「私と飲んだ方が、楽しいかもよ笑?」その16文字から始まった、沼のような5年間ーー。
カツセマサヒコさんのデビュー小説『明け方の若者たち』の文庫が11月17日に発売いたします。北村匠海さん主演で映画化も決定している大注目の作品より1章・2章を、映画の場面写真とともに、8日間連続で特別公開します。(全8回/3回目)
* * *
「なんでさ、抜け出したのに、わざわざ飲み直そうとおもったの?」
さっきまで二人でいた滑り台まで戻って、乾杯し直したところだ。僕はここまでずっと疑問におもっていたことを、ストレートにぶつけてみた。彼女の反応が見たかったのもあるし、誰でもよかったのか、僕を選んでくれたのか、真意が気になってもいた。コンビニに向かった二十分の間に、さらにこの公園は、暗くなっていた。
彼女は少し困った顔をしてから、えへへと誤魔化すように笑った。
「あんなに騒がしいのは嫌だなあっておもったけど、でも一人で飲み直すのも、寂しいじゃん?」
「うん」
「で、スマホ見たら、着信履歴が残ってて」
「それで、誘ってみたの?」
「やっぱり、ダメだったかなあ?」
その笑顔はあざとさに満ちていた。核心には触れないように上手に聞き返した彼女は、僕の好意にすでに気付いているようにもおもえた。「いや、ダメじゃないけど」と返しながらストロングゼロで唇を濡らすしかなかった僕は、彼女の真意に辿り着くことができないまま、この話題は終わらすほかないと悟った。
「でも、来てくれたの、嬉しかった」
満足そうに言う彼女は、改めて僕に乾杯を促した。
「あ」で表すのもどうかとおもうほど、クジラ公園での時間はあっという間に過ぎた。僕らはどうして今の内定先に決めたのかという話題から、青春時代を彩った音楽はRADWIMPSの三枚目と四枚目どちらかという議論まで、二人の青春時代の共通項となるものを一つずつ探り合うように話し続けた。
彼女は僕と別のキャンパスに通う大学院生で、来年の春から、途上国の素材でバッグなどを作る小さなアパレルブランドで働くことが決まっていた。将来はド派手な洋服が似合うようなおばあちゃんになって、歳をとることを楽しめる大人でありたいと、素晴らしい夢も語った。先輩なのだとわかって敬語で話そうとしたら、絶対にやめてくれと、ものすごい剣幕で怒られた。
アルコールの助けもあったからか、静かすぎる夜の公園に、僕らの声は休む間もなく響き続けた。途中、犬を散歩させている老人と、会社帰りとおもわれるサラリーマンが通過しただけで、あとは本当に僕ら以外、誰もいない時間が続いた。
「そろそろ、終電かも」
スマホを見ながら言う彼女に、どこか名残惜しさが見えた気がした。本心までどうかはわからないし、そうあってほしいと願った末に見た幻かもしれない。とっくに飲み干したはずのスミノフの瓶を、逆さにして振っているところを見ると、名残惜しいのは僕との別れよりも、飲酒の時間かもしれなかった。
「じゃあ、帰りますかね」
「んんー、ちょっと酔っ払ったなあ」言われてみれば、少し頰が赤い気がする。この薄暗い場所では、正確な判断も難しい。
「大丈夫?」
「うん、全然平気。このくらいの方が、かえって冷静でいられるかも」
その発言に、ほんの少しガッカリしている僕もいる。
「素面じゃやってられないことが、多すぎるよね」
「わかる気がする」
彼女はキャップを被り直すと、大きく伸びをしてから立ち上がった。黒いリュックはやたらと重そうで、彼女を地に引き込もうとするかのように、ズッシリと背中にぶら下がっていた。
駅までの帰り道は、さっきまでひっきりなしに会話を続けていた二人とはおもえないほど、静かだった。とはいえまるっきり沈黙していたわけではなくて、彼女はずっとミスチルの『innocent world』を鼻歌混じりに口ずさんでいて、僕はその声に、ただ聴き惚れていた。
「また何処かで会えるといいな、だってさ」
「うん。なんなら、今夜でもいいよ」
「今夜?」
「家帰って、シャワー浴びて、パジャマで合流すんの。パジャマ会」
「ああ、そういう意味か」
「どういう意味だとおもったの」
「なんでもない」笑う彼女の声が、甲州街道の騒音にかき消される。
「全然イノセントじゃないこと、考えてたっしょ」
「うるさいよ、めちゃくちゃイノセントだよ、私」
まるで初対面に感じさせない、阿吽の呼吸があるように感じた。会話の波長が合うだけで、人はこんなにも心地良い気分になれるものかとおもった。だとしたら、これまで付き合ってきた元カノたちとはなんだったのだろうかと、過去を疑った。
僕は脳内をピリピリと刺激している甘い感覚の正体が知りたかった。これまで「恋だ」とおもっていた感情とは、似ているようで明らかに違う何かが、心の奥底で、激しい産声をあげていた。
改札をくぐってからも、僕らはしばらく駅の端に立って、立ち話を続けたり、ホームへ疾走するサラリーマンを眺めたりしていた。彼女の最終電車の方が早いことがわかると、その電車がホームに滑り込むギリギリまで、改札横から離れないでいようとする二人がいた。その空気は、柑橘類の匂いをおもいきり嗅いだときに脳の奥がツンと甘くなる、あの感じに似ていた。この日まで、駅の改札で抱き合ったりキスをしたりしているカップルを冷笑してきた僕は、この夜初めて、 数多の恋人たちの気持ちを、寸分違わず理解できた気がした。
「あのさ、LINEとか、聞いていい?」
今なら聞ける、とおもった。ここを逃すと、次がない気もした。
「あ、うん、もちろん」
二人でいる間はできるだけ見ないようにしていたスマートフォンを鞄から取り出すと、彼女も、先ほど居酒屋でなくしかけたばかりのスマートフォンを、大事そうにポケットから取り出した。
LINE IDを交換すると、今より髪の長い彼女の写真がアイコンとして表示された。それまで味気なかった携帯が、満を持して生まれた愛くるしい生き物のように、愛おしい存在として生まれ変わった気がした。
「ありがと。じゃあ、またね」
最終電車が、彼女を迎えにくる。改札前は、名残惜しさを包んだ空気がパンパンに膨らんでいた。「また、飲みいこ?」寂しさや悲しみをできるだけ遠ざけるように言うと、「うん、絶対」と、彼女も笑顔を返した。その笑顔が嘘じゃないなら、たとえ他の全てが嘘であっても許せそうな気がした。
ホームへ向かう階段を、彼女が上っていく。
たまにこちらを振り向くと、大きく手を振った。姿が完全に見えなくなるまで、何度もそれを繰り返して、僕らはお別れをした。
井の頭線の電車を降りて、家路につく。空を見上げると、月がやたらと大きかった。ハナミズキの白い花が見えた。その木に帰っていく鳥が、チチチと鳴いた。風がやわらかく吹いていた。それが、僕たちの出会った夜だった。
明け方の若者たち
6月11日発売、人気ウェブライター・カツセマサヒコさんのデビュー小説、『明け方の若者たち』をご紹介します。
- バックナンバー
-
- 映画のエンドロールが終わっても登場人物の...
- ストーリーのある会社に“彼女”には勤めて...
- #8 下北沢は湿ったアスファルトの上で静...
- #7「何者でもないうちだけだよ、何しても...
- #6 ヴィレッジヴァンガードは待ち合わせ...
- #5 その笑顔が嘘じゃないなら
- #4 クジラ公園で、飲みかけのハイボール...
- #3 パーティをぬけだそう!
- #2 彼女の財布から溢れたレシートは下着...
- #1「勝ち組」は明大前の沖縄料理屋に集う
- 『明け方の若者たち』文庫カバーを解禁
- 『明け方の若者たち』文庫化決定!
- 【書評】終わりない「マジックアワー」の中...
- Twitterの140文字と、小説の10...
- 特製しおりをプレゼントする、インスタキャ...
- ノーコンプレックスがコンプレックス。凡人...
- 【書評】変わっていく時間の中に描かれる永...
- 【書評】極めて刺激的で鮮烈な文学世界だ!
- 【書評】「24秒の文学」の外へ──WEB...
- 【書評】夜の感覚に潜むミステリーとしての...
- もっと見る