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明け方の若者たち

2021.11.16 公開 ポスト

#7「何者でもないうちだけだよ、何してもイイ時期なんて」カツセマサヒコ

「私と飲んだ方が、楽しいかもよ笑?」その16文字から始まった、沼のような5年間ーー。

カツセマサヒコさんのデビュー小説『明け方の若者たち』の文庫が11月17日に発売いたします。北村匠海さん主演で映画化も決定している大注目の作品より1章・2章を、映画の場面写真とともに、8日間連続で特別公開します。(全8回/7回目)

*   *   *

本多劇場の前を通過することは何度かあっても、中に入るのは初めてだった。

入り口前でチケットの確認を済ませると、天井がやや低い、少し圧迫感を覚えるロビーへと通される。開演初日と彼女が言っていたのもあり、開演前のロビーフロアはとても混雑していた。物販コーナーの近くでは、パンフレットとキャストのブロマイドを購入しようとする観客で、大きな賑わいを見せている。酸素が外気の半分に設定されたように薄く感じて、どうにも息苦しい。

彼女は立ち止まることなく、客席へ続く分厚い扉に手をかける。僕は場慣れしていないことを気付かれぬよう、できるだけ余裕を持ったフリをして、ドアマンのように後ろから扉を引いた。

外観から想像していたより、よっぽど大きな劇場だった。二階席まではないものの、後方から見れば、演者の表情まで確認するには少し難しいほど、奥行きと高さがある。客席はすでに半分ほど埋まっていて、みんなこの場に慣れた、文化的な顔つきをしていた。

僕らに用意された席は、真ん中より少し後方、端っこの二つ。彼女にどちらに座りたいか尋ねられ、「好きな方を」と答えると、僕の右隣に座った。座るなら右側を選ぶ人なのだと、脳に刻み込んだ。

「結構大きい劇場なんだね」

「今回のやつ、演出家が有名な人なの。普段はもっと大きな会場ばっかりだから、このくらいのハコは、余裕で埋まりそう」ワンピースがシワにならないように、手で体のラインをなぞりながら、彼女は続ける。

「小さい劇場だと、本当に狭いんだ。中目黒のウッディシアターとか、行ったことある?」

「行った気がするけど、どんなんだったっけ?」

もちろん行ったことがない僕は、小さな嘘を着々と積み重ねる。

「堅い木の長椅子に、薄い座布団が並んでるだけ。足組むこともできないまま、二時間ぎゅうぎゅう詰めのやつ」

「あー、行ったこと、あったかな」

「それでもまだ大きい方なんだけど、でも小さいハコも、楽しいよ。舞台って、映画よりはライブに近いとおもっていて、ハコが小さいとそのぶん、演者とお客さんの熱量が一体になっていく感じがするのね」

「おおー、なるほど?」

「私は、その感じも好き」

好き、という言葉を愛おしそうに使う人だった。そんな人の好きな人になりたいとおもう僕がいた。シェイクスピアの四大悲劇すらロクに答えられない僕の存在は、ヴィレッジヴァンガードにいちいち憧れを抱かないであろう彼女の目に、どのように映っているのだろう。開演を告げるブザーが、僕らの会話を遮るように鳴った。



本多劇場を出ると、梅雨の予行演習のような雨が降り始めていた。街はここのところ外れがちな天気予報に辟易としながらも、慣れた手つきで店先に、雨除けのビニールカバーを垂らしていく。

重たく曇った空を二人で眺める。傘を買ってちょっと歩こうかと提案したのは僕からで、彼女はそれに快く同意してくれた。コンビニのビニール傘は在庫をかなり減らしていて、この雨が少し前から降っていたことを物語っている。

残り少なくなったビニール傘を二つ買ってコンビニを出ると、キャップから覗く大きな瞳に向かって、「どうでした?」と劇の感想を尋ねる。僕の感想が彼女の意にそぐわなかったら申し訳なくて、先に聞くことだけは決めていた。

劇は、部分部分で楽しめる要素は確かにあったものの、没入するには至らず、モヤモヤとした気持ちを残して静かに終わった。二度のカーテンコールで客席に姿を見せた演者たちは、遠目から見ても清々しい顔をしていて、それが尚更、違和感に繋がった。

 

劇の冒頭、舞台の両脇から十五人ほどの役者が出てきて、すれ違う。役者たちが交差する間際、オフィスカジュアルに身を包んだ女性だけが、突如客席に体を向けた。

「昨日もだよ! 昨日も同じ道を歩いてた。一昨日だって、その前だって、何カ月も、何年も前だって、私はこの道を行ったり来たりしてる。ほかにいくらでも道は広がっているはずなのに、ただ会社から指定された定期券に従って、通勤経路を辿って、アリのように家とオフィスを行ったり来たりするだけ。何の意味がある? この行動に! 替えなんていくらでもいる、この生き方に!」

雑踏の中心で叫ぶ女性に対して、会場は異質な存在を受け入れきれないように、沈黙を貫いた。複数の通行人役の演者たちは、主人公を見ることもなく、その場に静止している。

「いくら声を荒らげたって、誰も救ってくれないことも知ってる。それが大人ってことだもん。じゃあ、あのとき、私が夢見てた将来は、どこに行ったんだろ。あんなにキラキラしてたはずの未来は、どうして現実になってみれば、こんなにくすんで、魅力を失っちゃうんだろう。みんな、忘れて大人になるのかな。大人ってそういうことなのかな。いまだに諦めきれないのは、私だけなのかなあ!」

序盤から、怒濤の長ゼリフが続いた。強い言葉と露骨なメッセージ性に、気恥ずかしさすら覚えて目を背けたくなる。早くも興醒めしかけている僕がいた。それすら狙いであるかのように、舞台は、鋭さをもって進行し続ける。

心細くなって、すぐ横にいる彼女の存在を、確かめようとする。薄暗い客席では、自分の手元すらよく見えなかった。

舞台は、主人公が会社の屋上から飛び降りて終わった。



演劇の知識がないから楽しめなかったのか。それとも作品として面白くなかったのか。僕は答え合わせがしたくて、改めて彼女に感想を促した。

ⓒカツセマサヒコ・幻冬舎/「明け方の若者たち」製作委員会

「んー、ちょっと、期待はずれかな?」彼女はビニール傘をゆっくりと回しながら答える。

「もちろん、あの演出家さんっぽいなって感じさせるシーンも多かったし、オマージュもたくさんあってニヤニヤしちゃったけど、でも、なんか、ストーリーだけで言えば、この間の飲み会の、延長線の話なんだなあっておもった」

「あの、勝ち組飲み? どゆこと?」

「んー、私たち、一番の夢を叶えたわけではないにしろ、来年から働くことに、多少は前向きでいるでしょ?」

「そりゃあまあ、そうだね?」

「働かなくて済むならそれが一番! って考えもあるけど、でもどうせ働くなら、少しでも自分が興味を持った分野で働きたいとおもって、就活してたでしょ?」

「ウンウン、そうね」

「で、その結果が、今日の劇の人たちじゃん。夢見た景色とは全然違うところに立って、こんなハズじゃなかった! って、頑張って抗って、平凡から逃れようとして、何者かになろうとしてる。結果、主人公は飛び降りちゃうし」

「確かにそうかも」

「社会人になったら、イイ会社に入ったら、何者かになれるかとおもったのに、そんなことないんだなあって」

「そうだねえ」

「それ考えてたら、逆に、なんか楽しいなっておもっちゃった」

「え、なんで? しんどくない?」

「だって、何者か決められちゃったら、ずっとそれに縛られるんだよ。結婚したら既婚者、出産したら母親。レールに沿って生きたら、どんどん何者かにされちゃうのが、現代じゃん。だから、何者でもないうちだけだよ、何してもイイ時期なんて」

「うっわー、大人すぎる。人生、何周目なの」

そんなんじゃないって、と笑いながら、彼女はまたビニール傘をゆっくりと回す。雨はまだまだ、止みそうになかった。

関連書籍

カツセマサヒコ『明け方の若者たち』

2021年12月、北村匠海主演で映画化決定!! 9万部突破の話題作、早くも文庫化。 明大前で開かれた退屈な飲み会。そこで出会った彼女に、一瞬で恋をした。本多劇場で観た舞台。「写ルンです」で撮った江の島。IKEAで買ったセミダブルベッド。フジロックに対抗するために旅をした7月の終わり。 世界が彼女で満たされる一方で、社会人になった僕は、“こんなハズじゃなかった人生"に打ちのめされていく。息の詰まる満員電車。夢見た未来とは異なる現在。深夜の高円寺の公園と親友だけが、救いだったあの頃。 それでも、振り返れば全てが、美しい。 人生のマジックアワーを描いた、20代の青春譚。

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明け方の若者たち

6月11日発売、人気ウェブライター・カツセマサヒコさんのデビュー小説、『明け方の若者たち』をご紹介します。

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カツセマサヒコ

 

1986年東京生まれ。大学を卒業後、2009年より一般企業にて勤務。趣味で書いていたブログをきっかけに編集プロダクションに転職し、2017年4月に独立。ウェブライター、編集として活動中。はじめての著書『明け方の若者たち』は小説デビュー作となる。

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