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本屋の時間

2021.12.01 公開 ポスト

第123回

猫は夜ごと、店内を駆けまわり……辻山良雄

左・あずき 右・すず(ともに生後4カ月)
てんてん(5歳)
 

千葉県で保護されたというメスの子猫を、二匹迎え入れたのは一カ月ほど前のこと。それ以来家にいるもの全員が、みな早起きになってしまった。子猫はまだ、居間を挟んだ別の部屋で、子猫たちだけで寝ているが、陽が昇るとすぐに、すずとあずきのニャーニャー(開けろ開けろ)という声が、少し怒りを含んだように聞こえてくる。往生際悪く、何も聞こえませんでしたよとまだ布団のなかでゴソゴソしていると、こちらの部屋にいたてんてんが、その声に呼応するかのように扉に向かい、爪でガリガリ音をたてはじめる……。

てんてんは五年前家に来たオス猫だが、元来のんびりとした性格で、穏やかに食べては寝てをくり返しているうち、最近では随分むっちりとしてきた。朝も、人間が全員起きてから、のろのろと居間までやってくるのが常だったが、子猫が登場して以来自分が猫であることを思い出したのか、率先して朝早く起きるようになった。

家のなかに、人間二人と猫一匹がいたはずが、人間の数は変わらず、猫だけが三匹に増えた訳である。こうなれば人間は、人のために生きるのではなく、猫のために生きているようなもの。急かされながらそれぞれの器にごはんを盛り、代わりばんこにウンチを取って、テーブルの上からものが落ちるのをあきらめながら見ているだけである。

 

我々に猫を飼う決心をさせたのは、すずでもあずきでもてんてんでもなく、「たび」というてんてんと一緒にやって来た、いまはもういない美しい顔をした猫でもなくて、どこかから店の中に入り込んだ、名前も知らない痩せた黒猫だった。

店が開店して半年ほど経ったころ、店と隣の建物とのあいだにある私道で、頻繁に猫の鳴き声がするようになった。しばらくそいつは姿を見せなかったが、ある日の閉店後妻が声をかけると、恐る恐る姿を見せたと思ったら、開けていた勝手口の扉からカフェの厨房のなかに、ぴょこんと入り込んでしまった。

ふわぁー、小さな黒い猫だよ。かわいいねぇ。

撫でたり声をかけたりするうちに、黒猫は頻繁に姿を見せるようになり、厨房だけでは飽き足らなかったのか、数日後には閉店後の店のなかを、本棚を縫うように駆けまわりはじめた。

わたしは夜の店で猫が走りまわる姿を、夢でも見ているような心地で眺めていた。そこはわたしの知っている本屋の姿ではなくて、柔らかくて血の通った、何か温かみのある空間のように見えたのだ。

このままずっと居つかないかな。でも猫が店にいることを嫌がる人だっているだろうな。

わたしはいつのまにか、「猫がいる本屋」といったコピーとともに、雑誌に載った店の姿を頭のなかで想像していた……。

本棚を回遊する黒猫(生後半年くらい?)

「うちであの猫を飼いたいという意志を、隣の人たちにも伝えたほうがいいと思うの」

黒猫は隣の家にも出入りしているようで、昼間はそこから餌をもらっていたが、誰かが責任をもって飼っているという訳ではなさそうだった。わたしと妻は、当時住んでいた部屋に引っ越す際、猫を飼おうとわざわざペット可物件を選んで引っ越したのだが、猫を飼うことは何となく先延ばしになっていた。妻があの黒猫を引き取りたいと伝えると、隣の人たちはあっさりと了承しよろこんでさえくれたので、わたしは少し拍子抜けした。

しかし猫用のケージと家まで運ぶキャリーバッグを買って、今日こそは連れて帰ると決めたその日から、黒猫は忽然と姿を消した。毎日勝手口の前に餌を置き待っていたのだが、それを食べた気配はなく、鳴き声もまったく聞こえない。今日は来るよと言い合いながら、それでも何日か待ってみたものの、やはり黒猫は姿を見せなくて、我々は心底がっかりした。

それからしばらくして妻の友だちから、「知り合いの会社で飼っている猫が子どもをたくさん産んだので、引き取り手を探している」との連絡があった。そしてやってきたのが、たびとてんてんだ。

それと同じ頃、姿を見せなかった黒猫が、店の裏にあるブロック塀の上に座っているのを見かけた。どこかでケンカでもしたのだろうか、首の周りには血がべっとりとこびりついている。以前のように、鳴きながら親しげにこちらに向かってくる様子もなく、声をかけようとしたら何も言わず、そのまま塀の向こうに姿を消してしまった。

黒猫はどうした鋭さで、我々の意図に気がついたのだろう。猫を飼いたいという前のめりな意志が、あの小さな魂を追い詰めてしまったのだろうか。

そしてそれが、その黒猫を見た最後の姿となった。

 

今回のおすすめ本

君と暮らせば ちいさないきものと日々のこと2』もりのこと文庫

彼らは何も求めることなく、例えいなくなったあとでも、私たちの人生を照らし続けてくれる。いきものとともに暮らしたかけがえのない時間を、17人が綴った小文集。

◯連載「本屋の時間」は単行本でもお楽しみいただけます

連載「本屋の時間」に大きく手を加え、再構成したエッセイ集『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』は、引き続き絶賛発売中。店が開店して5年のあいだ、その場に立ち会い考えた定点観測的エッセイ。お求めは全国の書店にて。Title WEBSHOPでもどうぞ。

齋藤陽道『齋藤陽道と歩く。荻窪Titleの三日間』

辻山良雄さんの著書『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』のために、写真家・齋藤陽道さんが三日間にわたり撮り下ろした“荻窪写真”。本書に掲載しきれなかった未収録作品510枚が今回、待望の写真集になりました。

○2024年11月15日(金)~ 2024年12月2日(月)Title2階ギャラリー

三好愛個展「ひとでなし」
『ひとでなし』(星野智幸著、文藝春秋刊)刊行記念

東京新聞ほかで連載された星野智幸さんの小説『ひとでなし』が、このたび、文藝春秋より単行本として刊行されました。鮮やかなカバーを飾るのは、新聞連載全416回の挿絵を担当された、三好愛さんの作品です。星野さんたってのご希望により、本書には、中面にも三好さんの挿絵がふんだんに収録されています。今回の展示では、単行本の装画、連載挿絵を多数展示のほか、描きおろしの作品も展示販売。また、本展のために三好さんが作成されたオリジナルグッズ(アクリルキーホルダー、ポストカード)も販売いたします。

※会期中、星野さんと三好さんのトークイベントも開催されます。
 

【店主・辻山による連載<日本の「地の塩」を巡る旅>が単行本になりました】

スタジオジブリの小冊子『熱風』(毎月10日頃発売)にて連載していた「日本の「地の塩」をめぐる旅」が待望の書籍化。 辻山良雄が日本各地の少し偏屈、でも愛すべき本屋を訪ね、生き方や仕事に対する考え方を訊いた、発見いっぱいの旅の記録。生きかたに仕事に迷える人、必読です。

『しぶとい十人の本屋 生きる手ごたえのある仕事をする』

著:辻山良雄 装丁:寄藤文平+垣内晴 出版社:朝日出版社
発売日:2024年6月4日 四六判ソフトカバー/360ページ
版元サイト /Titleサイト

◯【書評】

『アウシュヴィッツの小さな厩番』ヘンリー・オースター [著]/デクスター・フォード [著]/大沢 章子 [訳](新潮社)ーーアウシュヴィッツを含む3つの強制収容所を生き延びたユダヤ人が書き残した悪夢のような日常とは? [評]辻山良雄
(Book Ban)

『決断 そごう・西武61年目のストライキ』寺岡泰博(講談社)ーー「百貨店人」としての誇り[評]辻山良雄
(東京新聞 2024.8.18 掲載)

◯【お知らせ】

我に返る /〈わたし〉になるための読書(3)
「MySCUE(マイスキュー)」

シニアケアの情報サイト「MySCUE(マイスキュー)」でスタートした店主・辻山の新連載・第3回が更新されました。今回は〈時間〉や〈世界〉、そして〈自然〉を捉える感覚を新たにさせてくれる3冊を紹介。

NHKラジオ第1で放送中の「ラジオ深夜便」にて毎月本を紹介します。

毎月第三日曜日、23時8分頃から約1時間、店主・辻山が毎月3冊、紹介します。コーナータイトルは「本の国から」。1週間の聴き逃し配信もございますので、ぜひお聞きくださいませ。

関連書籍

辻山良雄『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』

まともに思えることだけやればいい。 荻窪の書店店主が考えた、よく働き、よく生きること。 「一冊ずつ手がかけられた書棚には光が宿る。 それは本に託した、われわれ自身の小さな声だ――」 本を媒介とし、私たちがよりよい世界に向かうには、その可能性とは。 効率、拡大、利便性……いまだ高速回転し続ける世界へ響く抵抗宣言エッセイ。

齋藤陽道『齋藤陽道と歩く。荻窪Titleの三日間』

新刊書店Titleのある東京荻窪。「ある日のTitleまわりをイメージしながら撮影していただくといいかもしれません」。店主辻山のひと言から『小さな声、光る棚』のために撮影された510枚。齋藤陽道が見た街の息づかい、光、時間のすべてが体感できる電子写真集。

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本屋の時間

東京・荻窪にある新刊書店「Title(タイトル)」店主の日々。好きな本のこと、本屋について、お店で起こった様々な出来事などを綴ります。「本屋」という、国境も時空も自由に超えられるものたちが集まる空間から見えるものとは。

バックナンバー

辻山良雄

Title店主。神戸生まれ。書店勤務ののち独立し、2016年1月荻窪に本屋とカフェとギャラリーの店 「Title」を開く。書評やブックセレクションの仕事も行う。著作に『本屋、はじめました』(苦楽堂・ちくま文庫)、『365日のほん』(河出書房新社)、『小さな声、光る棚』(幻冬舎)、画家のnakabanとの共著に『ことばの生まれる景色』(ナナロク社)がある。

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