2023年8月11年で誕生から50年を迎えたヒップホップは、今、世界でもっとも聴かれる音楽ジャンルです。ラッパー・トラックメイカーのダースレイダーさんによる『武器としてのヒップホップ』には、音楽というジャンルにとどまらない普遍性を持つヒップホップの精神と、そこから獲得できる思考法が綴られています。そこからヒップホップの誕生について綴った「Break 自分だけの目の付け所」をお届けします。
歴史を変える出来事は、当たり前の日常にこそ潜んでいる。
ヒップホップの歴史は、妹の制服代のための手作りパーティーから始まった
1973年8月11日、ブロンクスのDJクール・ハークと妹シンディーが、シンディーの学校の制服を購入する資金を作るために手作りで準備したパーティー、Back to school jamが開催された。この日がヒップホップの誕生日と言われている。
クライヴ・キャンベルことDJクール・ハークはジャマイカ系移民の息子だ。その体格から学校でヘラクレスと呼ばれていたのをうけて、自分で略称のハークを名乗っていた。父親が持っていた巨大なサウンドシステムを住んでいたアパートの地下の娯楽室に持ち込み、女25セント男50セントの入場料を設定した。
地元のキッズが集まるなか、ハークは彼らが好みそうな曲、ラジオではかからないような荒々しいファンクの楽曲をプレーした。特にドラムが強調された部分で客は盛り上がった。ハークはこうした部分を“Get-down part”(ゲットダウン・パート。のちにヒップホップ創世記を扱ったNetflixオリジナルドラマのタイトル「ゲットダウン」にもなる)、あるいは“Break”(ブレイク)と呼んだ。
パーティーはすぐに評判を呼び、人が集まるようになったので、ハークは場所を近くの公園に移した。巨漢ハークが仕切るパーティーは安全で、巨大なサウンドシステムで音も爆音、そして何よりもたくさんのブレイクがかかることが好まれた。ブレイクで盛り上がり、踊り出す連中のことをハークは“B・ボーイ”と呼んだ。
ただ、大体の曲におけるブレイク部分は短く、ときには数秒しかなかった。ハークは矢継ぎ早にブレイクが入っているレコードをかけたり、あるいはレコードを止めて、またブレイクの部分をかけ直したりしていたが、せっかくのグルーヴが途切れることにフラストレーションを抱えていた。
もし、このブレイク部分を止めずに延長出来たら? ハークの頭に浮かんだこの問いが音楽の革命に繋がる。
ハークにひらめきが訪れる。彼は同じレコードを2枚用意して2台のターンテーブルに並べた。一枚をかけてブレイク部分が終わりそうになったら、すぐにブレイクの頭部分に合わせてある2枚目に繋ぐ。こうして数秒のブレイク部分を延々とプレーすることが可能になった。ハークはこの技法を“メリー・ゴー・ラウンド”(同じブレイク部分が繰り返されることと回転するレコードから連想された言葉であろう)と名付けた。
ブレイク部分はBreakbeats(ブレイクビーツ)と呼ばれるようになり、こうした部分を含む楽曲がDJたちに再評価されるようになる。DJが曲をかけて紹介する存在から、ブレイクビーツを発見しそれを元に編曲する存在、クリエイターに変化した瞬間でもある。
ヒップホップがサンプリングでさまざまなレコードのブレイク部分を繰り返す楽曲制作手法(Loop〈ループ〉という)は、21世紀の今では世界中のポップスの常識だ。その入り口を開いたのはハークであり、それは彼の仕切る現場からの要請で生まれた。必要は発明の母である。
当時のアメリカの若者はラジオで音楽を聴いていたのでラジオDJの存在は大きい。ラジオDJは曲を紹介するときに小粋な一言を添える。ハークら若いDJたちも現場でこれを取り入れた。ところが、2枚のレコードを使ってブレイク部分を繰り返すようになるとレコードの操作に集中する必要が出てきた。
そこで曲を紹介したり、パーティーを盛り上げる役割はハークの友人、コーク・ラ・ロックが担当するようになる。彼はハークがプレーするブレイクの上で自由にマイクで客を煽った。マスター・オブ・セレモニー、MCの登場である。彼がブレイクのリズムに乗せて韻を踏みながら言葉を発していく。これがヒップホップにおけるラッパーの始まりだ。 ちなみにコーク・ラ・ロックはサイドでMCをするだけではなく、マリファナも販売するというサイドビジネスで大稼ぎしていたという。
クール・ハークが妹の制服代を捻出するために主催したパーティーが世界で初のヒップホップ・パーティーとなり、フロアで熱狂する連中のためにドラムパートをエンドレスにする工夫がブレイクビーツを誕生させる。そして、DJがブレイクビーツの演奏に集中したことからMCという役割が生じ、それがラップを生み出した。こうした出来事の一つ一つがのちの世界の音楽史を塗り替えていくことになる。
当たり前の日常には常にその後の歴史に繋がる契機が潜んでいて、何気ない行動や思いつきが歴史を変えることにもなる。崇高な問いがあって、答えがある構造ではない。だからこそ、日常で起こるさまざまな出来事に驚き、感動する構えが必要だと僕は思っている。