大河ドラマ「真田丸」執筆中に前立腺がんの手術をした脚本家・三谷幸喜さん。その体験から「前立腺がんって実は、まったく怖くない」と実感、「前立腺がんのイメージを変えたい」と主治医・頴川晋先生(東京慈恵会医科大学泌尿器科主任教授)との対談本『ボクもたまにはがんになる』を刊行。そこから、お二人の楽しいやりとりを少しご紹介します。
退院祝いはデニーズ
三谷 退院した日、お祝いに何か食べようと、妻に頼んでどうしても行きたかったレストラン、デニーズなんですけど、連れていってもらったんです。そうしたら、駐車場から店内の席までたいした距離ではないんですが、歩くのがものすご くきつくて。たった1週間なのに、こんなに筋力って落ちるのかと驚きました。本当にもう、身も心もおじいさんになった気分でした。
頴川 下半身の手術ですし、入院中はほとんど動かないですしね。
三谷 階段なんて数段なのに、すぐに息があがって……。
頴川 術後の入院に関しては、面白い話がありましてね。私は子供がふたりいるんですが、家内は日本とアメリカ、両方で出産経験があるんです。彼女が言うには、出産後、病室に入ってくる看護師さんの対応が日本とアメリカでは全然違うらしいんです。日本では、腫れ物に触るように「大丈夫ですか?」と、とても気遣われる。すると、初産だったこともあって家内は「私、大丈夫なのかしら……」とまず思うらしいんです。ところがアメリカでは、アメリカ人の元来の陽気さもあるのか、いきなり入ってきて「How are you doing?」、「いつまで寝てんの? さあ、起き上がって!」と肩をバシッと叩かれるらしい。すると不思議とこちらも「あら、そう?」と思ってパッと立ち上がれてしまう、と。家内の場合、ふたりめの出産だったというのもあるかもしれませんが、そのへんが明らかに違うと言っていました。実際、そのときは家内の両親もアメリカに来ていて、出産の翌々日には市内観光に連れていったようです(笑)。
三谷 ええー?
頴川 日本はどうしても大事をとるという習慣があるので、おそらくベッドから起きるときも転ばないように支えてもらえるし、そのうえで頑張って歩いて一周してみましょうとか、そういう感じだと思います。一方アメリカでは、もう動けるんだから、さあ歩いて、という感じ。どちらがいいというわけではありませんが、受け手側の心構えは変わってきますよね。ですから、三谷さんがおじいさんになった気がしたっていうのは、入院中の患者さんへのアプローチという側面もあるかもしれません。実際には、三谷さんのご年齢だと術後2晩くらい安静にしていれば、そんなに大きなインパクトはないと思います。
三谷 でも、術後って、やっぱりなんか怖いんですよね。いきなり体を動かすと、体内で何かが外れちゃうんじゃないかとか。
頴川点滴もありますしね。
三谷 尿道に管も入っているし。そんな状態で市内観光なんて無理です(笑)。
頴川 たしかに。
尿道から管に萎える
三谷 そうだ、尿道に管で思い出しました。あれはつらかったですよ。術後の尿道から管を抜く瞬間。あれはイヤですね。前立腺の手術は、どうしてもって頼まれたらもう一回やってあげてもいいけど、尿道から管を抜くのはもうごめんです ね。
頴川 三谷さんは特に痛みに敏感ですしね(笑)。
三谷 いや、僕だけじゃないはず。
頴川 イメージがありますよね。腹の奥や尿道に管が入っていて、さあ取りましょうと言ったらどんな人もやっぱり身構えます。痛くないとは言わないですけど、身構えた状態で抜くのと、知らない間にサッと抜くのとは違います。痛みに敏感な人は想像力もたくましいですから。
三谷 いやでも、男の人のおちんちんの先っぽって、どうみても管が入るような感じではないじゃないですか。あんなちっちゃいところに(笑)。今も想像できないですもん。どうやって管が入ってたんだろうとか、どうやって抜いたんだとか。管の直径ってどれくらいですか。
頴川 16~18フレンチといって、フランスの単位を使っているんですが、5、6ミリ程度かな。
三谷ほら、結構な太さじゃないですか。ちょっとした油性ペンですよ。それが術後から退院ギリギリまで入っているわけです。違和感はすごかったですよ。
頴川 正確にいうと管は2本あって、腹部に排液管(ドレーン)、尿道に管(カテーテル)が入っています。
三谷 2本ありましたっけ。
頴川 前立腺は膀胱と尿道の間にありますから、だるま落としみたいに前立腺を取り除いた後は、膀胱と尿道を繋ぎ合わせます。ドレーンは、術後すぐはその繋いだところから尿が漏れるため、それを吸い出すための管です。尿漏れがなくな ったら術後3~4日くらいで抜いたはずです。尿道の管は、退院ギリギリまで入っていますが。
三谷 痛いのはもちろんなんですが、気持ち的に萎える部分もありました。尿道からって、初めての経験だったんで。あそこの先から何か伸びてるっていうのは考えただけでも背筋が寒くなる。
頴川 まあ、生物的に男性のほうが痛みに弱いですしね。女性は出産に備えなきゃいけないので、痛みに強くできています。女性は生理があって、毎月出血の経験もあるから、出血にも強い。それだけでなく、いざというときの体力も全然違います。圧倒的に生命力が強く、たくましいんですよ。
おむつ生活に凹む
三谷 それと退院後、しばらくはおむつ生活をしていたんですが、あれも精神的に結構きます。越えなきゃならない試練なんですけどね。
頴川 皆さんおっしゃいますね。尿漏れ、尿失禁こそ、前立腺がんの手術の一番の副作用といっても過言ではありません。蓄尿、排尿のコントロールにひと役買っていた前立腺が失われるわけですから、手術直後は一時的にせよほぼ100%の方に尿失禁が起きます。膀胱と尿道の間にある前立腺は、お腹に圧力がかかったときのクッションの役割を果たしています。女性はもともと前立腺がない分、お腹に力がかかったら漏れる、あるいは漏れそうになることを知っています。腹圧性尿失禁といいますが、男の人はこれまでそんな経験がないわけですから面くらって当然です。
三谷 ジョーッと出る感じではないですが、お腹に力が入っただけで漏れていたり、え? いつの間に? という感じ、しばらくはおむつをしていないと不安でした。
頴川 最初は立ち上がろうとしただけでも尿失禁が起きることもあります。
三谷 何より、おむつをして生活していること自体がなんだかもの悲しい。手術後、すぐに舞台の稽古が始まったんですが、ずっと稽古場ではおむつをしていました。もちろんみんなには内緒ですが、「僕は今、誰にも悟られずにおむつをしている」という状況は胸に迫るものがあった。術後の尿漏れについてはちゃんとお話を聞いていたし、覚悟はしていたものの、きつかったですね。