「2歳のときに虐殺で両親は殺された」
ぼくより2つ年上のルワンダ人の友達が何気なく口にした。
ルワンダで暮らしていると、つくづく思うことがあります。
この平和な時代に、この国で生まれたことは奇跡であると。
近年ベストセラーになった『ファクトフルネス』が示す通り、世界はここ数年で確実によくなっています。さらに改善しつつもあります。
けれど、アフリカにはまだまだ学校に通えていない子どもはいるし、今日を食いつなぐことがやっとなんて人はごまんといます。
新型コロナウイルスが流行しようもんなら、即座に職を失う。蓄えなどあるわけもなく、たちまち空腹にあえぐことになる。そして再度、仕事に就くことは極めて困難。
その中で、幅広い職や食べ物にもほとんど困らない物質的に豊かな国、日本で生まれたことがどれだけ有難いことかを、ひしひしと痛感させられる毎日です。
そして、思うのです。
自分は何もしていない。ただ、平和な時代に日本という国で生まれた、ただそれだけなのだと。それだけなのに、ぬくぬくと生きていいのだろうかと。
さらに追い討ちをかけるように、ぼくの「生」を大きく揺さぶるものがあります。
それは、レモングラス売りの少女。
日曜の朝、痛いほど降り注ぐ太陽の下を歩いて、一軒一軒営業をかけてレモングラスを売る少女。その少女を涼しげにレストランから眺めている、何もせずとも豊かな暮らしが約束された日本人のぼく。
あまりに不平等である。その恩恵を甘んじて享受している自分にひどく腹が立ちます。
日曜の朝から働く少女が、不幸だと言いたいわけではありません。
でも、子どもなら日曜の朝は仮面ライダーを見たいし、友達と遊戯カードをしたい。彼女らはそんな世界があることを知らないだけで、遊びたいはずです。
休日で浮かれた町中を頭にレモングラスなんか載せてねり歩かないで、友達とジャカランダの木の下でお弁当を食べたりして欲しい。子どもには明日食う不安ではなく、明日を夢見て希望を抱えて生きて欲しい。
そう願うのは、価値観の押し付けでしょうか。
ここにはヤギ飼いの少年だって、水汲みの少女だっています。
文句ひとつ言わず笑顔で働く彼ら彼女らを見ていると、自分が途端に情けなくなってくるのです。
だって、今の何不自由ない環境をつくるのに自分がしたことなんて何一つないのだから。
ただ、日本という国で生まれただけ。
豊かさを享受できるのも、先輩たちがより良い未来のためにと汗を流したおこぼれを預かっているにすぎません。
今日もレモングラス売りの少女がぼくの存在意義を揺さぶってくる。
右へ左へぐらんぐらんと。
なんとか持ち堪え、この平和な時代に日本という国で生まれた奇跡に感謝する。
そして、次は自分がこの世界に何かすこしでも返せるようにと、まずはルワンダのために汗を流す。あとすこし頑張ります!!
27才のルワンダ滞在記
海外協力隊として突如ルワンダに派遣された27才の、笑って泣けるリアルな奮闘記。