10月31日に投票日を迎えた第49回衆議院議員総選挙の有権者全体における投票率は、小選挙区が55.93%、比例代表が55.92%。前回の2017年衆院選の投票率上回ったものの、戦後3番目の低さです。この結果をどう受け止め、解釈するか?「政治を語ろう」後半戦、まずは現代民主主義理論を専門とする政治学者の藤井達夫さんにご寄稿いただきました。
有権者から審判の機会を奪った自民党総裁選
第49回衆議院議員選挙の投開票から数日も経過すると、選挙につきもののお祭り感やそれが伴う熱狂は跡形もなく消え去った。人びとは日常の生活へと舞い戻る一方で、主権者としては再び長い微睡(まどろみ)に入ることになった。
選挙戦では、当初、安倍・菅政権でのコロナ対策に対する世論の厳しい評価や、立憲民主党と共産党を中心とした野党共闘の実現を理由に、自民党の苦戦が伝えられていた。政権交代とはいかないまでも、自民党の単独過半数割れを期待する向きもあった。
そんな期待からすれば、今回の総選挙の結果は野党にとっては惨敗であった。なぜなら、自公政権が12議席減(自-15、公+3)したものの、安定多数を維持したのに対して、立民は、議席を増やすどころか、13議席減となったからだ。
この結果は、9月29日の自民党総裁選当日にある程度、予測できたものであった。実はここに今回の選挙の結果を、そればかりか、現在の日本の代表制民主主義のあり様を理解するポイントがある。
選挙前、一部のメディアで囁かれた政権交代のような政治的激変を引き起こすには、無党派層を巻き込んだ有権者の間での選挙に対する熱狂が不可欠だ。それが今回の選挙で生まれなかったことは、戦後3番目の低さとなる、55.93%の投票率に示されている。
では、なぜ、多くの無党派層は選挙に行かず、投票率は低くなったのか。なぜ今回の選挙は、半数近くの有権者の関心を喚起することができなかったのか。
その回答として、立民を中心にした野党が選挙の争点化に失敗をしたとか、野党共闘という選挙戦略が間違っていたというような指摘がすでになされている。たしかに、それらが投票率の低下を招いた要因であったかもしれない。しかし、今回の総選挙の投票率の低さを立民などの野党側だけに求めるとするなら、それは今回の選挙の本質的な問題点を見逃すことになる。
なぜ半数近くの有権者が選挙に関心を持たず、投票に行かなかったか。その主要な原因は、自民党にある。自民党が、総選挙を前に、菅氏を総理の座から引きずり下ろし、かつての派閥選挙を思い出せる総裁選挙を実施し、みごとに、総裁候補の中では中道左派に分類できる岸田氏を総理大臣に仕立て上げた。
つまり、失政を続けてきた自公政権に対して、自民党が総裁選挙をとおして、勝手に審判を下したわけだ。その光景を有権者はメディアをとおして、いやというほど見せつけられた。これによって、実は、今回の総選挙は既に終わってしまっていたのだ。
現代の政治学において、選挙の機能に関する有力な理解は、政権の業績に関する審判という機能だ。すなわち、有権者の投票は、政権政党とそのリーダーに対して賞ないし罰を与える機会だというものだ。良い政治を行っていれば、有権者の投票によって政権を維持でき、悪政を行っていれば、下野をするということになる。
代表制度の下での民主主義では、選挙のこの機能が十全に発揮されることで、政治権力の民主的なコントロールが可能になると想定されている。仮に有権者から実際に政治を行ってきた政権とそのリーダーへの審判の機会が奪われてしまえば、その結果、政治権力の民主的なコントロールが不可能となる。それは、代表制民主主義の死を意味すると言っても言い過ぎではない。
端的に言って、9月に行われた自民党総裁選は、この機会を有権者から略奪したわけだ。本来なら、安倍―菅政権の業績を判断し、賞罰を与える機会であったはずの総選挙は、多くの有権者にとって、まだ何の実績もない、岸田政権に対する投票となってしまった。
有権者ではなく、自民党によって菅政権は罰を与えられ、退けられてしまった。そして処罰の後、登場したのが、表面上は、安倍―菅政権とは一線を画する岸田氏であった。梯子を外された有権者からすれば、争点化や選挙戦略どころではない。もちろん、選挙特有の祭り感も社会全体に広がることはなく、投票率も上がるわけもない。
こうして今回の総選挙の問題の核心が見えてくる。それは、もちろん単なる投票率の低さにあるのではない。また、それによって野党第一党が敗北したことにあるのでもない。政治権力を維持することだけに執着した自民党が、まったく合法的に代表制民主主義の下での選挙の機能を完全に骨抜きにしたこと。選挙を根幹に据えた代表制度の下での民主主義の合法的な破壊こそ、問題なのだ。
世界の潮流は脱新自由主義、でも日本は
自民党の総裁選挙は、民主的な選挙の重要な機能を骨抜きにし、同時に、選挙の争点を曖昧にしてしまった。この争点をめぐって、現在の日本の実情が見えてくる。そこで、最後にこの点について簡単に触れておこう。それは、維新が議席を4倍近く増やしたことに関連する。
内政面に関して言えば、今回の総選挙の争点の一つは、間違いなく新自由主義か脱新自由主義か、というものだった。これは世界史的な潮流で、日本においても不可避の争点だと言える。しかし、総裁選で岸田氏が脱新自由主義のような政策を掲げたことで、近年、新自由主義を批判してきた立民との差異が曖昧になってしまった。その結果、立民の政策として、アイデンティティ・ポリティクスばかりが目立ってしまったように見える。
その一方で、脱新自由主義を嫌った自民寄りのネオリベ層は維新を支持することになった。自民党への批判票が、新自由主義からの脱却を目指す立民ではなく、典型的な新自由主義政党である維新へと流れることになったわけはここにある。
維新の躍進を支えた層の中心が、新自由主義によって最も虐げられてきたはずのいわゆる氷河期世代――特に、その勝ち組――だった。これを踏まえると、私たちの社会が平成の時代を通して、骨の髄まで、新自由主義に侵され尽くされていることを痛感せざるを得ない。
他の先進諸国よりも遅れてネオリベ化した日本は、なぜか徹底的によりネオリベ化してしまった。その一方で、フリードマン率いるシカゴ・ボーイズによって新自由主義の最初の実験場となった南米のチリ、その後の新自由主義を先導したアメリカを挙げるまでもなく、多くの民主主義諸国では現在、新自由主義からの脱却が確実に模索され始めている。これが世界の趨勢だ。
そんな中、私たちの社会では、未だに規制緩和と民営化・市場化が成長戦略とされ、脱集団化は留まるところを知らず、自己責任論の蔓延は相変わらず終わらない。例えば、コロナへの罹患は自己責任だとする割合が、他の国に比べて圧倒的に高い。
なぜ、そうなってしまったかについては、じっくり腰を据えて考える必要がある。それはともかく、維新の躍進という今回の選挙結果からすれば、新自由主義vs.脱新自由主義という争点において、新自由主義が勝利したと言わざるを得ない。要するに、この結果こそ、増々世界から取り残されていく日本の現状を紛うことなく示しているのだ。
ルソーはかつて、19世紀当時のイギリス人を揶揄して、「彼らが自由であるのは代表者を選挙しているときだけで、選挙が終われば、その奴隷となる」と言った。今回の総選挙を見たら、ルソーは何と言っただろうか。「選挙の時でさえ、日本人は政治家とその権力をコントロールできず、いつも奴隷だ」。こんな厳しい言葉を投げつけられるかもしれない。しかし、私たちが政治家たちの奴隷でないとするなら、投票以外にすべきことはたくさんある。選挙で選ばれた代表者たちを監視しなければならない。説明責任を求め続けなければならない。主権者である私たちは、日々の生活にただ微睡んでいるわけにはいかないのだ。
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