夫や交際相手11人の死亡で数億円の遺産を手にした筧千佐子。
4年に及ぶ取材と23度の面会で彼女の闇に触れたノンフィクションライター・小野一光氏による『全告白 後妻業の女 筧千佐子の正体』が幻冬舎アウトロー文庫から発売され、話題を呼んでいる。
ここでは本書の一部を紹介。面会に臨んだ著者を待っていたのは、噂にたがわぬ悪女だった――。
* * *
「死刑判決を受けたやんか。いつ頃執行されるの?」
やっとこの日が訪れた。
2014年3月に取材を始めて以降、願い続けていたことが叶(かな)ったのは、17年11月9日のことだった。
そのとき、千佐子は赤いセーターを着て私の目の前に現れた。私と彼女のあいだは、透明のアクリル板で仕切られている。
京都拘置所の面会室。これまで私は幾度も拘置所を訪ねていたが、最初は接見禁止によって、途中からは先方の面会拒否によって、彼女と言葉を交わすことはできなかった。だが、重い扉がようやく開かれたのだ。
挨拶に続き、私は自分が北九州市の出身であることを伝えた。
「そうなん? いやあ、懐かしいわあ。もうね、私にとっていちばん幸せやったのが、高校時代やったから。もうそれを思い出しただけで……」
そう口にすると彼女は目を潤ませた。近くで見ると白髪は予想以上に多く、伸びた眉毛が左右両側に垂れていた。
千佐子に死刑判決が下ったのはこの2日前。即日控訴をしており、これから先は、大阪高裁で裁判が行われる予定だ。そのため、しばらくは京都拘置所に身柄を置かれ、やがて大阪拘置所に移送されることが予想される。
私は目の前の千佐子に、事件取材を仕事とする自分は、これまで多くの殺人事件の被告と会っており、今後の裁判の流れなどについても知っているので、なにか知りたいことがあれば、遠慮なく尋ねてほしいと伝えた。
「はい、質問」
すると千佐子は、法廷でもよく使っている言い回しで声を上げた。
「私な、死刑判決を受けたやんか。いつ頃執行されるの?」
死刑を言いわたされていても、みずから「死刑」という言葉を使う被告は少ないため、直接的な質問をいきなりされたことに驚く。
「まだまだ先ですよ」
慌てた私が口にすると、「具体的には?」と質問を継ぐ。
「いやいや、高裁や最高裁がまだあるでしょ。刑の確定までに2年近くかかると思いますよ。しかも、確定したってすぐに執行されるわけじゃないです。私が会った死刑囚も、みんな確定してから少なくとも6年以上経ってますけど、誰も刑は執行されていません」
すると千佐子はすぐに言った。
「私いま70でしょう。75まで生きられるんかなあ?」
私は「そら生きてるでしょう」と希望を持たせる言葉を返す。そして、「でも、そんなに時期が気になりますか?」と訊いた。
「いや、私は死刑は覚悟してるから。いつ執行されても仕方ないと思ってる」
その場では言い切った。だが、それから話を続けているうちに、彼女は「やっぱり私も人間やからね」と前置きして、「そら生きられるなら、生きていたいと思うわ」と、先ほどまでの言葉を打ち消すのだった。
取材者と伝えているとはいえ、事件についての話は、彼女との信頼関係が構築されるまでは我慢しようと考えていた私は、どういう男性がタイプなのかという話を振ってみた。
「俳優でいったら、やっぱり北九州の人間やし、私の高校の先輩でもある高倉健さんみたいな人がタイプやな」
そうこうするうちに、やがて面会時間も終了に近づいたので、私は翌日また面会に来ることを伝え、差し入れをするために食べ物の好みを尋ねた。
「好き嫌いはないな。あえて言えばニンニクだけが苦手なんよ。甘い物が好きやから、お菓子とかはよく買うてるなあ」
「わかりました。じゃあ甘いお菓子を差し入れるようにしますね」
そう言うと、千佐子はにっこり笑い、「もう先生な、無理せんでええから。けど、うれしいわ」と意思表示する。
面会時間の終了が告げられ、「ほなまた明日」と刑務官に挟まれて面会室を出る直前、彼女はこちらを2度振り返って、頭を下げたのだった。
臓器提供で「社会の役に立ちたい」と口にする
翌日、ふたたび京都拘置所を訪ねた。連続して会ってくれるか一抹の不安もあったが、面会を告げる放送で、自分の持つ札の番号が呼ばれたことで安心した。
先に面会室に入って待っていると、アクリル板の向こうにある扉が開き、部屋に入ってきた千佐子と目が合う。彼女はすぐに笑顔を浮かべた。
今日は白地に黒い小さな柄が入ったハイネックの長袖シャツを着ている。「昨日は赤いセーターだったし、なかなかお洒落ですね」と口にすると、「もともと服は好きで、いろいろ買うてたんよ。けど、ここに来てからはお洒落しても仕方ないからな。あるものを着てるだけやがな」と自嘲気味にこぼす。
「昔は洋服を買いに小倉とかにも行ってたんじゃないですか? 井筒屋とか玉屋(現在閉店)とかありましたもんね」
私が彼女の故郷である北九州市の小倉にある百貨店の名前を挙げると、千佐子は目を輝かせた。
「その名前、懐かしいなあ。たまに小倉には行ってたわ」
「路面電車で?」
「そうそう。いやあ、いまだにあの頃の景色を憶えてるわ」
千佐子の目に涙が浮かぶ。
「いやほんと、懐かしい故郷の話をしてたら、涙が出てくるわ」
指先で目元を拭う。
しばらく故郷の話を続けたあとで、私が最近の体調について尋ねると、彼女は答えた。
「私なあ、すごく目がいいのよ。そんでこうやって見てると、相手の心が見えるの。なにを考えてるやろうかって」
そう言ってこちらの心のうちを確かめるかのように視線を合わせてくる。
「ほんでな、目もいいし、胃も丈夫なんやけど、肺だけが悪いんや。子供のときから肺炎を起こしたりしてて、よう熱を出してたの。ただな、拘置所で生活するようになったやろ。そうしたらここは社会とは遮断されとるから風邪の菌がないねん。だから、いっぺんも風邪ひかんようになったわ」
続けて千佐子は「そういえば先生……」との言葉に続いて切り出した。
「これ憶えといてね。私って健康体やろ。だから私な、死刑になる前に、私の身体のなかで目とか胃とかのいい部分をな、全部取って提供したいねん。そうやって社会の役に立ちたいと思ってる。先生、ほんまこの話、忘れんといてな」
現実的にそのようなことが不可能であることはわかっているが、水を差すようなことは避け、ただ頷(うなず)き返す。
人が死ぬミステリー小説は「怖いから苦手」
次の面会はそれから10日後の11月20日だった。
その日、私が千佐子に「お子さんは面会に来てくれてるんですか?」と尋ねたところ、彼女は顔を歪めた。
「先生、その話はもうせんといて。私がこんなダメな親やろ。子供に合わす顔ないから。子供らにしても、私みたいなんとは関わりたくないと思うわ」
そして涙を浮かべる。
だがその姿に違和感を覚えた。というのも、彼女が語るのはすべて自分を中心に置いた事柄についてのみだからだ。裁判においてもそうだったが、千佐子が被害者に対して明確な謝罪を口にしたことはなかった。ここでも、子供に合わす顔がないと話しながら、子供に対する謝罪はない。あくまでも自分がどういった気持ちになるということを語っているに過ぎないのである。
面会時間の終わり間際、本を差し入れるので、どのようなジャンルのものが好みか尋ねた私に千佐子は言った。
「もう本はなんでも好きやで。だからどういうのでもいいわ。ただ、ミステリーとかで人が死んだりするやつはやめてな。そんなんは怖いから苦手やねん」
……ブラックジョークかと思った。だが、彼女は真顔だった。
* * *
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