いまも祟り続ける大怨霊・平将門、髑髏と成り果てた小野小町、美少年天狗に試された武田信玄、池の水を全部抜いた織田信長、徳川家康のもとに現れた謎の「肉人」……。教科書には決して載らない、500名以上の歴史人物にまつわる怪しい話を集めた『歴史人物怪異談事典』。怪談や妖怪、都市伝説が好きな人にも、日本史が好きな人にもオススメの本書より、怖くて面白いエピソードをいくつかご紹介します。
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徳川家康(1543~1616年)
戦国時代から江戸時代にかけての武将であり、江戸幕府の初代征夷大将軍。織田信長、豊臣秀吉と同盟を結んでいたが、秀吉の死後、関ケ原の戦いで東軍を導いて西軍に勝利する。晩年は豊臣家との最後の戦いである大坂の陣を制し、豊臣家を滅亡させた。幕藩体制を築き、安土桃山時代を終結させて以降250年以上にわたる江戸時代の始まりを築いた。
庭に現れた謎の肉塊
『一宵話』には以下のような話が載る。
1609年、家康が居を構えていた駿府城の中庭に、「肉人」とも形容すべき肉の塊のようなものが現れた。肉人は手のようなもので、ただ天を指している。この怪異の話は家康の耳にも入ったが、家康は人目に付かない場所に捨ててしまえと命じ、肉人は遠い小山に捨てられた。
その後、薬学に詳しいある人が、それは中国の『白沢図』に載る「封」というもので、食べれば大力を得て武勇が増すと伝えられていたものを、徳川に仕える者にその知識がなかったことが残念だと語ったという。
しかし『一宵話』では、家康や家臣はそのことを知らなかったのではなく、そのようにして力を得ることは卑怯だと考え、肉人を捨てたとも解説されている。家康の武人としての評価が垣間見える話でもある。
松尾芭蕉(1644~1694年)
江戸時代の俳人。伊賀国で生まれ、藤堂蟬吟に俳諧を学び、京都に出て蟬吟の師・北村季吟に師事した。その後江戸へ出て職業的な俳諧師となる。日本橋での生活を経て深川に居を構え、芭蕉の号を使い始める。この頃に蕉風俳諧と呼ばれる俳風を確立。各地を旅し、その紀行文を『野ざらし紀行』や『おくのほそ道』などにまとめた。しかし旅の途中で病に倒れ、そのまま亡くなった。
怪談集の主人公となった旅する俳人
江戸時代後期には、芭蕉を主人公としたさまざまな説話が創作された。中には怪談を主とするものもあり、それが『芭蕉翁行脚怪談袋』だ。
この作品には、諸国を旅する芭蕉一行がさまざまな怪異に遭遇する様子が記されている。
一行が尾張国から美濃国へと赴く途中、くらみつ山という場所を通った際、谷底から合戦をするような音が聞こえてきた。狐狸の仕業かとのぞいていると、鎧武者が芭蕉に近づいてきた。
武者は源義仲に従って合戦で討死した今井兼平の亡霊だと名乗り、芭蕉に自分を弔ってくれるように頼む。そしてかつての主人である義仲に受け継がれていた、戦の守護神とされる十本の矢のうち失われた一本を見つけたため、主人が眠る義仲寺に納めてくれるよう頼んだ。
芭蕉がこの矢を受け取ると、兼平は消えてしまった。芭蕉は念仏を唱えた後、彼の願い通りに矢を義仲寺に納めたという。
他にも、芭蕉の門人であった服部嵐雪が狐に化かされた僧侶と出会う話や、同じく門人の宝井其角の隣人が叩き殺した飼い猫の祟りで死ぬ話など、芭蕉だけでなく彼の門人が主人公となる話も収録されており、バリエーションに富んでいる。
もちろん芭蕉やその門人たちがこのような怪異と遭遇したという記録はない。
ただ、妖怪関係の話が残っていないのかといえばそうでもなく、『おくのほそ道』には、かつて傾国の美女・玉藻前に化けていた九尾の狐が、死後に岩と化した殺生石を見るために那須野に足を運んだことが記されており、この殺生石から放たれる毒によって死んだ虫たちの死骸が地面を覆い、砂の色さえ見えなくなっていると書いている。
日本全国には、さまざまな妖怪伝説が残されている。芭蕉もまた、諸国を旅する途中で、そんな伝説に触れる機会があったのかもしれない。
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