。
静かに話し合いで政権を委譲してもらうのが、誰にとってもベストだろうと私は考えました。
役員会議から2週間後。A社の従業員にどのように閉店の話を切りだしたらいいのか話したいという名目で、私は、叔父を事務所に呼び出しました。
内心はいても立ってもいられないほどの焦燥感に駆られていましたが、コンビニで買ってきた酒を飲みながら、静かに、2人きりで話し合いました。
6時間にも及んだ話し合いのなかで、叔父は「このような状態になったのは、俺の責任だ」と、自分の責任で多額の負債を作ったことを認めました。
神妙な態度に油断せず、私は叔父に釘を刺しました。
「このままでは家を売却し、この町から出て行ってもらわなくてはならなくなる」
そう伝えると叔父は、自身も含めた役員全員の報酬について大幅に減額することを認め、「経営から身を引き、全ての決裁をお前に委ねる」と言ってくれました。
後日、税理士法人部長から連絡がありました。叔父から「甥に全てを委ねるから助けてやってくれ」という話があったと言っていました。
私は「叔父は分かってくれた。話し合いで会社再建を進めることができる」と喜びました。
それはすぐに、ぬか喜びだったと判明するのですが。
閉店説明会の紛糾
私は税理士法人部長と話し合い、A社の店舗の最終閉店日を決め、正社員を対象に説明会をすることになりました。
会議室に着くと、そこには、5人の正社員の他に、呼んだはずのない叔父がいました。
叔父の姿にイヤな予感を覚えながらも、私は従業員達に最後の店を閉めなくてはいけなくなった旨を告げました。
そして、A社は大手書店のフランチャイジーであったためフランチャイズ本部に店を従業員ごと引き受ける検討をしてもらっていること、その場合は採用の面接があること。フランチャイズ本部が引き受けない場合は、別の会社からこの店を借りたいという話もあるので、他で就職先を探してもらわなければならないことを説明しました。
通常、経営者から社員への解雇通告は3ヶ月前にすればよいと聞いていたので、私は気を利かせたつもりで6ヶ月前に伝えようとしたのですが、その気遣いが裏目に出ました。
その状況に追い打ちをかけたのは「経営から退く」と言ったはずの叔父でした。
叔父は「なんだお前、そんな話は聞いてないぞ」と大声を出して私の説明の腰を折り、さらに社員達に向かって「甥の話は私が聞いた話と食い違いが多く、大変困惑している。この先、どうなるのかは保証できない」と言いだしました。
叔父の余計な発言により、その場にいた人間全てが、不安のどん底に突き落とされました。
社員は「なんとしてでもフランチャイズ本部との話をまとめてもらいたい」と騒ぎ立てました。更に、説明会終了後に税理士法人部長は私と叔父に対してあいまいな説明会になったことを「社員に対して失礼だ!」と怒り出した結果、叔父と言い合いになり、私は想定外の状況に呆然とするばかりで、説明会は散々な結果に終わりました。
役員報酬を減額すると叔母は半狂乱に
亡くなった父は4人きょうだいの長男でした。弟である叔父の他に、2人の妹(叔母Aと叔母B)がいました。2人とも叔父の会社の役員に名を連ね、そのひとりである叔母BはA社の役員として経理を担当。毎日昼は出勤しながら夜飲食店を経営していました。
私は店の雰囲気が気に入って、以前はときどき飲みに行っていました。今思えば、雰囲気が良かったのは「跡継ぎだから」という理由で、叔母が私を優遇していたせいでした。
あるとき私が、「祖母が死んだらその遺産は全て会社の借金返済に充てなければいけないかも知れない」と言うと、それをさかいに露骨に態度が変わり始めました。飲食店経営には退職金がありません。叔母Bは老後の生活費として祖母の財産を当てにしていたのでしょう。
叔父との話し合いの後、私は叔父の所有する不動産の一部を売却するよう要請し、また給料を70%カット、叔母Bに関しては役員報酬を25%カットにしました。
私は叔父が当然の責任として叔母に給料カットの話を通しておいてくれていると思っていました。
しかし、蓋を開けてみるとそうではありませんでした。
この減額は、叔母Bにとって寝耳に水、天変地異に勝るとも劣らないほどの大事件となったのです。
叔母Bは半狂乱で「甥の泰明に給料を下げられた!」と親戚中に触れ回りました。
その様子を見て心配した叔母Bの娘(私にとってはいとこ)が私との食事会を設けてきました。
一体会社はどうなっているのか、その場にいた叔母Bの娘とそのきょうだいに聞かれるままに、私は会社が7億円もの借金を背負っていること、自分は無給で働いており、今後A社の負債に対して更に本家の財産を投じなければならないことなどを話し「これ以上わがままを言ったら、本家の敷居をまたぐな、と言わざるをえない」と言いました。
私としては、いとこにやんわりと叔母を諭してもらうつもりでした。
「本家の敷居をまたがせないと言った!」
しかし、それが火に油を注ぐ結果となりました。あせった叔母Bの娘が叔母を諫めるためにその言葉をそのまま伝えてしまい、それを聞いた叔母は「泰明が私に、本家の敷居をまたがせないと言った!」とますます怒り狂ってしまいました。
私が叔母に酷い仕打ちをした、という話には、誰の悪意か尾ひれがつき、いつの間にか私が、元・土木建築業者の叔父に対して「会社の経営を外れて土方でもやればいい」などと言ったことになっていました(もちろんそんなことは言っていません)。
ただ、経営から外れてもらいたいと思っていたのは事実でした。
私はリストラを進めながら、役員人事にもメスを入れ、代表を叔父から私に変更し、叔母たちを役員から外そうとしていました。
これに叔父は憤慨しました。
借金返済のため叔父の所有する不動産の売却を要請していましたが拒否。会社から自分の荷物をすべて持ち帰り、非協力的な態度を示すようになりました。
やがて電話に出なくなり、メールの返信も遅くなっていきました。