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「女性天皇」の成立

2021.10.09 公開 ポスト

第3回

前代未聞の「立皇嗣の礼」高森明勅

わたしたちの「女性天皇」が日本を変える——。
天皇が切望し、国民が圧倒的(87% *2021年、共同通信の世論調査より)に支持する「女性天皇」を、政治家や有識者は黙殺し続けるのか。「皇室典範」のいびつなルールを死守し、皇統を途絶えさせるのか。新刊『「女性天皇」の成立』(高森明勅著)から試し読みをお届けします。

*   *   *

先の記事に「『立皇嗣(りつこうし)の礼』が行われる四月下旬以降、こうした考えを確認する見通し」とあった。しかし、新型コロナウイルス感染症の感染拡大の影響により儀式の挙行が延期され、実際に行われたのは同年十一月八日だったことは周知の通り。

改めて振り返ると、この「立皇嗣の礼」については二つの不審点が残っている。

(写真:iStock.com/Prostock-Studio)

一つは、そもそもこのような前代未聞の儀式を行うべき必然性があったのか、ということ。

もう一つは、この儀式が天皇陛下のご即位に伴う“一連の儀式”と位置づけられたことだ。

これらについては、一般にその奇妙さがほとんど気づかれていないと思うので、少し触れてみたい。

まず「立皇嗣の礼」それ自体の不可解さについて。

これについて考える場合、「皇嗣」と「皇太子」の違いをきちんと整理しておく必要がある。

「皇嗣」は“(その時点で)皇位継承順位が第一位の皇族”を一般的に意味する。これに対して、その皇嗣が“天皇のお子様(皇子)”である場合、特に「皇太子」という称号をもたれることになる(皇室典範第八条。お孫様なら「皇太孫(こうたいそん)」)。

具体例をあげて説明しよう。今の天皇陛下の場合、平成時代は「皇太子」でいらっしゃった。上皇陛下(当時は天皇)のお子様で、もちろん皇位継承順位は第一位。だから「皇太子」。皇太子は“次の天皇になられることが確定したお立場”だ。その事実を内外に広く宣明するために行われるのが、近代以降の「立太子(りつたいし)の礼」である(前近代の場合は、この儀式によって皇太子のお立場が固まった)。ちなみに、天皇陛下の立太子の礼は平成三年二月二十三日、満三十一歳のお誕生日当日に行われている。上皇陛下の時は昭和二十七年十一月十日、「成年式」(加冠(かかん)())に引き続いて挙行された。

誤解してはならないのは、皇太子の場合、お生まれになった瞬間、又は父宮が即位された瞬間に、次の天皇になられることが「確定」する。儀式はただ、その既定の事実を“宣明”するまでのこと。前近代とは儀式の意味合いが異なっている。

ところが、皇太子・皇太孫つまり「直系の皇嗣」ではない、「傍系の皇嗣」の場合はどうか。儀式の“前”に、すでに皇嗣のお立場になっておられる点では、皇太子と事情は変わらない。しかし、次の天皇になられることが必ずしも“確定していない”という点で、大きく異なっている。これはどういうことか。

これも実例で説明しよう。昭和天皇の弟宮だった秩父宮(ちちぶのみや)の例を取り上げる。

秩父宮は大正天皇の第二皇子として明治三十五年六月二十五日にお生まれになった。お名前は雍仁(やすひと)親王。「大正」から「昭和」への改元当時、昭和天皇には皇位継承資格をもたない女子(照宮成子(てるのみやしげこ)内親王)しかおられなかった。そこで、昭和天皇のご即位に伴い「皇嗣」になられた。現在の秋篠宮殿下とちょうど同じパターンだ。

その後も、昭和天皇のお子様は女子が続いた(第二皇女・久宮祐子(ひさのみやさちこ)内親王、第三皇女・孝宮和子(たかのみやかずこ)内親王、第四皇女・順宮厚子(よりのみやあつこ)内親王)。この間、ほぼ八年間、秩父宮は皇嗣であり続けておられた。しかし、「立皇嗣の礼」などは行っておられない。それは何故か。傍系の皇嗣の場合、皇太子(皇太孫)と違って、次の天皇であることが“確定”したお立場ではないからだ。

実際、昭和八年十二月二十三日に昭和天皇の第一皇子(つまり「皇太子」)として上皇陛下がお生まれになった瞬間に、その時まで皇嗣であられた秩父宮の皇位継承順位は、皇太子の次の“第二位”に変更された。そのため、もはや「皇嗣」ではなくなられたのであった。

このように、傍系の皇嗣は継承順位の変動がありうるお立場だ。その点で皇太子とはまるで違う。ならば、「立太子の礼」を挙行する理由はあっても、「立皇嗣の礼」を行わなければならない必然性はないだろう。従来、このような儀式が行われなかったのは、その意味ではごく当たり前のことだった。むしろ、令和の時代に前代未聞の立皇嗣の礼が行われたことの方が不可解なのである。

なお、映像をご覧になった人であればすぐ理解できるように、この儀式の主役はもちろん天皇陛下ご自身だ。陛下が、秋篠宮殿下が皇嗣であられる事実を内外に宣明されることが、この儀式の主眼だ。秋篠宮殿下が主役の行事と勘違いしている人もいたようなので、念のために付言しておく。

ただし、これは憲法上の“国事行為”。なので、「内閣の助言と承認」によって行われ、「内閣が、その責任を負ふ」(第三条)べきものだ。内閣の意思によって行われ、天皇陛下や秋篠宮殿下ご自身のお考えとは直接、関係がない。

そこで少し立ち止まって考えてみると、立皇嗣の礼というのは、単に前代未聞というだけでなく、客観的には天皇・皇后両陛下が今後、決して「直系の皇嗣」には恵まれられない、という見立てを前提にしなければ行えないはずの行事であることに思い至る。実はかなり非礼で不敬な儀式だったことになろう。

(第4回へ続く)

関連書籍

高森明勅『「女性天皇」の成立』

古来、女性天皇は推古(第33代)以下、皇極(35代)=斉明(重祚37代)、持統(41代)、元明(43代)、元正(44代)、孝謙(46代)=称徳(重祚48代)、明正(109代)、後桜町(117代)天皇の10代8人。とくに古代では、強烈な存在感を放つ。女性君主を徹底的に排除するシナとは異なり、日本の皇統は男女双系(父方母方両系)で、女性の地位が高かった。だが令和の現在、皇室典範改正の停滞から大きな可能性が閉ざされ、政府は女性・女系天皇の議論すらせず、安定的な皇位継承の実現を放棄している。もっとも象徴的な国柄である天皇および皇室と日本の未来があぶない。

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「女性天皇」の成立

天皇が切望し、国民が圧倒的(87%,2021年共同通信の世論調査より)に支持する「女性天皇」を阻むものは何か? 「男尊女卑」「女性差別」社会はいらない。わたしたちの「女性天皇」が日本を変える——。緊急提言。

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高森明勅

昭和三十二(一九五七)年、岡山県生まれ。

神道学者、皇室研究者。

國學院大學文学部卒、同大学院博士課程単位取得。皇位継承儀礼の研究から出発し、日本史全体に関心を持ち、現代の問題にも発言。「皇室典範に関する有識者会議」のヒアリングに応じる。拓殖大学客員教授などを歴任。現在、日本文化総合研究所代表。神道宗教学会理事。國學院大學講師。

著書に『謎とき「日本」誕生』『はじめて読む「日本の神話」』『天皇と国民をつなぐ大嘗祭』『日本の10大天皇』『皇室論』『歴史で読み解く女性天皇』『天皇「生前退位」の真実』などがある。

ホームページ「明快! 高森型録」のURLはhttps://www.a-takamori.com/

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