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思考を養う「バカロレア」試験
フランスでは、大学入学資格を得るためにはバカロレアという選抜試験を受ける必要があります。
バカロレア試験の「哲学」では、たとえば「理性と情熱は共存するか」といった抽象的な問いに対して論述する問題が出題されるため、フランスの学生はバカロレア対策として、こうした問題にどう答えるかを学ぶことになります。当然、バカロレア哲学の問題集や参考書のようなものもあります。
バカロレアの哲学で出題される問いは、言葉の一つひとつの意味を吟味しなければ、イエス・ノーで答えることができません。そして、厳密に考えれば、大半の答えはそのいずれとも言い難い「第三の立場」にならざるをえません。
このような問いに答えるために、バカロレア哲学の参考書は何を示唆しているのでしょうか。
参考書に書かれているのは、「問いを分析する」「言葉の一つひとつの意味を吟味する」「問いを分類する」「論を組み立てる」といった考え方です。
つまり、「そもそも『理性』とは何か」「『情熱』とは何か」「『共存する』とはどういうことか」、自分なりの定義を考え、高校の哲学などで学んだ関連知識を列挙しながら、その問いが何をテーマにしているのかを分析したうえで自分の論をまとめることになります。
フランスの学生は、こうした方法でさまざまな問題について考え、論述することを積み重ねながら学習しているのです。
何を学習しているのかといえば、それは「思考の枠組み」です。答えの出ない抽象的な問題に対してどうアプローチするかを学んでいるといってもいいでしょう。
日本で思考習慣が身につかない理由
フランスのバカロレアの例からいえることがあります。
日本の教育が知識偏重で、「思考の枠組み」を学ぶ機会が少なく、それゆえに問題解決のための思考習慣が身につきづらい面があるのではないかということです。
ごく簡単な例を挙げましょう。たとえば今、「りんごとバナナを比べなさい」といわれたら、みなさんはどう答えるでしょうか。
「りんごは赤くてバナナは黄色い」
「りんごは丸くてバナナは長い」
「りんごは北、バナナは南のほうで採れる」
いろいろな答えが考えられますが、ここで考えたいのは「どのような枠組みで思考するか」です。
ものを比較する場合の思考の枠組みは、まず同質性を確認し、次に何を物差しにして比較するのかを決め、その物差しのもとで差を取るというのがベーシックな方法です。
これを知っていれば「りんごとバナナの違い」ばかりに目を向けるのではなく、「りんごとバナナはどこが同じか」にも気づくことができますし、「何を物差しにするか決める」という頭の使い方を知っていれば、思いつきではなく、より網羅的な比較も可能になるでしょう。
バカロレアの参考書が教える、「言葉の意味を吟味して問いを分析し、問いを分類し、自分の論を組み立てなさい」というのも「思考の枠組み」の一つです。
このような枠組みを学んでいるのといないのとでは、思考や議論の深め方に違いが出てくるでしょう。
みなさんはここで、抽象的な問いに対する思考の枠組みについて学ぶきっかけを手にしています。このようなきっかけを逃さず、何かを考えるときは「どのような思考の枠組みで考えるか」を意識する必要があります。
しかし、思考の枠組みというのは、ある意味では「技術」にすぎません。より重要なポイントは別のところにあります。それは、バカロレアでは「問いに対する答えに『正解』がない」ことが前提として共有されていることです。
日本の大学入試でも、論述式で回答する問題があります。受験で小論文に取り組んだ人なら、バカロレアの種本と似たテクニックを勉強したことがあるかもしれません。
「思考の枠組み」となる頭の使い方は、日本では重視されているとまではいえないものの、全く教えられていないというわけではありません。
しかし、日本の学生が小論文に取り組む姿勢と、フランスでバカロレアの勉強をする学生の間には、スタンスに大きな違いがあるように思います。それは、日本では「模範解答にできるだけ近い小論文を書くこと」を目指す意識が強いのではないかということです。
もしみなさんが「思考の枠組み」を学び、思考習慣を深めても、つねに「正解探し」をするスタンスから脱することができなければ、知識を動員し、他者と議論しながら社会課題の解決を目指すという「教養」はおそらく身につかないでしょう。
教養とは、正解のない問いについて考え、「ただ一つの正解」探しをするのではなく、他者と知恵を集結しながらよりよい解、つまり思考の枠組みを駆使した新たな物差しを模索し続けることだともいえるからです。
東大教授が考えるあたらしい教養
かつて、「教養=知識量」だった時代がありました。しかし、ネットで検索すればあらゆる情報が手に入る今、その公式は崩れ去っています。では、現在における真の教養とはなんなのか? それを身につけるにはどうすればよいのか? 二人の東大教授が贈る『東大教授が考えるあたらしい教養』には、その要諦が詰まっています。仕事や人間関係にも必ず役立つ「あたらしい教養」を、ぜひ本書で身につけてください!