明治時代の日本人は、犬を「カメ」と呼んでいた!?
ことばの専門家集団が英知を結集して、国民の素朴な疑問に答えた『日本語の大疑問 眠れなくなるほど面白い ことばの世界』(国立国語研究所編)は、7万部を超えるベストセラーになりました。本書から一部を抜粋してご紹介します。
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疑問:明治時代、犬を「カメ」と呼ぶことがあったというのは本当ですか
回答=服部紀子
西洋人のふるまいを誤解して生まれたことば
本当です。例えば、明治3年~9年に刊行された仮名垣魯文(かながきろぶん)『西洋道中膝栗毛(せいようどうちゅうひざくりげ)』に次のように現れます。
当時海岸通りじヤア おれが面を見りやア 異人館の洋犬(かめ)までが尻尾(しっぽ)をさげる
「カメ」の起源には諸説ありますが、有力なのは石井研堂(けんどう)『明治事物起原』(明治41年刊)の記述です。これは明治時代の日本の様子がわかる代表的な文献で、「カメ」という名称について次のように述べています。
邦人、洋犬を呼びてカメとなすは、洋人の、犬を呼ぶに来れ〳〵(カムカム)といへるを聞きて、犬のことゝなし転訛して終に其の名となしゝなりといふ。
(日本人が西洋の犬を「カメ」と呼ぶのは、西洋人が犬を呼ぶときに「come, come(来い、来い)」と言っているのを聞いて犬のことと思い、音がなまって、ついには西洋犬を指す名前になったという)
西洋人が犬に向かって「カム、カム」と話しかけるのを聞いて、西洋の犬は「カメ」というのだと当時の日本人たちが勘違いしたという説です。つまり、聞き間違いから発生したことばとなります。また、洋犬(西洋の犬)を「カメヤ」と呼んだ例もあります。
「なんだカメヤ。《西洋人犬を呼ぶに来(コイ)々といふ詞なり。邦人 謬伝(アヤマリツタ)へて犬の名と思ふ者なり。今其謬語(ビウゴ)を用ふ》何が欲(ほし)い。カメヤ。何処(どこ)へゆくのだ」
(渡部温(わたなべおん)訳『通俗伊蘇普(いそっぷ)物語』巻之四 明治6年刊)
この「カメヤ」も「カメ」と同様にcome hereの誤解から生じたことばです。
洋犬を「カメ」と呼んでいた明治初期の言語生活の様子を見ると、大きく2種類に分けられます。一つは漢文に長(た)けた知識人たちの言語生活、もう一つは必要最低限の漢字・漢語のみを身に付けた非識字層と言える一般庶民の言語生活です。
両者の差は外国の事物を受け入れる際にも反映されています。漢語に造詣の深い知識人たちは、philosophy=「哲学」、deduction=「演繹(えんえき)」などのように、漢字を媒体とした様々な翻訳語を誕生させました。
一方、一般庶民の言語生活の中で用いられた外来語には、耳から入る外国語を日本語の発音風に聞きなした語が見られます。station(駅)を「ステンショ」と呼ぶなどがその例で、この「カメ」もその一つと言えるでしょう。
時は文明開化の真っ只中。「カメ」を飼うのは当時のステイタスであり、和犬とは区別されていたことも様々な文献からわかっています。
「ポチ」は西洋式の名前だった
ちなみに犬の名前の代表格である「ポチ」という呼び名が誕生したのもこの頃です(*1)。もともと犬は「トラ」「クマ」「クロ」といった毛の色や大きさなど、見た目からついた名前で呼ばれていました。つまり、毛の色が黒ければどの犬も「クロ」と呼ばれていたのです。当時は個人で犬を飼う習慣がなかったため、誰が見てもわかるような名前で呼ぶのはとても自然なことであったと思われます。
ところが、明治6年に「畜犬規則」が制定されると、飼い主の名札がついていない犬は野犬として殺処分されるようになってしまいました。このことがきっかけとなって各家庭で犬を飼うようになったのですが、その犬に多かったのが和犬ではなく、当時ステイタスとされていた「カメ(洋犬)」でした。そして、西洋式に「カメ」らしい名前をということで、「ポチ」や「ジョン」などといった名前が個別につけられるようになったということです。
*1─仁科邦男(2017)『犬たちの明治維新 ポチの誕生』草思社文庫
*樺島忠夫ほか編(1996)『明治大正 新語俗語辞典 新装版』東京堂出版
*飛田良文(2002)『明治生まれの日本語』淡交社
服部紀子(はっとり のりこ)……都留文科大学 非常勤講師、学習院女子大学 非常勤講師。江戸時代から明治時代にかけての文法学説を研究している。蘭学や英学からの影響を受けながら、日本人の言語観がどのように変化してきたのかについて興味を持っている。
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